ある言語の音素一覧は,構造言語学の手法にのっとり,最小対語 (minimal pair) を取り出してゆくことによって作成できることになっている.しかし,その言語のどの変種を対象にするか(英語であれば BrE か AmE かなど),どの音韻理論に基づくかなどによって,様々な音素一覧がある.ただし,ほとんどが細部の違いなので,標題のように英語と日本語を比較する目的には,どの一覧を用いても大きな差はない.以下では,英語の音素一覧には,Gimson (Gimson, A. C. An Introduction to the Pronunciation of English. 1st ed. London: Edward Arnold, 1962.) に基づいた Crystal (237, 242) を参照し,日本語には金田一 (96) を参照した.英語はイギリス英語の容認発音 (RP) を,日本語は全国共通語を対象としている.
英語の音素一覧(20母音+24子音=44音素):
/iː/, /ɪ/, /e/, /æ/, /ʌ/, /ɑː/, /ɒ/, /ɔː/, /ʊ/, /uː/, /ɜː/, /ə/, /eɪ/, /aɪ/, /ɔɪ/, /əʊ/, /aʊ, ɑʊ/, /ɪə/, /eə/, /ʊə/; /p/, /b/, /t/, /d/, /k/, /g/, /ʧ/, /ʤ/, /f/, /v/, /θ/, /ð/, /s/, /z/, /ʃ/, /ʒ/, /h/, /m/, /n/, /ŋ/, /l/, /r/, /w/, /j/
日本語の音素一覧(5母音+16子音+3特殊音素=24音素):
/a/, /i/, /u/, /e/, /o/; /j/, /w/; /k/, /s/, /c/, /t/, /n/, /h/, /m/, /r/, /g/, /ŋ/, /z/, /d/, /b/, /p/; /N/, /T/, /R/
実際には多くの言語の音素一覧を比較すべきだろうが,この音素一覧からだけでもそれぞれの言語音の特徴をある程度は読み取ることができる.以下に情報を付け加えながらコメントする.
・ 母音について,英語は20音素,日本語は5音素と開きがあるが,5母音体系は世界でもっとも普通である.もっと少ないものでは,アラビア語,タガログ語,日本語の琉球方言の3母音,黒海東岸で話されていたウビフ語の2母音という体系がある.日本語では,古代は4母音,上代は8母音と通時的に変化してきた.
・ 子音について,英語は24音素,日本語は16音素で,日本語が比較的少ない.少ないものでは,ハワイ語の8子音,ブーゲンビル島の中部のロトカス語の6子音,多いものでは先に挙げたウビフ語の80子音という驚くべき体系がある.
・ 日本語には摩擦音が少ない./z/ は現代共通語では [dz] と破擦音で実現されるのが普通.また,上代では /h/, /s/ はそれぞれ /p/, /ts/ だったと思われ,摩擦音がまったくなかった可能性がある.一方,英語では摩擦音が充実している.
・ 日本語では,通時的な唇音退化 (delabialisation) を経て,唇音が少ない.後舌高母音も非円唇の [ɯ] で実現される(ただし近年は円唇の調音もおこなわれる).
日本語母語話者にとって英語の発音が難しく感じられる点については,「#268. 現代英語の Liabilities 再訪」 ([2010-01-20-1]) と「#293. 言語の難易度は測れるか」 ([2010-02-14-1]) で簡単に触れた.
(英語)音声学の基礎に関する図表には,以下を参照.
・ 「#19. 母音四辺形」: [2009-05-17-1]
・ 「#118. 母音四辺形ならぬ母音六面体」: [2009-08-23-1]
・ 「#31. 現代英語の子音の音素」: [2009-05-29-1]
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
・ 金田一 春彦 『日本語 新版(上)』 岩波書店,1988年.
