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bilingualism - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2012-05-22 15:54

2011-02-17 Thu

#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉 [anglo-norman][writing][bilingualism]

 ノルマン征服によりイングランドの公用語が Old English から Norman French に切り替わった.イングランド内で後者は Anglo-French として発達し,Latin とともにイングランドの主要な書き言葉となった.ノルマン征服後の2世紀ほど,英語は書き言葉として皆無というわけではなかったが,ほとんどが古英語の伝統を引きずった文献の写しであり,当時の生きた中英語が文字として表わされていたわけではない.中英語の話し言葉を映し出す書き言葉としての中英語が本格的に現われてくるには,12世紀後半を待たなければならなかった.それまでは,イングランドの第1の書き言葉といえば英語ではなく,Anglo-French や Latin だったのである.
 一方,ノルマン征服後のイングランドの話し言葉といえば,変わらず英語だった.フランス人である王侯貴族やその関係者は征服後しばらくはフランス語を母語として保持していたと考えられるし,イングランド人でも上流階級と接する機会のある人々は少なからずフランス語を第2言語として習得していただろう.しかし,イングランドの第1の話し言葉といえば英語に違いなかった ( see [2010-11-25-1] ) .
 このように,ノルマン征服後しばらくの間は,イングランドにおける主要な話し言葉と書き言葉とは食い違っていた.12世紀後期において,イングランド人の書き手は普段は英語を話していながら,書くときには Anglo-French を用いるという切り替え術を身につけていたことになる.逆に言えば,12世紀後期までには,Anglo-French の書き手であっても主要な話し言葉は英語だった公算が大きい.Lass and Laing (3) を引用する.

By the early Middle English period, four generations after the Conquest, the high prestige languages in the written/spoken diglossia (though distantly cognate) were 'foreign': normally second and third languages, formally taught and learned. By the late 12th century it is virtually certain --- except in the case of scribes from continuingly bilingual families (and we do not have the information that would allow us to identify them) --- that none of the English scribes writing French were native speakers of French (though some may of course have been coordinate bilinguals). It is certain that none were native speakers of Latin, since after the genesis of the Romance vernaculars in the early centuries of this era it is most unlikely that there were any.


 当時のイングランドの状況を日本の架空の状況に喩えてみれば,普段は日本語で話していながら,書くときには漢文を用いる(ただし中国語での会話は必ずしも得意ではないかもしれない)というような状況だろう.
 12世紀後期イングランドにおける話し言葉と書き言葉の diglossia 「2言語変種使い分け」あるいは bilingualism については,Lass and Laing (p.3, fn. 3) に多くの参考文献が挙げられている.

 ・ Lass, Roger and Margaret Laing. "Interpreting Middle English." Chapter 2 of "A Linguistic Atlas of Early Middle English: Introduction.'' Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laeme1/pdf/Introchap2.pdf .

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2010-03-31 Wed

#338. Norman Conquest 後のイングランドのフランス語母語話者の割合 [french][demography][bilingualism]

 1066年の Norman Conquest の後,イングランドはフランス語を母語とする者たちの支配下に入った.とはいっても,イングランドの居住者の大多数は相変わらずアングロサクソン系であり,フランスから渡ってきた者といえば王侯貴族,そのお仕えの者たち,高位聖職者が主だったが,その数は多くなかった.英語の復権の兆しが見えるまで Norman Conquest から優に300年はかかったが,英語が地下に潜りながらもたくましく生き延びた原因の一つは,英語母語話者の絶対数が圧倒的に多かったことである.では,ノルマン貴族とアングロサクソン庶民の人口比は具体的にはどれくらいだったのだろうか.
 歴史人口統計学をもってしても11世紀後半における人口比を正確に知ることはできない.しかし,Blake によるおよその見積もりは参考になるかもしれない.

It would be reasonable to suggest that the number of native French speakers can never have been greater than 10 per cent of the total population of England, and a more realistic estimate is probably less than 5 per cent. The greatest part of the population in England at this time consisted of the peasants who tilled the land. They probably formed anything between 85 and 90 per cent of all people here, . . . . (107)


 要するにフランス人は人口の約5%を占めたに過ぎないとの見積もりである.さらに Blake は,聖職者階級に入り込んだフランス人の人口比だけをとってもやはり非常に低いと見積もっている.

