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2010-02-09 Tue
■ #288. Bo の最後の話者,亡くなる [language_death][origin_of_language]
2月4日,インド,アンダマン諸島 ( the Andaman Islands ) の Bo という言語の最後の話者 Boa Sr が約85歳で亡くなったという記事が BBC News - Last speaker of ancient language of Bo dies in India で報道された.Boa Sr は30年以上のあいだ Bo の最後の話者として,言語学者によってその言語が記録されてきた.同記事のページでは,録音の一部を聴くことができる.
アンダマン諸島ではこの3ヶ月で二つの言語が滅びたとされており,[2010-01-26-1]で見たとおり深刻なスピードで言語が失われていることがわかる.このことが憂慮すべきことであることは[2010-01-29-1]でも話題にした.Bo の消失に関する同記事でも,以下のように憂慮が表明されている.
Boa Sr's death was a loss for intellectuals wanting to study more about the origins of ancient languages, because they had lost "a vital piece of the jigsaw"
だが,上記引用文の "ancient languages" や,次の引用文にも趣旨の不明な点が現れる.
"It is generally believed that all Andamanese languages might be the last representatives of those languages which go back to pre-Neolithic times," Professor Abbi said. "The Andamanese are believed to be among our earliest ancestors."
私はアンダマン諸島の諸言語に関する知識はまったくない.しかし,アンダマン諸語が新石器時代以前にさかのぼる言語の最後の代表選手だという主張に首をかしげざるを得ない.アンダマン諸語は7万年前から話されているアフリカに起源をもつ言語群と考えられているが,言語単一起源説 ( monogenesis or the Mother Tongue theory; for this see The Origin of Language ) を採るかどうかは別にしても,世界中の他の多くの言語も同じくらい昔に遡るのではないか.現代の日本語や英語も,究極的には同じくらい古い言語から発展してきたものではないか.こう考えると,あえてアンダマン諸語を「新石器時代以前にさかのぼる言語の最後の代表選手」と取り立てる理由は何かということになってくる.
人類学や言語学の分野で,アンダマン諸島の言語文化を解明すれば,原初のアフリカ文化(すなわち人類文化?)の一部を復元することができるかもしれないという期待があることは間違いないだろう.ここには「アンダマン諸語は7万年の間,他言語の影響をほとんど受けておらず,原初の形態に近い pure な形態を保持している」という前提があるように思われる.しかし,それは本当だろうか? アンダマン諸語の担い手が遠路アフリカからやってきたとするならば,移動の過程で他言語と接触しなかったということは想像しにくい.また,言語内的な原因による言語変化が7万年のあいだにまったく起こらなかったということは考えられない.
言語の死は大問題であると人々に啓蒙する上では,Bo の消滅とそれに関する言語学者のコメントが象徴的な意味合いをもっているということは認めるが,アンダマン諸語がとりわけ重要な言語であると示唆する根拠,特に "the last representatives of those languages which go back to pre-Neolithic times" と主張する根拠には疑問が残った.
2010-02-08 Mon
■ #287. 外国語の polysemy は発想の源泉 [etymology][polysemy][grimms_law]
突然だが,質問.銭湯や温泉でよくみかける下の写真のような蛇口を何というだろうか.

答えは
カラン
(←クリック).
最近はあまり見かけないように思うが,子供の頃によく銭湯に通っていた頃には,蛇口にカタカナで書かれていたように記憶している.なんでそんな名前がついているのかなと当時から不思議だったが,天井の高い銭湯の空間に洗面器の音がカラーンと鳴り響くからかなとか,写真にもある洗面器の代名詞ともいうべき「ケロリン」と関係があるのかななどと思っていた.
あるとき,これがオランダ語 kraan から来たものだと知った.西ゲルマン諸語の一つとしてオランダ語と類縁関係にある英語では,これに対応する語 ( cognate ) は crane 「鶴」である.鶴の曲がった首のイメージである.昨日の記事[2010-02-07-1]で触れたとおり,crane は「鶴」「起重機」などを意味する多義語 ( polysemic word ) だが,予想通り英語でも「蛇口」の語義があった.OED によると,「鶴」は古英語から存在し,「起重機」「蛇口」は1375年(『英語語源辞典』では1349年),1634年がそれぞれ初出である.
この語源を知ることのおもしろさは二点ある.一つは,日本語で「鶴」「クレーン」「カラン」というとき,実は語源としては三つの言語が関わっているというということである.もう一つは,英語(とオランダ語)では三つの語義が crane の一語のみでまかなわれていることである.日本語だけでは,鶴とクレーンと蛇口を結びつけるという発想はまず出てこないだろう.だが,英語かオランダ語を修めていれば,いやそこまで行かなくとも語源を調べるだけの力があれば,この発想の井戸に容易にたどり着くことができるのである.この考え方を押し広げると,外国語の多義語はたいてい発想の源泉になり得るということだろう.
ついでに,cranberry 「ツルコケモモ(の実),クランベリー」は,おしべが鶴のくちばしの形に似ていることからそう呼ばれるという.また,pedigree 「家系(図),血統」はフランス語の pied de grue "foot of crane" が中英語に入ったものであり,家系図を鶴の足になぞらえた奇抜な発想に基づく.フランス語 grue 「鶴」自体はラテン語 grūs 「鶴」に由来し,グリムの法則([2009-08-08-1])を介してゲルマン語形 crane や kraan の語頭子音と対応することがわかるだろう.
