昨日の記事[2012-05-16-1]で「#1115. Nostratic 大語族」の仮説 (The Nostratic Theory) を紹介したが,現在,歴史言語学および言語類型論の関心から,さらに上を行く壮大な言語系統図の構想が抱かれている.
1つには,Nostratic 大語族とは独立した大語族として,North Caucasian, Sino-Tibetan, Yeniseian, Eyak-Athapascan の4語族を含む Sino-Caucasian あるいは Dene-Caucasian 大語族が提案されている([2011-02-08-1]の記事「#652. コーカサス諸語」の一番下の図を参照).それに加えて,アメリカ・インディアンのほとんどの言語を含むといわれる Amerind 大語族(この語族の設定自体が論争の的となっている)の仮説が唱えられている.Ruhlen は,究極の Eurasian 祖語を仮設し,上記の大語族間の系統関係を次のように想定した(Gelderen, pp. 31 の図をもとに作成).

Eurasian を仮定したとしても,アフリカの3語族,オーストラリアの語群,太平洋の語群は,これに包含されず,孤立している.いずれも Eurasian 祖語以前に分裂したものと想定される.
Geldren (29--32) は,英語史概説書としては珍しく,このような大語族の仮説にまで踏み込んで記述しており,有用.世界の諸語族については,[2010-05-30-1]の記事「#398. 印欧語族は世界人口の半分近くを占める」や,Ethnologue より language family index が参考になる.Oxford 提供のユーラシア大陸の簡単な言語地図も参照. *
・ Gelderen, Elly van. A History of the English Language. Amsterdam, John Benjamins, 2006.
・ Ruhlen, Merritt. The Origin of Language. New York: Wiley, 1994.
19世紀,印欧語比較言語学は飛躍的に進歩を遂げたが,印欧語族内にとどまらず,語族と語族の間の2言語を比較する試みは,すでに同世紀より見られた.しかし,異なる語族からの2言語の比較ではなく,語族レベルでの比較が本格的になされたのは20世紀後半になってからのことである.1964年,Illich-Svitych と Dolgopolsky という2人の比較言語学者が,独立して重要な論文を発表した.そこでは,Indo-European, Afro-Asiatic (Hamito-Semitic), Kartvelian, Uralic, Altaic, Dravidian の6つの主要語族が比較され,その同系が唱えられた.これらを包括する大語族の名前として,1903年に Pedersen が提案していた "Nostratic" というラベルが与えられた.現在,Nostratic 大語族には,さらに5つの語族 (Eskimo-Aleut, Chukchi-Kamchatkan, Niger-Kordofanian, Nilo-Saharan, Sumerian) が付け加えられている.
Nostratic 大語族を比較言語学的に検証する上での大きな問題の1つは,比較する語彙素の選定である.Dolgopolsky は,もっとも借用されにくく安定性のある語彙素として15語を選び出した ("I, me", "two, pair", "thou, thee", "who, what", "tongue", "name", "eye", "heart", "tooth", verbal NEG (negation and prohibition), "finger/toe nail", "louse", "tear" (n.), "water", "dead") .それから各言語の対応する語彙素を比較し,祖語の形態を再建 (reconstruction) していった.
一方,Illich-Svitych は,Nostratic 祖語の形態と統語の再建も試み,次のような銘句を作詩すらしている.

Nostratic 大語族の仮説 (The Nostratic Theory)は,単一語族を超える規模の比較として,ある程度の根拠に支えられているものとしては,現在,唯一のものである.しかし,比較すべき語彙素の選定や,再建の各論は激しい論争の的となっている.この仮説に熱心な研究者もいれば,比較言語学の限界の前にさじを投げる研究者も多い.19世紀,20世紀と踏み固められてきたようにみえる印欧語比較言語学ですら多くの問題を残しており,その起源について決定的な説がない([2011-01-24-1]の記事「#637. クルガン文化と印欧祖語」を参照)のだから,Nostratic の仮説など途方もないと考えるのも無理からぬことである.しかし,ズームアウトして視野を広げることで見えてくる細部の特徴もあるかもしれない.それが,野心的な Nostratic 仮説の謙虚な狙いの1つといえるかもしれない.