RP ( = Received Pronunciation ) 「容認発音」の成立過程について,[2009-11-21-1]の記事「産業革命・農業革命と英語史」で簡単に触れた.RP は,18世紀後半,産業革命・農業革命の間接的な結果として生じた,19世紀には Eton, Harrow, Winchester などのパブリックスクールの発音と結びつけられ,やがて教養層の発音として広く認められるようになった.高い教育を受け RP を身につけた人々は大英帝国の政府官庁や軍隊のなかで権力を占め,RP は権威の言語となった.RP は社会的な変種であり地域的な訛りを含んでいないことから,1920年代,BBC 放送の立ち上げに際して規範的な発音として採用され,ますます人々の耳に触れるようになった.第2次世界大戦中には,BBC を通じて多くの人々に「 RP =自由の声」という印象が植えつけられ,その権威が広まった.
RP が200年にわたって英国内外に築き上げてきた地位は現在でも随所に感じられる.例えば,法廷,議会,英国国教会や他の国家的機関では広く聞かれる.また,イギリス英語をモデルとする EFL 学習者にとっては,事実上,唯一のイギリス発音といってよい.実際に,英国人の RP 話者よりも外国人の RP 話者のほうが多いだろう.さらに,英語研究上,最も注目を浴びてきた変種でもある.
しかし,現代の教養層からは,RP が古い価値観を体現する発音,posh な発音という評価も現われ始めており,かつての RP の絶対的価値は揺らいできている.メディアの発達により地域変種が広く人々の耳に入るようになって,以前よりも抵抗感や不寛容が和らいできたという理由もあろう.[2010-08-04-1]の記事「Estuary English」で見たとおり,他の変種がライバルとして影響力を高めてきているという事情もあるだろう.
Crystal (68) も述べている通り,現在,RP の歴史は下降期に入っているようである.
For the first time since the eighteenth century, the 'prestige accent' has begun to pick up some of the negative aura which traditionally would have been associated only with some kinds of regional speech.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
[2010-07-23-1]の記事で触れたとおり典型的なイギリス英語,とりわけ RP ( Received Pronunciation ) では通常 postvocalic r は発音されない.しかし,語末に non-rhotic r が現れ,直後の語が母音で始まる場合には r が「復活」するリエゾン ( liaison ) が観察される.例えば "My car is very old." や "Necessity is the mother of invention." などでは r が発音されるのが普通である.
「復活」するためには本来的に r がなければならないはずだ.car や mother が語として単独に発音される場合には r は実現されないが,上記の例をみると本来的に語末に r があると想定するのが妥当である.ところが,本来的に r が欠けているにもかかわらず,次の語が母音で始まる場合に r が挿入される場合がある.この場合には,「復活」とは呼べないので「挿入」や「割り込み」 ( intrusion ) と呼ぶことになる.intrusive r は話し言葉では非常に頻繁に生じる.
最もよく知られた例は,law(r) and order や the idea(r) of this だろう.これらの頻度の高い共起表現では,本来的にあるはずのない r が幽霊のように現れる.他には Shah(r) of Persia, Africa(r) and Asia, an area(r) of disagreement, drama(r) and music などがある.また,1語内でも音節の切れ目で r が挿入される awe(r)-inspiring, draw(r)ing などの例がある.類似現象として,India(n) and Pakistan など intrusive n なるものも見られる.
intrusive r は母音連続を避けようとする一種の音便 ( euphony ) と考えることができる.しかし,この解釈だけでは,なぜ挿入されるのが r でなければならないのか,なぜ *"I(r) am a student" など intrusive r が生じ得ない場合があるのかをうまく説明できない.発音のしやすさに基づく euphony だとしても,(1) 頻度の高い共起表現に起こりやすいこと,(2) 特定の母音が関わるときに起こりやすいことの2点を指摘する必要がある.
(2) について考えてみよう.r が「復活」するタイプの語の語末母音は,実は4種類しかない.four, car, fur, mother にそれぞれ含まれる /ɔː/, /ɑː/, /ɜː/, /ə/ である.一方,これらの母音で終わるが「復活」し得ないタイプ,つまり本来的に r が含まれないタイプの語は,数が非常に少ない.例えば law, Shah, sofa などがあるが,/ɜː/ に対応するものはない.したがって,この4種類の母音で終わる語は十中八九,本来的に r をもっている語であり,intrusive r を伴うのが通常である.そこで,本来的な r をもつこれら多数派からの圧力によって,例外に属する law や Shah も intrusive r を伴うようになったと考えられる.ここでは,音素配列 ( phonotactics ) のありやすさ ( likelihood ) が鍵になっているのである.
intrusive r は発音の規範を意識する人々によって非難されることがあるが,当の本人が "the idea(r) of an intrusive r is obnoxious" と r を挿入したりして,規範とは難しきものなるかな ( Crystal, p. 61 ) .
