[2009-07-02-1]の記事「#65. 英語における reduplication」の最後で,pp. (= pages) のような子音字の重複 (reduplication) による特殊な複数形について触れた.書きことば限定の表現ということで,これを "graphemic reduplication" と呼んだが,他に探してみると,あまり知られていないものも含めて以下の9種が見つかった.
cc. = chapters
ff. = following pages, lines, etc.
ll. = lines
mm. = messieurs
pp. = pages
qq. = quartos or questions
ss. = sections
SS. = Saints
vv. = verbs, verses, violins, volumes
例えば pp. 100--200 のもとにあるのは,"pages 100 to 200" あるいは "page 100 to page 200" であり,ページという概念を2度想起させるので,<p> の文字を2度重ねるという発想だろう.これは,書きことばに反映された iconicity (図像性)の一種と考えられる([2009-08-18-1]の記事「#113. 言語は世界を写し出す --- iconicity」を参照).
さて,上記の表記を読み下す場合には,chapters, lines, pages などと対応する単語の複数形で発音すればよいのだろうが,ff. などは "and (the) following (pages [lines])" などと発音するのだろうか.手元の辞書では,意味は示されているが,読みは示されていない.
pp. などのようにもとの語句へ容易に展開できる場合には,その表記は略記 (abbreviation) であるとともに表語的 (logographic) であるとみなせる.しかし,ff. のようにもとの語句が必ずしも一意的に定まらない場合には,その表記は表語的というよりは表意的 (ideographic) と呼ぶほうが適切だろう.表意的な表記の特徴は,意味が最重要であり,音(読み)は付随的であるという点にあるから,対応する音(読み)は,言ってしまえばどうでもよい.文字を見て意味をとれれば,必ずしも音読する必要がないのである.[2012-03-04-1]の記事「#1042. 英語におけるの音読みと訓読み」で列挙した i.e. の類も,書きことば専用であり,読みはどうであれ意味がわかればそれでよいという点ではすぐれて表語的であった.
アルファベットは表音文字の最たるものだが (see ##422,423) ,上記のように,省略という動機づけを得て,表語的に用いられる場合もあるし,さらに表意的に用いられる場合すらあることを見た.文字史では,表意文字→表語文字→表音文字と文字体系が発展してきたと説かれるが,典型的な表音文字にあっても,表語文字や表意文字のもつ機能や価値は部分的に保たれているのである.
表語的あるいは表意的な文字体系である漢字に慣れている日本語母語話者にとって,英語の ff. のような用法は驚くに値しないだろう.「窪隆」なる漢熟語を見せられれば,「ワリュウ」とは読めなくとも,くぼんだ所ともりあがった所なのだろうなと意味は推測できるし,「堀室」を「コッシツ」と読めなくとも,地下に掘った部屋かなと想像がつく.
残念ながら出典は失念したのだが,それを知って以来ずっと気になっていた現象がある.ファッション業界の性癖なのか陰謀なのか,衣服を表わす語には形態的な shortening を経ていたり,指小辞 (diminutive) を付加しているものが多いというものである.標題に挙げた bra (< brassiere), panties (< underpants), nightie (< nightdress) はその一部に過ぎないが,特に女性ものに多いように思われる.衣服を表わす語彙が全体的に女性ものに偏っているということはありそうであり,そのために衣服語の短縮傾向も女性ものに偏っているということなのかもしれない.Web3 の -ie 1b にも次のような記述がある.
--- in names of articles of feminine apparel <nightie> <pantie>
ファッション業界は金の動く産業である.業界による商売戦略だろうかと勘ぐったが,それが成功するのであれば,他の業界も同じ技を利用するはずである.この謎に対して,最近読んでいた Foster (143) がなかなか説得力のある説明を与えてくれており,感心した.
A curious linguistic --- or psychological --- feature is that so many names of women's garments exist in a diminutive form (philologically, that is) ending in -ie, or -ies in the plural. Thus 'nightie', 'cammie' (a spoken form current up to the nineteen-twenties for 'camisole', enshrined in the compound 'cami-knickers'), and the unlovely 'combies', in addition to those incidentally mentioned above. The underlying and unconscious motive is possibly to lend an air of childish artlessness to words which are felt to have some element of taboo attached to them. Smallness in itself is of course supposed to be highly desirable by women in anything concerning their figures . . . .
ここで提案されているのは,euphemism の作用と,物理的な小ささを望む欲求と言語的な小ささを望む欲求との iconicity の作用が働いているのではないかということである.前者については,[2010-08-09-1]の記事「#469. euphemism の作り方」の (7) を参照されたい.後者については,[2009-08-18-1]の記事「言語は世界を写し出す --- iconicity」を参照されたい.
いずれにしても,「かわいらしさ」を追求していることは確かだろう.指小辞として -y ではなく -ie の綴字が用いられていることも,ことさらに「かわいらしさ」を演出しているように思える.ここでは,フランス語ゆずりの -e のもつ女性らしさが効いているのではないか.
・ Foster, Brian. The Changing English Language. London: Macmillan, 1968. Harmondsworth: Penguin, 1970.
「言語記号は恣意的である」ということは言語学の初歩で学ぶことである.だが,これは主に音と意味の結びつきが自然的・論理的でないことを示しているのであって,形態が連辞的な関係 ( syntagmatic relation ) に並べられる場合には,必ずしも恣意的であるとはかぎらない.形態論 ( morphlology ) や統語論 ( syntax ) においては,ある関係が言語化されるとき,もとの現実世界における関係がそのまま言語の上に影のように反映されるケースがある.この「言語は世界を写し出す」性質を iconicity 「図像性」と呼ぶ.Aitchison によれば,iconicity は次のように説明される.
Languages inevitably shadow the world, and try to retain this shadowing, it is sometimes claimed. That is, they weakly copy certain external figures, a phenomenon known as iconicity. (164)
具体例として三つの言語現象が挙げられている.
(1) 複数形は単数形よりも長い形態をもつ.例えば,英語では名詞の複数形に s を付加するが,その分,単数形よりも長くなる.これは,現実世界において単数(一つのもの)よりも複数(二つ以上のもの)のほうが「大きい」ことに対応する.
(2) 相を示す形態素は,時制を示す形態素よりも密接に動詞語幹に接辞される.例えば,ラテン語の palpitābat "(he/she/it) was throbbing repeatedly" は,動詞 palpō "(I) stroke" に反復を示す it を付加し,さらに未完了過去を示す ba を付加した形態である.ここでは「反復相 + 未完了過去時制」という順序で接辞が加えられており,その逆ではない.反復の動作という動詞の意味が確定してから時制が付与されるというのが,現実の認知に即した順序である.
(3) Julius Caesar の発したとされる Veni, vidi, vici "I came, I saw, I conquered" は,現実に起こった順番をそのまま言語に写し取った順番になっている.
このような例を見てみると,iconicity は形態論,統語論,意味論の交差点をとらえており,言語の本質的な作用であるように思えてくる.
言語変化の観点から iconicity を考えると次のような意義があるのではないか.現実世界の関係を言語化するときに,その関係をそのまま言語へ写し取るのが自然な発想であるとするならば,ある関係---たとえば名詞の単複---が初めて言語化されるときには,複数形は単数形より長い形態として表される可能性が高い.また,その言語で後に単数形や複数形に関して言語変化が起こる際にも,同じ自然な発想により,単数形よりも複数形の方が形態的に長いという関係が維持される可能性が高い.
iconicity の発想は絶対的な「原理」ではなく,多くの言語にみられる「傾向」にすぎないが,言語の発生および変化に,ある種のパターンを与え得るということは言えそうである.
・Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.
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