以上は Kaiser and Shevoroshkin の論文を参照して執筆した. *
・ Kaiser, M. and V. Shevoroshkin. "Nostratic." Annual Review of Anthropology 17 (1988): 309--29.
Ethnologue の冒頭では,現在の世界の言語の数について,次のように謳われている."An encyclopedic reference work cataloging all of the world’s 6,909 known living languages." ただし,論者によってはその半分の数を挙げるものもあり,他にも様々な数が提案されており,確定することは難しい.世界の言語の数を数えることの困難な理由は,[2010-01-22-1]の記事「「#270. 世界の言語の数はなぜ正確に把握できないか」で取り上げた.また,関連する話題を「#274. 言語数と話者数」 ([2010-01-26-1]) で考察した.今回は,議論をもう一歩推し進めたい.
現在,世界にいくつの言語があるのか.この問いは言語についての最も素朴な疑問のようにも思われるが,実のところ,この素朴さのなかには非常に厄介な問題が含まれている.言語を数えるということは,当然ながら言語が複数あることが前提となっている.また,言語が複数あるということは,ある言語と他の言語との境界が明確であり,それぞれが個別化,個体化,個数化していることが前提となっている.しかし,自然状態におかれている言語は,通常,境がぼんやりとしているものではないか.特に隣接する言語であれば,互いに混交して,中間的な特徴を備えた言語が間に入っているものではないか.
しかし,このように本来は音の連続である茫洋とした言語の平面に,強引に線引きをする主がいる.そして,私たちは,その主の存在を疑わずに,むしろ前提としているからこそ,標記の問題がいかにも素朴な疑問に聞こえるのである.その線引きの主とは,近代国家である.田中 (150) の適格な表現を引用しよう.
近代はまた、ことばとことばとの間に境界を設けて、その数を数えられるものにした。言語の数が数えられるものになったのは、主として国家の成立による。/言語の数はしかし、本来は――自然の状態では――数えられないものであった。数えようにも、まず名前がついていなかった。ヨーロッパでは、こうしたいわゆる「俗語」、すなわち、ラテン語以外の言語が文字で書かれるようになり、その文法が書かれることによって、「○○語」が確立されたのである。
つまり,言語を数えるということは,「国家=言語」という等式を無意識のうちに前提としている発想であり,言語の自然状態を観察していては決して生まれてこない発想だということになる.では,上記の素朴な疑問は,素人的な疑問として片付けてしまってよいのだろうか.否である.実のところ,近代科学としての言語学こそが,「国家=言語」を前提として成立してきたのである.もっと言えば,「国家≧言語(学)」ですらあった.田中 (154--55) を引こう.
近代言語学に成立の動機を与えたのは,国家であった.国家が,言語に境界を与え,○○語という,区切りのある単位を与えたからである.そして,言語学は,このような,国家によって提供された,いわゆる個別言語 (Einzelsprache) の研究に従事してきた.少し誇張して言うと,国家が個別言語を創り出し――その統合,均質化の過程によって――それを言語学が当然のようにおしいただいて研究したのであるから,この点から言うと,言語学は国家に従属したのである.
このように,近代言語学は国家観を強烈に含みながら創始された.自然状態の言語を,国家という概念を介入させず,ありのままに観察するという態度は,20世紀のソシュール言語学を待たねばならなかったのである.20世紀言語学は,いよいよ国家をはぎ取った状態で言語そのものを観察し始めたのだが,世紀の後半になって国家なり社会なりの服を,改めて今度は意識的に,裸の言語に着させるという試みを開始した.
21世紀に入った言語学は,いまだ標題の素朴な疑問に明確な解答を与えうる段階にない.しかし,言語学は,何もしてこなかったわけではない.むしろ,素朴な外見を装った標題の疑問の本質は,素朴どころか,政治のどろどろした問題をはらんでいるという事実を,言語学はありありと示してきたのである.