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002. 60--61.
近年イギリスに出現して影響力を広げつつある英語の変種がある.1983年に Rosewarne によって Estuary English 「河口英語」と名付けられた新しい変種で,伝統的な RP (Received Pronunciation) でもなく Cockney でもない独特な中間的な発音をもち,テムズ河口からロンドンへと勢力を広げている.1994年にイギリスの教育長官が学童に Estuary English の発音をやめさせるキャンペーンを張ったくらいだから,その拡大力の強さが知れる.名付け親の Rosewarne によれば,Estuary English は次のように説明されている.
Estuary English, a new accent variety I first described in 1984, is neither Cockney nor RP, but in the middle between these two. 'Estuary English . . . is to be found in its purest form along the seaward banks of the Thames, whither it has drifted from the eastern end of the capital' (leader article in the Independent on Sunday of 18 June 1995). The heartland still lies by the banks of the Thames and its estuary, but it has spread to other areas, as the Sunday Times announced on 14 March 1993 in a front-page headline 'Estuary English sweeps Britain'. Experts on British English agree that it is currently the strongest influence on the standard spoken form and that it could replace RP as the most influential accent in the British Isles. (Rosewarne 1996: 15 quoted in Jenkins 130--31)
英語のお膝元のイギリスで生じている変種なだけに,議論も活発だ.Rosewarne はいずれ RP が Estuary English を飲み込むかあるいは逆のことが起こるのではないかと予想しているが,論者のなかには Estuary English は話者個人内の文体にすぎず,社会的な変種としては存在しないという者も少なくない.University College London の Estuary English では多くの情報や議論が得られる.Varieties of English の "British English" のページにも Estuary English の言語的な特徴などの有用な情報がある.
・ Jenkins, Jennifer. World Englishes: A Resource Book for Students. 2nd ed. London: Routledge, 2009.
・ Rosewarne, D. "Changes in English Pronunciation and Some Implications for Teachers and Non-Native Learners." Speak Out! Newsletter of the IATEFL Pronunciation Special Interest Group. No. 18 (1996): 15--21.
[2010-03-14-1]の記事で controversy のアクセントの位置を問題にした.アクセントの位置を話し始めると種は尽きないが,今回は harass ( harassment も同様)に注目してみる.
この語はフランス語 harasser "to tire out" に由来し,現在では /həˈræs/ と /ˈhærəs/ の二つの発音が聞かれる.LPD で英米の分布をみてみると以下の通りである.

アメリカでは /həˈræs/ が圧倒的である.イギリスでは伝統的なRP発音は /ˈhærəs/ だが,1970年代からイギリスでも /həˈræs/ が聞かれるようになってきたという.イギリスでも若年層でアメリカ型の /həˈræs/ が増えてきていることを考えると,RP型発音が駆逐されるのも時間の問題ということだろう.
先日,京都大学で開かれた英語史研究会の懇親会の場で Glasgow から来られた Jennifer Smith 先生と Jonathan Hope 先生と話していて harass(ment) がどうのこうのという話題になった(すでに半分酔っていたのでどんな文脈だったか失念した).しかし,お二方ともRP型の /ˈhærəs/ で発音していたことを覚えている.実際に後で確認してみたら,やはり /ˈhærəs/ だった.確かに研究者とRPとは結びつきやすいのかもしれないが,RPとそれ以外というのはかなり大雑把な分け方であるし,両先生はそれぞれスコットランドと北部イングランドのご出身ということなので地域差も関与しているかもしれない.また,年齢がパラメータの一つであることも上のグラフから明らかである.最終的には個人レベルの選択ということになるのだろう.
