日本のヴェーバー研究の今日的課題
シンポジウム「マックス・ヴェーバーと近代日本」を振り返って

『情況』 2000年3月号

矢野 善郎

 去る1999年11月27日・28日,東京大学文学部一番大教室・二番大教室にて,「マックス・ヴェーバーと近代日本」と題されるシンポジウムが開かれた。これは日本国内でのヴェーバーをめぐるシンポジウムとしては,1964年に行われたヴェーバー生誕100周年シンポジウム以来,実に35年ぶりという大規模なものとなった *1
 この小文は,主催者かつ報告者の一人という立場から,1999年のシンポジウム開催のいきさつと,そこでの討議の模様とを振り返ったものである。ここではあえて記録風に回顧することで,日本におけるヴェーバー研究が抱える今後の課題を浮き彫りにし,このシンポジウムが行おうとした問題提起を継続していくための一助としたい。

一 シンポジウム企画の背景

 このシンポジウムの会場となった教室は,奇しくも35年前のシンポジウムが行われたのと同じ教室であった。同じ場所で開かれ,一部報告者にも重なりがあるとはいえ,その二つのシンポは,著しく異なった時代的な文脈のもとで開かれた。
 「ヴェーバー研究」という表現が,揶揄的なニュアンスを帯びた表現として用いられることもあるように,ヴェーバーの作品およびその人間像は,日本の多くの研究者の関心を,特異とも言えるほどに集めてきた。1964年に行われたヴェーバー・シンポジウムは,戦後日本のヴェーバー研究の頂点をなすものと言える。それは大塚・丸山を筆頭に戦後日本をリードした社会科学者が勢揃いした一大イベントとして語り継がれてきている。その時点でヴェーバーを論ずることは,一方のマルクスとともに,単なる学説研究をはるかに超えた,社会科学全体の存立に関わる重要な地位を間違いなく占めていた。
 一方今日においても,ヴェーバー研究は,一つの研究ジャンルとして存続してはいる。従来からの研究者だけでなく,ヴェーバーを研究テーマに選ぶ大学院生は減る様子をみせない。だが当然のことながら,ヴェーバー研究の日本の社会科学における地位も,そもそもの社会科学が日本社会において占める地位も35年前の時点とは全く異なる。何より異なるのは,日本の社会科学においてヴェーバーを読む意味の自明性が失われつつあるということだと思われる。今日では,そもそもヴェーバー研究者の間に共通の研究上の文脈は見えにくくなっており,領域的な分断も進み,共通の議論の場すら失われつつある *2
 1999年のシンポジウムは,ヴェーバーをめぐる今日的な知的状況に一石を投じることを目的として,橋本努・橋本直人・矢野善郎という若手の研究者によって企画されたものである。三人は,「ウェーバーの日本における影響を問い,今後私たちがどのようにヴェーバーと対峙していくべきかを模索する」というスローガンをかかげ,日本におけるヴェーバーをめぐる論争空間を再構築するきっかけとなるシンポジウムの開催を呼びかけた *3
 そして,その呼びかけに様々な世代と分野を越えた研究者が応答した結果,16人の報告者(主催の3人も含む),5人の司会者,10人のコメンテーターの参加する大規模なシンポジウムが実現することになった *4

二 シンポジウムにおける討議

 シンポジウムは2日間にわたって開かれ,以下の5つのテーマで討議が行われた。(敬称略)

11月27日(土)午前 第一討議「マックス・ヴェーバーと近代日本」(一番大教室)

  • @ 上山安敏(奈良産業大学)「ウェーバーの宗教社会学 ユダヤ教とキリスト教の間 ―」
  • A 富永健一(武蔵工業大学)「マックス・ヴェーバーとタルコット・パーソンズ 『資本主義の精神』のとらえ方をめぐって ―」
  • B 山之内靖(フェリス女学院大学)「何故に日本のヴェーバー研究はニーチェ的モーメントを欠落させてきたか」