・ 田中 克彦 『言語学とは何か』 岩波書店〈岩波新書〉,1993年.
[2010-06-02-1]の記事で言語の多様性指数 ( diversity index ) について触れた.これは言語密集度と言い換えてもよいだろうが,興味深いことに,この指数は赤道に近いほど高く,両極に近いほど低い傾向がある(柴崎, p. 17).言語多様性指数で世界トップのパプアニューギニアを例に取れば,国土面積でいうと世界の0.4%を占めるにすぎないところに世界総人口の0.055%ほどの人が住んでいるのだが,そこに830もの言語(総言語数の12%)がひしめいている.一方で,例えばグリーンランドは比較的広大だが人口密度は低く,言語数も少ない ( see [2010-01-26-1] ).さらに興味深いことに,言語の死 ( see language_death ) の進行率が不釣り合いに高いのも,やはり赤道に近い地域である.言語密集度と言語消滅可能性は連動していることが知られており,高い値が赤道寄りに偏って分布していることは明らかである(柴崎,p. 21).
赤道に近いほど言語の多様性と消滅可能性が高いというのは,より広く社会的関心を引きつけている別の話題を想起させる.それは生物種の多様性と消滅可能性である.生物種の多様性も赤道直下をピークとして,両極へ向かうほど密集度が低くなっており,消滅可能性もそれと足並みを揃えている.再びパプアニューギニアを例に取ると,国内に約40万種,世界の全生物種の約5%が生息しているとされ,消滅の度合いも大きいという(柴崎, p. 21).
ここまで言語多様性と生物多様性の分布が一致すると,ヒトの言語が生態系の一部であることを認めざるを得ない.[2010-01-30-1]で言及したように ecolinguistics という呼称が現われてきていることも納得できるというものである.英語史の観点からこの状況を考察するとどうなるだろうか.言語生態系という考え方が生じている現代の社会においては,英語に代表される世界語は,かつて世界語と呼ばれ得た諸言語とは異なる役割と責任を負うことになるだろう.言語生態系という視点は,今後の英語を動かす,つまり新しい英語史を駆動する力の一つになってゆくかもしれない.
世界の人口と関連する話題については世界の人口が有益.
・ 柴崎 礼士郎 編 『言語文化のクロスロード --- 沖縄からの事例研究 ---』 文進印刷,2009年.
10月5日付けの CNN.com より Previously unknown language emerges in India という記事を読んだ.インド北西部の Arunachal Pradesh 州で約800人の話者によって話される言語が発見されたという記事だ.National Geographic の資金援助を受けた the Living Tongues Institute for Endangered Languages の言語学者が,Enduring Voices Project の現地調査によって明らかにした(調査自体は2008年のこと).

この言語は Sino-Tibetan 語族の Tibeto-Burman 語派に属するとされる.Tibet-Burman 語派にはアジアの400ほどの言語が含まれ,インドだけでも同語族から150ほどの言語が確認されている.Koro 族の言語については真の意味で未知なわけではなかったが,これまでは Hruso-Aka 語と方言関係にあると(当の言語の話者の間ですら!)信じられており,別個の言語として認識されていなかった.それが調査員による Koro 族の戸別訪問により,明らかに周囲の言語とは異なる言語であることが確認されたのである.Ethnologue report for Hruso を見てみると,Koro が Hruso とは別個の言語らしいという示唆はあり,この点を調査員は明らかにしたということだろう.予期せぬ発見だったわけではないようだ.
この地は "the black hole of the linguistic world" あるいは "a language hotspot where there is room to study rich, diverse languages, many unwritten or documented" とみなされており,今後も未調査の言語が掘り出される可能性が高い.インドは[2010-06-02-1]の記事でみた言語多様性指数でいえば,0.940で世界第9位である.また,国内の言語数でいえば,445言語で第4位.この国には今後も言語数が加算されてゆくポテンシャルは十分にある.