. . . the number of native French speakers in the clergy at any one time cannot have been very large. Perhaps it amounted to no more than 2 per cent of the total clergy. (108)


 上記の人口統計を含め,当時の社会状況を考察した結果として導き出されるのは,イングランドは真の意味で bilingual ではなかったという主張である.

Although two languages, English and French, were spoken in England, it is doubtful whether it ever became a truly bilingual country. The majority of the population was monolingual and only used English. (109--10)



 "truly bilingual" がどのような状況を指すのかが不明ではあるが,単純に人口の半々がそれぞれの言語を母語としており,かつ他の言語もある程度は理解可能であるという状況のことだと想定すると,中世イングランドを bilingual society とみなす慣習的なとらえ方は不適切ということになる.Blake 的な感覚でいえば,"barely bilingual" くらいの表現が適切なのかもしれない.

 ・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 1996.

Referrer (Inside): [2010-11-25-1]

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2009-06-19 Fri

#52. 複数形の「ズ」は日本語の一部か? [plural][japanese_english][bilingualism]

 先日,街を歩いていて見かけた不動産の広告.

City Towers Toyosu

 開発が進み人気の高まる臨海副都心だが,江東区出身の人間としては驚くばかりである.一昔前は,目立たない街だった・・・.
 さて,この広告が興味深いのは「シティタワーズ豊洲」と「シティタワー有明」の「ズ」の有無である.前者はツインビルで,後者は一つのビルのようである.問題は,複数形の「ズ」が,すでに日本語システムのなかにどう取り込まれているか,あるいは取り込まれる可能性があるかという点である.
 「シティタワーズ豊洲」を名付けた人が日本語母語話者であると想定したとき,その人は英語の city towers を参照したということは間違いない.その名前を採用した背景には,(1) 広告の対象たる一般の日本人(日本語母語話者)が複数としての意味を理解してくれるだろうとの想定,(2) 英語の数の意識にとらわれ,複数の建物ならば「タワーズ」としなければ論理的でないという発想,の両方またはいずれかあったに違いない.
 (1)(2)のいずれにせよ,(おそらく日本語母語話者である)この名付け親は,英語の文法を知っているという意味で bilingual である.(ここでいう bilingual は広い意味であり,実際に英語を実用的に使いこなせるかどうかは問わない.)
 以上の点をふまえつつ,なぜ「シティタワーズ」と名付けたかを順を追って考えてみよう.まず,「シティ」も「タワー」も日本語に定着している借用語であり,それを複合させた「シティタワー」も名前として使えそうだと判断する.次に,ツインタワーであることを強調するために,元言語である英語では city towers というわけだから,その文法にかなうように日本語としても「シティタワーズ」とするほうがよいのではないか.ざっと,このような過程だったと思われる.
 「英語を参照する」という手続きが介入しているという点で,複数形の「ズ」はまだ日本語のシステムの中には取り込まれていないと考えられる.起こっていることは,あくまで bilingual による元言語の文法参照である.
 しかし,このような「ズ」を含む名付けが多くなり,「英語を参照する」途中手続きが省略される日が来たらどうなるだろうか.その場合,「ズ」が複数を示す形態素として日本語システムに取り込まれ,日本語の単語に自由に付加されるようになるのだろう.和語や漢語に「ズ」が付加される例は寡聞にして知らないが,日本語の語彙に取り込まれた英語ベースの借用語に「ズ」が付加される例はある.例えば「レストランズ」などは,英語の restaurants を経由しているとは思えず,日本語表現とみなすべきだろう.また,バンド名やグループ名などの「ズ」は,基体が和語だろうが漢語だろうが,おそらく付加してもおかしくないのではないか.
 いつしか「ズ」が歴とした日本語の形態素として確立するかもしれない.数年あるいは数十年のスパンで見守っていきたい.

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