    司会:住谷一彦(立教大学名誉教授)/コメンテーター:古川順一(日本文理大学)・横田理博(電気通信大学)

同午後 「政治」部会(一番大教室)

  • C 雀部幸隆(椙山女学園大学)「ウェーバーの大統領制論とワイマル共和国崩壊の憲政史的問題」
  • D 佐野誠(浜松医科大学)「ヴェーバーとシュミット シュミット『政治的なものの概念』におけるヴェーバーの批判的受容を中心に ―」
  • E 橋本努(北海道大学)「近代主体論の再検討 M. ウェーバー解釈にみる社会科学の精神 ―」

    司会:長尾龍一(日本大学)/コメンテーター: 霜鳥文美恵(国際基督教大学)・中西武史(一橋大学)

同午後 「資本主義」部会(二番大教室)

  • F 大西晴樹(明治学院大学)「『倫理』論文とイギリス革命 最近の研究から ―」
  • G 佐久間孝正(東京女子大学)「『仮象』としての『グローバリズム』と資本主義 エスニシティ,ネイションの『政治・国家社会学』としての『経済と社会』
  • H 橋本直人(一橋大学)「資本主義の精神における〈教育〉の契機 『倫理』解釈史からの一考察 ―」

    司会:濱井修(東京女子大学)/コメンテーター:荒川敏彦(一橋大学)・池田太臣(神戸大学)

11月28日(日)午前 第二討議「日本マックス・ヴェーバー研究の過去・現在・未来」(一番大教室)

  • I 折原浩(椙山女学園大学)「『合わない頭をつけたトルソ』から『頭のない五肢体部分へ』 『マックス・ヴェーバー全集』 (『経済と社会』旧稿』該当巻) 編纂の現状と問題点 ―」
  • J 姜尚中(東京大学)「自由主義の危機とウェーバー 1930年代と1990年代 ―」
  • K ヴォルフガング・シュヴェントカー(デュッセルドルフ=ハインリッヒ・ハイネ大学)「グローバル化時代におけるマックス・ヴェーバー研究の課題」
  • L 嘉目克彦(大分大学)「文化の普遍史と現代 文化的生の『ドイツ的形式』とマックス・ヴェーバー ―」

    司会:三島憲一(大阪大学)/コメンテーター:佐藤成基(茨城大学)・鈴木宗徳(南山大学)

同午後 「理論・思想史」部会(一番大教室)

  • M 牧野雅彦(広島大学)「政治史と文化史のあいだ―歴史学『方法論争』とウェーバー ―」
  • N 向井守(九州産業大学)「『シュタムラー論文』の意義」
  • O 矢野善郎(東京大学)「ヴェーバーの方法論的合理主義の今日的意義―『合理化テーゼ』論の呪縛を超えて―」

    司会:米沢和彦(熊本県立大学)/コメンテーター: 宇都宮京子(東洋大学)・杉野勇(北海道大学)

 当日行われた各報告のテーマは,主催者から要請したものでなく,各報告者が最もふさわしいと思うものを独自に選んだものである。以下では,それぞれの部会でどのような議論が行われたかを,報告の内容を中心として簡潔に振り返ってみることにする。そうすることで,今日のヴェーバー研究が抱える課題の見取り図を提供することにしたい。

11月27日 午前

 最初の全体討議では,「マックス・ヴェーバーと近代日本」というテーマの下,三つの報告が行われた。まず@上山報告では,ヴェーバーの宗教社会学を,彼の生きた当時の宗教論争の文脈で再検討する必要が論じられた。上山氏は,ヴェーバーのプロテスタンティズム研究と古代ユダヤ研究が,当時のドイツのユダヤ教(学)をめぐる特異な神学的・歴史学的な論争の文脈のただ中で行われたものであることを論じた。
 それに引き続く二つの報告は,互いに対極的なものとなった。A富永報告では,ヴェーバー社会学に両義的な側面があることを認めつつも,それを近代化論として進化論的に解釈することが主張され,主に宗教論の観点でパーソンズ社会学との比較が行われた。氏は,両者が宗教的合理化と西洋的近代化との関係を論ずる点で収斂するとし,日本の近代化と現代の宗教現象をそうした収斂点からとらえ返すべきことを主張した。