今回の調査で Ethnologue の主張する世界の言語数6909に1が足されることになるのだろうが ( see [2010-01-22-1] ) ,Koro 語は約800人の話者しか有しておらず,しかも20歳以下の話者がほとんどいないことから,皮肉にも「発見」された瞬間から危機言語の仲間入りを果たすことになった ( see [2010-01-28-1] ) .記事の題名だけを見るとポジティブな話題に思えるが,実態は [2010-02-09-1]で紹介した Bo 語の消滅などの言語の死と紙一重の差しかない.
奇しくも昨日から名古屋で COP10 (国連生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されている.紙面では関連する話題が掲載されているが,実際のところ日本では一部の企業などを除き,関心度はそれほど高くないようである.生物多様性ですら人々の関心を集められないのだから,いわんや言語多様性をや,である.
National Geographic の関連記事やビデオクリップはこちらのリンクからどうぞ.
[2010-05-29-1], [2010-05-30-1]の記事に引き続き,Ethnologue からの話題.Table 6. Distribution of living languages by country は,世界の諸地域を言語多様性の高い順に並び替えたものである.言語の多様性指数 ( diversity index ) とは,その地域における言語の密度といってもよいが,その地域からランダムに二人を選び出したときにその二人が異なる母語をもつ確率として定義される.取り得る最大の値は1で,このとき同じ母語をもつ人は皆無ということになる.最小値は0で,このとき皆が同じ母語をもつということになる.例えば,日本の多様性指数は,対象となっている224地域のなかでも下から数えた方が早く,202位で 0.028 という値である.日本は言語的に非常に同質的な国であるといえる.
多様性指数のトップ10を見やすく抜き出してみよう.
| Rank | Country | Diversity index | Living languages |
|---|---|---|---|
| 1 | Papua New Guinea | 0.990 | 830 |
| 2 | Vanuatu | 0.974 | 114 |
| 3 | Solomon Islands | 0.967 | 71 |
| 4 | Central African Republic | 0.959 | 82 |
| 5 | Democratic Republic of the Congo | 0.948 | 217 |
| 6 | Tanzania | 0.947 | 129 |
| 7 | Cameroon | 0.946 | 279 |
| 8 | Chad | 0.944 | 133 |
| 9 | India | 0.940 | 445 |
| 10 | Mozambique | 0.932 | 53 |
| Rank | Country | Diversity index | Living languages |
|---|---|---|---|
| 1 | Papua New Guinea | 0.990 | 830 |
| 2 | Indonesia | 0.816 | 722 |
| 3 | Nigeria | 0.869 | 521 |
| 4 | India | 0.940 | 445 |
| 5 | United States | 0.319 | 364 |
| 6 | Mexico | 0.137 | 297 |
| 7 | China | 0.509 | 296 |
| 8 | Cameroon | 0.946 | 279 |
| 9 | Democratic Republic of the Congo | 0.948 | 217 |
| 10 | Australia | 0.124 | 207 |
印欧語族 ([2009-06-17-1]) は世界最大の語族であり,世界最大の母語話者人口を誇っている.他書(何だったか失念)では印欧語族は世界の 1/4 を占めると記されており,私もその概数をそのまま信じて本ブログでも [2009-08-05-1] で言及したことがあった.ところが Ethnologue の Table 4. Major language families of the world によると相当に異なる数値が提示されている.印欧語族に属する諸言語は,世界人口の 45.67% に相当する27億余りの人々によって話されているという.1/4 どころかほぼ半数であり,大きな違いだ.人口統計は様々な前提・仮定の上ではじき出されるものなのでなかなか評価が難しいが,Ethnologue に基づく限り,2位のシナ・チベット語族 ( Sino-Tibetan ) の人口 12.5 億人を大きく引き離してのトップである.昨日の記事[2010-05-29-1]でまとめた母語話者数による言語のランキング表でも,トップ10言語のなかで7言語までが印欧語族に属するので,世界における影響力が知れよう.
Ethnologue の Summary by language family によると,世界の言語は116の語族 ( language family ) に分かれ,そのなかの主要6語族のみで世界の言語の 2/3 を占め,世界の人口の 5/6 を占めるという.