日本語では「ハラスメント」と「ラ」にアクセントを置くので,この英単語の発音を覚えるときに学習者はアメリカ型に第2音節にアクセントを置くことが多いのだろうか.それとも,RP型に「ゲルマンぽく」第1音節にアクセントを置くことが多いのだろうか.第二言語習得論の話題としても興味深そうだ.
私個人としてはアメリカ型の /həˈræs/ で覚えていた.controversy もアメリカ型に /ˈkɑːntrəvɜːsi/ として覚えていたので,なんだかアメリカづいてるらしいぞ・・・.
・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.
controversy 「論争」という語には,英米で標準とされる変種をとってもいくつかの発音がありうる.LPD ( Longman Pronunciation Dictionary ) の記述によると,以下の発音がある.
(BrE) /ˈkɒntəvɜːsi/ or /ˈkɒntəvəsi/: RP ( Received Pronunciation ) で優勢とされる発音.
(BrE) /kənˈtrɒvəsi/: RP 以外で広く使われている発音.教養層では第1音節に第2アクセントをおく発音 /ˌkɒnˈtrɒvəsi/ もきかれる.
(AmE) /ˈkɑːntrəvɜːsi/: 米語では唯一の発音.
AmE では選択肢はないが,BrE ではアクセントを第1音節におくものと第2音節におくものとで variation が見られる.LPD の傾向調査によると,BrE での揺れの度合いは以下の通りである.

イギリスの国民的な机上辞書といわれる COD ( The Concise Oxford English Dictionary. 11th rev. ed. ) を参照してみると,標準変種では /kənˈtrɒvəsi/ は誤りであると記されているが,実際のところ,むしろこちらのほうがよく使われているということになる.しばらく時間が経ち,こちらの発音がさらに優勢になってゆけば,英米変種間の差が明確になることになる.だが,今のところは,BrE では controversy の発音に関する controversy は継続中である.
この問題についておもしろいのは,イギリスで,伝統的な /ˈkɒntəvɜ:si/ と異なる /kənˈtrɒvəsi/ という変種がきかれるようになったとき,後者はアメリカ英語かぶれの崩れた発音であるという認識が一部の BrE 話者に存在したことである ( Algeo 177 ).BrE 話者には AmE 英語を蔑視するという伝統がある.近年は AmE の世界的な影響力のもとにその伝統は弱まってきているとはいうものの,根底には存続していると考えられる.しかし,上で見たようにAmE では,BrE の伝統的な発音に対応する,第1音節に強勢のある発音しか存在しないのであり,この認識には事実の裏付けがない.偏見と直感にすぎなかったわけである.[2010-03-08-1]で触れたように,BrE は保守的で由緒正しく,AmE は革新的にすぎて軽蔑に値するという神話が生きている証拠でもある.実際には,この語の発音に関する限り,BrE こそが第2音節に強勢をおく革新的な発音を生み出したのであった.
アクセントの位置に関連する話題としては,名前動後 ( diatones ) も要参照 ([2009-11-01-1], [2009-11-02-1]).
・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.
・ Soanes, Catherine and Angus Stevenson, eds. Concise Oxford English Dictionary. 11th rev. ed. Oxford: OUP, 2008.
・ Algeo, John. "America is Ruining the English Language." Language Myths. Ed. Laurie Bauer and Peter Trudgill. London: Penguin, 1998. 176--82.
[2009-09-27-1]の記事で,ある言語の長所と短所を言語学的に同定することの難しさについて触れた.ある外国語の難易度は,学習者がすでに獲得している母語との比較においてある程度決まる,ということは経験からいっても広く受け入れられそうだ.しかし,ある言語の習得にかかわる絶対的な難易度というものは言語学的に測ることができるのだろうか.
Andersson によると,この問題は,文法 ( grammar ),語彙 ( vocabulary ),語用 ( rules of usage ) の部門別に考える必要があるという.ここでいう文法とは,統語論,形態論だけでなく音韻論をも含む広い部門のことを指す.それぞれの部門が言語の難易度測定にどのように貢献するか,あるいはしないかを,Andersson に基づいて要約する.
