5月17日から20日に,英エリザベス女王が「近くて遠い国」アイルランドへの訪問を果たした.結果的には,アイルランド側にも歓迎され,歴史的な訪問となった.BBC では "Queen makes 'giant leap for British-Irish relations'" を始め多くの記事で今回の訪問が報道されたが,特に象徴的だったのはダブリン城での晩餐会での女王のスピーチだ."Queen offers sympathy to Irish victims of troubles" に動画があるが,エリザベス女王は,報道陣に前もって配布されていたスクリプトにはないアイルランド語の挨拶でスピーチを切り出したのである.Mary McAleese アイルランド大統領がその横で "Wow" と英語の間投詞を連発していたのが印象的である.
英国君主のアイルランド訪問は,女王の祖父 George V が1911年に訪問して以来,100年ぶりのことである.アイルランド共和国の独立以来,初めてのことだ.今回の訪問は,両国の長い不和と苦難の歴史にピリオドを打つには遠いといえども,カンマほどの区切りとなった可能性はある.
ケルトの国としてのアイルランドの歴史は,12世紀以来,イングランドの介入,征服,支配に対するゲールの復興,抵抗,独立の歴史だった.1166年,アイルランド内乱でマクマローがイングランドの Henry II に援助を求めたのが,その後の約800年にわたるアイルランドの苦難の歴史の幕開けだった.Henry II の介入を機にノルマン貴族によるアイルランド支配が進んだが,中世のあいだは支配の及ぶ範囲は中途半端にとどまっていた.14世紀にイングランドが対仏戦争などで疲弊している間にゲールの復興が起こるが,その過程で最も力をつけたのはアイルランド化したイングランド領主,アングロアイリッシュ支配層だった.かれらは両民族をつなぐパイプでもあったが,一方でイングランドの中途半端な同化政策の象徴でもあった.
近代に入り,1541年に Henry VIII が名実ともにアイルランド王に即位すると,アイルランドの完全支配に乗り出す.Elizabeth I まで続くこの Tudor 朝は,イングランドによるアイルランド完全支配の方針を決定づけた.続く Stuart 朝以降もこの方向を踏襲し,特に James I はアイルランドへの植民を奨励することで,同化政策を推し進めた.なかんずく北部アルスターへの植民が奨励されたため,北アイルランドとそれより南の地域との人口・経済・宗教における差が開いた.
英国による同化政策は,1801年,英アイ連合法による連合王国の成立に結実する.連合によって始まった19世紀は,アイルランドにとっては独立の準備の世紀となった.1921年,独立の戦いは英アイ条約の締結をもって終息し,アイルランドは「自由を達成するための自由」を得た.1949年,ついに自由が達成され,アイルランド共和国が正式に誕生した
英国のアイルランド支配の歴史は,アイルランドへの英語の浸透の歴史でもある.アイルランドにおける英語使用は13世紀半ばに始まるが,中世のあいだは Dublin 周辺の東海岸部に限定されていた.拡大が本格化するのは,同化政策がとられた16世紀半ば以降,特に17世紀初めの James I によるイングランドとスコットランドからの植民奨励以降のことである.アングロアイリッシュ支配層の経済的成功が土着ゲールの人々の憧れの的となり「英語=成功の言語」という意識が確立したものと考えられる.19世紀半ばには人口の半数が英語話者となっていたとされる.1845年のジャガイモ大飢饉 ( Great Irish [Potato] Famine ) の頃から,アイルランド語は急速に衰退した.現在アイルランド語は英語と並んでアイルランド共和国の公用語だが,その少数の話者は主として西部の the Gaeltacht に限定されている.
アイルランドに英語が根付いて数百年.女王のアイルランド語によるスピーチの切り出しは,象徴的という語では言い表わせないほどに深く象徴的である.
アイルランド英語に関しては,[2010-03-20-1], [2010-03-21-1]の記事を参照.
・ 波多野 裕造 『物語アイルランドの歴史』 中央公論新社〈中公新書〉,1994年.
・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006. 144--49.
昨日の記事[2010-03-20-1]で,アイルランドのジャガイモ大飢饉 ( Great Irish [Potato] Famine ) を契機として大量のアイルランド人がアメリカへ移住し,アイルランド英語の語法をアメリカ英語へもたらしたかもしれないという話題に触れた.例えば,shall の代わりに will を頻用するという AmE の特徴は,アイルランド英語の語法に由来するのではないかという.
話しをおもしろくするためにあえて歴史の因果関係をこじつけてみると,アイルランドの主食たるジャガイモを襲って大飢饉をもたらした疫病の元凶,Phytophthora infestans という菌こそが,現代米語の I will なる表現を定着させたともいえる.この舌をかみそうな名前の菌は,皮肉なことに北米から運ばれてきたものだった.結果としてみれば,アメリカはアイルランドに菌を送り出し,代わりに大量のアイルランド移民と(おそらく)アイルランド英語語法を迎え入れたことになる.[2009-08-24-1]の「英語を世界語にしたのはクマネズミである」的な強引さではあるが,biohistory of English (?) なる観点からするとストーリーとしておもしろいのではないか.
ところで,BrE では will と shall は主語の人称によって使い分けられるのが規範文法の建前である.それを犯すと誤用のレッテルを貼られる可能性がある.[2010-02-22-1]でみた BBC による誤用ランキングでは,この使い分けは堂々の第7位である.もしこの誤用がアメリカ語法に後押しされているという部分があるのであれば,言語的影響が Irish -> American -> British と回ってきたことによりヒートアップした誤用論争ということになるのかもしれない.
以下に,アイルランド大飢饉について簡単に説明.19世紀ヨーロッパに起こった最大の飢饉.特にジャガイモ依存率の高かったアイルランドでは,1845--49年のジャガイモ疫病による大凶作により,大量の人民が被害を被った.1844年には840万人いた人口が,大飢饉直後の1851年には660万人にまで減っていた.餓死したものも多かったし,北米や英国へ移民したものも多かった.移民は飢饉の期間のみで150万人.それ以降も続いた.下図は,1841--51年の地域別の人口減少率を示す.西部の貧しいエリアが甚大な被害を被ったことがよくわかる.

19世紀半ば,アイルランド大飢饉 ( 1845--48 ) を受けてアイルランド人のアメリカへの大移住 ( The Great Irish Immigration ) が起こった.その結果,いくつかのアイルランド英語の語法がアメリカ英語に持ち込まれ,後にアメリカ語法として定着したという.松浪有編『英語史』によれば,例えば,次のような項目が挙げられている.
・ shall の用法が will にほとんど取って代わられた(早くも1855年頃にすでに確立)
・ the measles などのように定冠詞を用いる用法(アイルランド英語の基層にあるゲール語の影響か)
・ 接頭辞・接尾辞の頻繁な使用( anti-, semi-, -ster, -eer などの接辞による造語は AmE に顕著.このケースではアイルランド英語の影響はあくまで可能性とのこと.)
・ 強意語の多用
いずれも知らなかった.これらの影響が言語事実からどれだけ客観的に裏付けられるのか確認する必要があるが,しばしば指摘される英語の英米差の一端が Irish English に帰せられるとすれば,アメリカ移民史とも関連して興味深い.
・ 松浪 有 編,秋元 実治,河井 迪男,外池 滋生,松浪 有,水鳥 喜喬,村上 隆太,山内 一芳 著 『英語史』 英語学コース[1],1986年,大修館書店.159--60頁.
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