 それに対しB山之内報告では,ヴェーバーをニーチェ的モーメントを有した近代批判者としてとらえ,日本のヴェーバー受容が総力戦体制の影響下で歪められたまま近年に至ったとする刺激的なテーゼが提出された。山之内氏によれば,1930年代まではヴェーバーを近代批判者としてみる見方がむしろ主流であったが,総力戦状況への突入とともに,日本のヴェーバー解釈もマルクス解釈も,ともに近代文化による「救済の物語」へと変貌したと批判する。そして氏は,社会科学がそうした救済願望を超えて何を語るべきなのか根元的な反省を行う必要を説いた。

11月27日 午後(1)

 午後には,二つの部会が同時進行で開催された。まず「政治」部会では,ヴェーバーの政治論がナチスの露払い的な役割を果たしたとする,モムゼンによる例のヴェーバー批判に反論する二つの報告が行われた。C雀部報告は,ヴェーバー死後の現実のドイツ政治史を歴史的にたどることでモムゼンに反論する。氏は,ワイマール体制が国民投票的大統領制と代表制的議会制を採用したのは,状況的に不可避ともいえる選択であり,その体制の崩壊は大統領制の採用に由来するのではなく,むしろ大統領制のメリットが生かされきれなかったことに由来すると,近年の実証研究をふまえ主張した。
 続くD佐野報告では,モムゼン・テーゼではほぼ同一視されるヴェーバーとカール・シュミットの政治論を,社会思想史的な角度から比較検討する形での批判を行った。とりわけ佐野氏は,シュミットにあっては,政治と倫理の緊張関係を欠いた「友−敵概念」を導入し,またその独自の聖書解釈に基づき「公敵・私敵」の区別を導入するなど,ヴェーバーとの間に決定的な差があることを論じた。
 最後のE橋本努報告は,戦後日本のヴェーバー研究が「社会科学による人格陶冶」という根本問題を追求してきたと論じ,従来の様々な人格像を「近代主体」として整理した上で,それらに代わるオルターナティブとして「問題主体」像を主張し,「人格論」を自由主義の社会科学の陣営より復活させることをもくろんだ論争的なものであった。

11月27日 午後(2)

 一方の「資本主義」部会では,F大西報告において,「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(以下『倫理』論文)を,革命期英国についての最近の実証的な歴史研究から検討する試みがなされた。大西氏は,「予定説」・「ゼクテ」・「イギリス革命」の三つの論点をあげ『倫理』論文の歴史観に修正をせまった。とりわけ第三の論点では,英国ピューリタニズムが千年王国論を媒介に植民地帝国的志向を育んだという興味深い視点があげられた。
 続くG佐久間報告では,今日的な状況におけるヴェーバーのエスニシティ論の意義が検討された。佐久間氏は,ヴェーバーの「国家」・「国民」論が,近年のアンダーソンの理論を数十年前に先取りするものであったと整理する。そしてその理解社会学の方法が,「グローバリズム」の幻想とは裏はらに衝突的に進行する今日の「グローバリゼーション」状況にあっては,再びその真価を発揮するだろうと主張した。
 最後のH橋本直人報告では,再び『倫理』論文がとりあげられ,ヴェーバーの社会理論における「教育−訓練」という視点に着目した再構成の必要性が説かれた。氏は,従来の解釈では,ヴェーバーが幾度となく言及する「教育−訓練のメカニズム」という視点が欠如してきたことを指摘する。そしてこの視点が,「支配の社会学」などにも通底する重要なものであることを主張した。