また,Ethnologue の Indo-European の区分 では,印欧語族を Albanian, Armenian, Baltic, Celtic, Germanic, Greek, Indo-Iranian, Italic, Slavic の9語派に下位分類していることがわかる.
このブログでも何度も参照している Ethnologue の16版が2009年に出版された.オンライン版の Ethnologue で世界の言語にまつわる様々な数値を眺めていたら,英語の母語話者人口について新事実に出くわした.Table 3. Languages with at least 3 million first-language speakers によると,英語はスペイン語に僅差で追い越され,2位から3位に転落していたのである.すっかり見逃していた.
以下は上記のページから取った上位25位までの言語のデータを見やすくまとめたもの.右隅の列には,1996年出版の Ethnologue 13版に基づく数値を比較のために添えた( Graddol, p. 8 から埋められた部分のみ).Hindi については,Hindi と Urdu を一つとして扱った場合の数値をかっこ内に示した.
| Rank | Language | Primary Country | Countries | Speakers (16th ed, 2009) | (13th ed, 1996) |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | Chinese | China | 31 | 1,213 million | 1,123 |
| 2 | Spanish | Spain | 44 | 329 | 266 |
| 3 | English | United Kingdom | 112 | 328 | 322 |
| 4 | Arabic | Saudi Arabia | 57 | 221 | 202 |
| 5 | Hindi | India | 20 | 182 (242.6 with Urdu) | (236 with Urdu) |
| 6 | Bengali | Bangladesh | 10 | 181 | 189 |
| 7 | Portuguese | Portugal | 37 | 178 | 170 |
| 8 | Russian | Russian Federation | 33 | 144 | 288 |
| 9 | Japanese | Japan | 25 | 122 | 125 |
| 10 | German | Germany | 43 | 90.3 | 98 |
| 11 | Javanese | Indonesia | 5 | 84.6 | |
| 12 | Lahnda | Pakistan | 8 | 78.3 | |
| 13 | Telugu | India | 10 | 69.8 | |
| 14 | Vietnamese | Viet Nam | 23 | 68.6 | |
| 15 | Marathi | India | 5 | 68.1 | |
| 16 | French | France | 60 | 67.8 | 72 |
| 17 | Korean | South Korea | 33 | 66.3 | |
| 18 | Tamil | India | 17 | 65.7 | |
| 19 | Italian | Italy | 34 | 61.7 | 63 |
| 20 | Urdu | Pakistan | 23 | 60.6 | |
| 21 | Turkish | Turkey | 36 | 50.8 | |
| 22 | Gujarati | India | 20 | 46.5 | |
| 23 | Polish | Poland | 23 | 40.0 | |
| 24 | Malay | Malaysia | 14 | 39.1 | 47 |
| 25 | Bhojpuri | India | 3 | 38.5 |
[2010-01-26-1]の記事で話題にしたように,消滅が危ぶまれる言語は世界中に数多く存在する.消滅が危惧される言語を守ろうという動きは世界中にあるが,政府などから公的な補助を受けるには注目度や優先度が低いというのが現実である.そもそも,ある言語が危険域内にあるかどうか,どのくらいの危険レベルかを判定する客観的な基準がない限り,公的機関が積極的に動くということは想像しにくい.現状としては,危険度の判定にかかわる理論モデルは構築されていない.数々の難問が立ちはだかるのである.
例えば,言語の死という極端な状況すら確定するのが難しいケースがある.通常,話者がゼロになった段階で言語の死が宣告されるが,ある話者が本当に最後の話者であるかどうかはわからない.隣村に数名のこっているかもしれないし,片言であれば話せるという子孫がいるかもしれない.また,非常によく似た言語を話す人が少なからずいる場合,先の言語をこの言語の方言という位置づけでとらえれば,先の言語はまだ死んだとは言い切れないことになる.
言語の死ですら客観的に定義するのが難しいのだから,危険レベルを段階づけることの困難は想像できる.例えば,500人の話者共同体のなかである言語の話者が100人いるという状況と,1000人のなかで200人という状況では,どちらの言語がより危険だろうか.単純に話者数や話者比率の問題でないことは明らかである.共同体の言語に対する態度や,個々の話者の思惑など,考えるべきパラメータはたくさんある.