・語彙部門
どの言語でも,習得にもっとも時間のかかるのは語彙である.母語であっても,一生でそのすべての語彙を習得することは不可能である.ここから一般的に,語彙の少ない言語のほうが語彙の多い言語より困難であるといえそうだが,語彙が少なければそれだけ複雑な概念を表現することが難しくなるというコミュニケーション効果の問題が生じるために,語彙の観点のみから言語の難易度を測るということはできそうにない.
・文法部門
音韻については,区別される音素の数が少ないほど易しい言語といえる.5母音システムをもつ標準日本語と20母音システムをもつ英語の RP (see [2010-01-20-1]) とでは,前者ほうが習得は易しい.
形態・統語については,一般的に総合的な言語 ( synthetic language ) よりも分析的な言語 ( analytic language ) のほうが易しいといえる.この点で,性・数・格といった文法情報が屈折語尾に埋め込まれた古英語の名詞形態論と,そうでない現代英語の形態論とでは,後者のほうがより易しい.
・語用部門
一般に,敬語の使用などに代表される語用論的な規則が少なければ少ないほど言語は易しいといえる.しかし,社会関係を標示する機能はどの言語にも埋め込まれており,その規則の質や量を判定することは難しい.この点では,Esperanto などの人工語は,語用論規則の埋め込みが少ないので,易しいといえるかもしれない.
結論として次のようにいえるだろう.ある言語の習得にかかわる絶対的な難易度は部門別には測定可能かもしれないが,それぞれの部門に付与された難易度が全体のなかでどれだけのウェイトを占めているかを決めることは難しい.この結論を踏まえたうえで,現代英語の特徴 ( see pde_characteristic ) を改めて見直してみたい.
・Andersson, Lars-Gunnar. "Some Languages are Harder than Others." Language Myths. Ed. Laurie Bauer and Peter Trudgill. London: Penguin, 1998. 50--57.
18世紀後半に始まった産業革命と,続いて起こった農業革命は,ヨーロッパの社会構造を大きく変質させた.これほど画期的な出来事が,英語にも影響を及ぼさずにすむはずはない.英語の語彙への影響など,言語体系への影響はもちろんあるが,今回は,特に現代標準発音の形成との関連で両革命を位置づけてみたい.
農業革命は,華々しい産業革命の陰で存在が薄いが,社会構造の変化,さらには英語の標準化に,間接的ながらも著しく貢献した.産業革命により生み出された農業機械による効率の改善,大規模な農地経営の実践により,人々は人類史上初めて農業を制する力をもつに至った.その証拠に,1840年代の大飢饉を最後に,ヨーロッパに本格的な飢饉は訪れていない.
大規模農地経営の進展により,これまでの農村社会の存立基盤であった地主と小作人の関係が崩れ,農村の階級差が解消されるとともに,多くの農民は働く土地を失った.農村に余った人々は,産業革命の落とし子である巨大化した都市へと流入し,都市労働者となった.このように,産業革命と農業革命は,農村から都市へと人々を大量に動かした.
とりわけロンドンには,国中のあらゆる地方から人々が流入した.言語的には,あまたの方言の入り交じる多様性を呈した.一方で,多様性の裏返しとして,異なる方言をもつ人々が意志疎通をはかるための標準語,特に標準発音が発達してきた.こうして発達してきた標準的な英語の発音のうち,社会的なステータスと結びつけられるようになった発音がある.後に RP ( = Received Pronunciation ) 「容認発音」と呼ばれることになる発音である.19世紀末以来 RP は学校教育や BBC でも推奨されてきており,現在に至っている.
RP は現代の英国では多分に "posh" とされるものの,英国外の英語世界ではいまだに権威ある発音とみなされている.アメリカ人も,多くが RP に一目をおいているという.アメリカ発音のプレゼンスに押されながらも,RP は現代の英語世界に一定の影響を及ぼし続けている.そして,その淵源はというと,200年ほど前に生じた産業革命と農業革命にあった.社会変革は,言語の歴史にも影響を与えずにおかない.
・Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Maldon, MA: Blackwell, 2001. 170--72, 185--87.
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