11月28日 午前

 シンポジウムの二日目の午前には第二の全体討議が,「日本マックス・ヴェーバー研究の過去・現在・未来」と題して行われた。まずI折原報告では,『経済と社会』をめぐる編纂上の問題が振り返えられ,テキストの取り扱いをめぐるアカデミズムの体質が問題とされた。折原氏は,従来までの『経済と社会』が二種類の遺稿を混合した誤編纂であることを主張する一方,現在の『ヴェーバー全集』の編集委が,それを誤編纂と認めながら,遺稿を再度体系的に構成しなおすことを放棄し,公開討議にも応じず,分冊という形態で刊行することを批判した。
 続くJ姜報告は,1990年代が総力戦へと向かう1930年代とある面では類似し,自由主義への反動である「国家の過剰」と呼ぶべき危機状況にあることを,前日の山之内氏の問題意識と通ずる視座から論じた。姜氏はそこで,30年代での南原繁や丸山真男が,ヴェーバー受容を通してどのような思想的可能性を探ったかを対比的に検討した。
 その次のKシュヴェントカー報告は日本語で行われ,前半で世界の様々なヴェーバー研究アプローチを整理し,特に受容史研究や新資料に基づく伝記的研究の重要性を説くとともに,後半で今日を「グローバル化時代」と特徴付け,その状況下におけるヴェーバーの社会理論の妥当性を問うた。氏は,「官僚制化」や「カリスマ」の問題などヴェーバーに学ぶべき要素は依然あるものの,例えば「合理化」という歴史認識は,今の状況では妥当しないとし,「鉄の檻」の脅威は失われたと主張した。
 第四のL嘉目報告は,人間ヴェーバーの生涯を通底する問題設定に関するものだった。嘉目氏は,ヴェーバーが,政治・科学そして文化的生と,それぞれの領域の「ドイツ的形式」を批判するという視座を一貫して展開させていき,やがて西洋文化ないしは文化一般の普遍史へと批判の視座を拡大させていった過程を具体的に報告した。

11月28日 午後

 最後の部会である「理論・思想史」部会では,ヴェーバーの方法論の再定式に関わる三つの報告が行われた。M牧野報告では,ヴェーバーが「政治史は例外として」というフレーズを度々さしはさむことの謎から出発し,彼の方法論的な叙述が,当時の歴史論争であるランプレヒト論争をふまえたものであったことが浮き彫りにされた。牧野氏は,ヴェーバーが終始歴史主義の継承者であり「現実科学」としてその方法論を展開したと主張し,歴史主義から社会学へとその視座を転換したとする従来的な見解を批判する問題提起を行った。
 続くN向井報告は,ヴェーバーが最悪の精神状態の中で書いたとされ,それ故に難解な「シュタムラー論文」の論理展開を丁寧に追うことで,ヴェーバーがその科学の対象を「意味」をメルクマールにして弁別していく過程を明らかにするとともに,彼の方法論がリッカートやイェリネクらの方法論を摂取しつつそこから離脱していった過程を描くものであった。
 最後にO矢野報告では,ヴェーバーの「合理化」概念の問題がとりあげられ,「近代化」イコール「合理化」と結びつけるようなヴェーバー解釈(合理化テーゼ論)が戦後日本のヴェーバー研究で展開されたことを批判した。そして従来の合理化テーゼ論を四つに整理して批判するとともに,より今日的なヴェーバー研究は,むしろヴェーバーに「合理化テーゼ」なるものが存在するという先入見から脱却すべきことを主張した。