言語内的な危険度の判定基準の可能性として,語彙や文法項目の摩滅の度合いを測るということは考えられる.消滅に瀕した言語は,使用されないことにより機能が貧弱化してゆく傾向があるからである.だが,消滅に瀕していない言語も「摩滅」と考えられる言語変化を経ることはあり,どれが通常の言語変化でどれが死期に特有の言語変化なのかを定めることは難しそうだ.
参考までに,複数の論者が提案している危険度のレベルとラベルを Crystal (19--21) より紹介する.話者数と話者年齢層を考慮しているものが多いようである.
・ safe, endangered, moribund, extinct (Krauss)
・ viable, viable but small, endangered, nearly extinct, extinct (Kincade)
・ potentially endangered, endangered, seriously endangered, moribund, extinct (Wurm)
・Crystal, David. Language Death. Cambridge: CUP, 2000.
[2010-01-22-1]で世界の言語の数を話題にした.今回は,言語数と各言語の母語話者数との関係を考えてみる.
以下の表は,世界に約6000言語が存在すると仮定し,その母語話者数との関係を一覧にしたものである.これは,1999年版の Ethnologue を参考に,Crystal がまとめたものである (14--15).
| Population of Native Speakers | Number of Languages | % | Cumulative downwards % | Cumulative upwards % |
|---|---|---|---|---|
| more than 100 million | 8 | 0.13 | 99.9 | |
| 10--99.9 million | 72 | 1.2 | 1.3 | 99.8 |
| 1--9.9 million | 239 | 3.9 | 5.2 | 98.6 |
| 100,000--999,999 | 795 | 13.1 | 18.3 | 94.7 |
| 10,000--99,999 | 1,605 | 26.5 | 44.8 | 81.6 |
| 1,000--9,999 | 1,782 | 29.4 | 74.2 | 55.1 |
| 100--999 | 1,075 | 17.7 | 91.9 | 25.7 |
| 10--99 | 302 | 5.0 | 96.9 | 8.0 |
| 1--9 | 181 | 3.0 | 99.9 |
世界に言語はいくつあるか? 論者によって3,000という数から10,000という数まで様々で,一定しない.だが,複数の論者の平均値としてもっともよく耳にする数が,6,000前後である.
だが,なぜ論者によって数値が違うのだろうか.言語は客観的に数えられないものなのだろうか.Crystal は世界の言語の数を正確に把握できない理由を5点挙げている (3--5).
(1) そもそも世界規模の調査が少ない.確かに20世紀後半からは Ethnologue などいくつかの機関が世界的な調査をおこなっているが,こうした試み自体が比較的新しいものであり,世界言語統計は始まったばかりというべきである.
(2) 多くの論者は上記の調査が不完全であることを知っているために,言語数を任意に切り上げたり切り下げたりしがちである.
(3) 消滅する言語の数とそれらが消滅する速度を正確に把握できない.
(4) 新たに発見される言語の数と発見の頻度を正確に把握できない.(もっとも,発見される「新言語」によって世界の言語数が劇的に増えるとは考えにくいので,影響は僅少だろうが.)
(5) ある変種を「言語」 ( language ) とみるか,ある言語の「方言」 ( dialect ) とみるかについて,明確な基準がない.
昨今,世界規模の調査も進められてきており,(1) から (4) の問題点については改善されてゆくだろう.だが,(5) は社会言語学上の古典的な問題であり,解決の糸口がない.
例えば,1990年には Serbo-Croatian という一言語だったものが現在では Serbian, Croatian, Bosnian と三言語に分裂している.言語が変わったわけではなく,旧ユーゴスラビアが政治的に分裂したがゆえの事態である.
同じように,英語が今後ますます多様化してゆくことを考えると,Indian English, Singapore English, Caribbean English などはすべて English から独立した別の言語として数えられるようになるかもしれない.
数えるって難しい.
・Crystal, David. Language Death. Cambridge: CUP, 2000.
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