三 ヴェーバー研究の今後の課題

 シンポ当日に取り上げられた以上のごとき課題群は,言うまでもなく,ヴェーバー研究が課題とすべき全ての問題を網羅しているわけではない *5。が,そこで提起された様々な課題は,少なくとも,ヴェーバー研究が「今日的」と呼べる課題を未だに多くの次元で抱えていることを明瞭に示すものだったとは言えよう。とりわけ今回のテーマ設定の下では,a) ヴェーバーの社会学により今日的状況を分析するという課題,b) 今日的な資料により,ヴェーバーをその同時代の文脈で反省するという課題,c) ヴェーバー受容の今日的な回顧を通して日本の社会科学を反省するという課題,d) ヴェーバーを通してより今日的な歴史学・社会科学方法論を考察するという課題,の四つの問題領域がクローズアップされていた。
 当日の各部会では,これらの報告者の報告を受け,それぞれ二人のコメンテーターによる問題提起を皮切りに,一時間強の議論が行われた。ここでは紙幅の関係で報告後の議論の模様を追うことはできないが,各討議中も報告者・コメンテーター・司会・フロアーから大変クリティカルな問題提起がなされていた。どの部会も司会が時間の関係で打ち切りを宣言するまで,議論があいついだ *6
 なおシンポジウムは両日とも,近年の学会ではごくまれなほど熱心な聴衆にめぐまれ,緊張感に満ちた雰囲気の中で行われた。報告の声のみがひびく教室の中で,報告者の指示に従い数百人がいっせいに資料をめくる光景に圧倒されたという感想を述べたものは多くいた。両日とも会場のキャパシティを大きく超え,運び込まれたパイプ椅子を用いてもさらに立見が出る盛況であった。受付で記帳した人数だけでも2日間で,396人(関係者を除く)であった。興味深いことに,聴衆のうち大学関係者と大学院生は合計しても6割弱であり,参加資格を制限せず,しかも全国紙に告知記事が出たからということもあろうが,実に25パーセントの人は一般の社会人であった。また大変心強いことに,参加者の4割以上は10代・20代の若い世代であった *7
 今回のシンポジウムの開催によって気付かされるのは,「ヴェーバー」が日本にあっては二重の意味で領域媒介的なシンボルになっているということである。それは一方では,アカデミックな諸分野,とりわけ歴史学と社会科学を横断的に結びつけるシンボルであるとともに,他方で,アカデミズムとその外部の領域を結びつけるシンボルに依然としてなっている。その意味で,ヴェーバー研究は,単にアカデミズム内に課題を抱えるだけでなく,アカデミックな理論を生活実践へと媒介させていく架け橋的な役割を持つことも期待されていると言えよう。
 なお一見して分かるように,当日行われた報告同士には,内容的にそれぞれ相容れない場合も多数ある。また細部には修正を要すると考えられる部分も少なくないが,この小文で半端な論評を加えることは何ら生産的ではないだろう *8
 またシンポジウム当日はタイムテーブルの関係でとうてい十分な議論が行いえた訳ではない。とはいえ公開シンポの意義は,恐らく直接の問題の解決にあるのではなく,今後の研究を媒介し加速するための「触媒」としての役割にこそあるのではないかと思われる。その点で言うならば,このシンポジウムの触媒的効果はどれだけ割り引いても小さいものではなかったと思われる。
 純粋に文献資料という点だけから見ても,ヴェーバー研究は今後様々な変容を迫られている。1980年代なかばよりドイツで刊行の続く『マックス・ヴェーバー全集』の書簡集・講演集など,未検討の資料が多数公刊されている。また特に『経済と社会』と呼ばれた書物については,根本的な編纂の見直しが行われてきた。それに付け加え,ヴェーバー文献のCD-ROMが昨年発売されるなど情報機器を用いたヴェーバー研究の環境も整いつつある。
 このシンポジウムをきっかけとして,日本の社会科学が蓄積してきた資産を受け継ぎつつ,ヴェーバー研究をより今日的な要請に応えるように鍛えていくための,世代を越えた討議空間が再構築されていくことを心から望む。

(やの よしろう:東京大学文学部助手/社会学理論・学説研究,討論教育)

注:

*1 一九六四年のシンポジウムについては,大塚久雄編『マックス・ヴェーバー研究---生誕百年記念シンポジウム』(東京大学出版会 一九六五年)。

*2 日本のウェーバー研究の流れを総括する試みは,とりわけ今回のシンポへの報告者でもあるシュヴェントカー氏によるMax Weber in Japan. (Tubingen: J. C. B. Mohr (Siebeck). 1998)など,いうならばドイツ先行で行われてきた。

*3 このシンポジウムの開催主旨については,橋本努氏の「ウェーバー的問題の今日的意義」(『未来』一九九九年一〇月号)を参照のこと。同じく『未来』の二〇〇〇年二月号には橋本直人氏による,そして同誌次号に住谷一彦氏によるシンポの回顧が掲載される予定である。併せて参照されたい。

*4 報告者の一人である佐久間氏は,筆者との会話中にこのシンポを「インターネット型学会」と評していたが,それはこのシンポの特徴を言いあてた表現である。それは単に準備・広報の段階でネットが多用されたという表面的な意味についてだけではない。従来のシンポジウムや研究集会が,学会や大学などの既成のホストを置いた「ホスト・クライアント型」であるのに対し,今回東京大学は単に会場となっただけであり,通常の意味での「主催者」は存在しないシンポジウムとなっている。知の分断された今日において,今回のような領域横断的なシンポが実現できたのは,むしろ既存の組織に乗らない呼びかけが行われたためではないかと思われる。

*5 今回のシンポでは十分取り上げられなかったが,今後の日本のヴェーバー研究で特に課題になってくると考えられるものは二つある。第一の課題は,やはりヴェーバー研究とジェンダーという問題である。今まで女性のヴェーバー研究者が少なかったこととも関係するのだろうが(今回女性の登壇者は二人),ジェンダー的問題を射程に入れたヴェーバー研究は皆無に近い(ちなみに当日の聴衆は記帳者の氏名から判断できたかぎりでは,320人が男性で,70人が女性である。割合にすると18%だが,これを少ないと見るかは日本のアカデミズムの男女比からすれば微妙であろう)。第二の課題は,当日フロアー(野崎敏郎氏)から出た意見とも関わるが,ヴェーバー自身の日本論を,彼自身の依拠した資料も含め,日本のより実証的な歴史研究から反省するという問題である。この点はヴェーバーにも時より乱暴な形で浴びせられる「オリエンタリズム」との批判を,より実証的に検討するという課題につながるであろう。

*6 コメンテーターには比較的若い研究者が多かったのだが,(司会の長尾氏も同様の発言をしていたのだが)みな年齢的な上下関係を持ち込まない鋭い問題提起を行っていた。特に初日の古川氏による日本のヴェーバー受容とキリスト教受容との相関という問題,二日目の佐藤氏・鈴木氏によるコメントは聞き応えがあった。またフロアーからも,「ヴェーバー研究はヴェーバー道であってはならない」など,場合によっては毒を含むほどに忌憚のない意見や質問が続出した。

*7 記帳した聴衆(関係者を除く)のうち職業欄への解答のあった375人の内訳は以下の通り。

学生(高校生を含む)

63人(16.8%)

大学院生

91(24.3%)

大学教官

127(33.9%)

その他

94(25%)

375人(100%

同じく年齢欄への解答のあった340人の年齢構成は次の通り。

10

11(3.2%)

20

135(39.7%)

30

66(19.4%)

40

42(12.4%)

50

47(13.8%)

60

29(8.5%)

70

10(2.9%)

340人(100%)

なお1964年のシンポジウムでは,参加者を大学関係者のみに制限したとされる。その点は今回のシンポジウムとのもう一つの大きな違いである。

*8 各報告の内容については,このシンポジウムを基にした論文集が,未来社より刊行予定であるのでそちらを参照されたい。なおシンポジウムの模様は,以下のホームページにおいても順次公開していく予定である。http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~yano/sympo.html


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