2010-02-07 Sun
■ #286. homonymy, homophony, homography, polysemy [homonymy][homophony][homography][polysemy]
昨日の記事[2010-02-06-1]で同音異綴 ( homophony ) に触れた.今日は,これとしばしば混同される三つの概念を導入し,比較対照しながらそれぞれの理解を深めたい.
・ homophony ( homohphones )
同音異綴(語).発音は同じだが綴字が異なる語どうしの関係.ex. son, sun
・ homography ( homographs )
同綴異音(語).綴字は同じだが発音が異なる語どうしの関係.ex. bow /bəʊ/ 「弓」, bow /baʊ/ 「お辞儀」
・ homonymy ( homonyms )
同音同綴異義(語).発音も綴字も同じだが意味が異なる語どうしの関係.ex. last 「最後の」, last 「持続する」
・ polysemy ( polysemic words )
多義(語).一つの語が,互いに関連する複数の意味をもっている状態.ex. crane 「鶴」「起重機」
上の四つの概念は,綴字と発音と意味の三者の関係が複雑であり得ることを反映したものである.日本語では「綴字」に対応するものが少なくとも二種類(仮名と漢字)へ区別されるため,あり得る関係の組み合わせは余計に多くなる.
polysemy は,定義をみると,他の三つと比べて異質に感じられるかもしれないが,一緒に掲げたのは homonymy との境目が曖昧なケースが多々あるからである.例に挙げた crane は,歴史的には「鶴」が先にあり,その形状が似ていることに基づく比喩 ( metaphor ) で「起重機」の意味が生じた.歴史的に意味の連続性があるという点で,crane という一形態素(語)に複数の意味が対応するようになった ( polysemy ) と考えるのが自然である.辞書でいえば,立てるべき見出しは crane 一つで済む.一方 last の二つの意味は,歴史的に関係がない.別語源の二つの形態素(語)が,偶然に同じ形態へと合流してしまっただけである.本来的に別の語と考えられるので,辞書では見出しを別々に立てるのが自然である.
しかし,歴史的・語源的に考えた上で辞書の見出しの立て方を決めるのが自然という立場は,無条件に受け入れてよいものだろうか.歴史を知らないと仮定して,共時的な立場から,万人が「鶴」と「起重機」のあいだに関連性を見いだせるかは疑問だし,反対に「最後の」と「持続する」のあいだに意味のつながりを見いだす人がいたとしても不思議ではない.例えば,light weight と light blue における形容詞 light はどうだろうか.歴史的には二つの light は区別されるべきであり,homonymy と呼ぶべき関係である.しかし,共時的には「軽い,薄い,淡い」という意味上の共通点でまとめられるのではないかという主張も可能であり,この場合には polysemy の関係であると言える.
homonymy と polysemy の区別を明確につけることはできないという点を考慮しつつ,以上四つの概念を次のように図示してみた.これは,Görlach の図 (51) をもとに改変を加えたものである

・Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.
2010-02-06 Sat
■ #285. 英語の綴字と漢字の共通点 (2) [writing_system][alphabet][spelling_pronunciation_gap][kanji][homophone]
昨日の記事[2010-02-05-1]の続編.英語の文字体系を漢字と同じ表語文字(正確には表形態素文字)ととらえれば,喧伝されている英語綴字の不条理について,不満が少しは静まるのではないかという話である.
日本語の不便の一つに同音異綴 ( homophony ) がある.例えば「こうし」と仮名で書いた場合,『広辞苑』によればこれは44語に対応する.
子牛・犢,工師,公子,公司,公私,公使,公試,孔子,甲子,交子,交趾・交阯,光子,合志,好士,考試,行死,行使,孝子,孝志,更始,厚志,厚紙,後肢,後翅,後嗣,皇子,皇師,皇嗣,紅脂,紅紫,郊祀,香脂,格子,貢士,貢使,高士,高志,高師,黄紙,皓歯,構思,嚆矢,講師,恋し
発音ではアクセントによって「子牛」と「講師」などは区別がつけられるが,大部分は区別不能である.文脈によって判別できるケースも多いだろうが,何よりも漢字で書けば一発で問題は解決する.これは,漢字の本質的な機能が,音を表すことではなく語(形態素)を表すことにあるからである.
英語では,同音異義はこれほど著しくはないが,やはり存在する.so, sow, sew はいずれも /səʊ/ と発音されるが,語(形態素)としては別々である.通常は文脈によって判別できるだろうが,やはり綴字の違いがありがたい.これも,英語の綴字の機能の一部として,音でなく語(形態素)を表すという役割があるからこそである.ここにも,英語の綴字と漢字の共通点があった.
2010-02-05 Fri
■ #284. 英語の綴字と漢字の共通点 [writing_system][alphabet][spelling_pronunciation_gap][kanji]
日本語の文字体系において,仮名は音(音節)を表し,漢字は主に語を表す.もちろん漢字にも音は付随しているが,通常,仮名のように一対一で音に対応しているわけではない.たとえば,<言>という漢字は /い(う)/, /こと/, /げん/, /ごん/ と複数の音読の仕方がある.日本語の非母語学習者が漢字を覚えるのはさぞかし大変だろうと思うが,非英語母語話者が英語を学習する場合にも,程度の差こそあれ同じような面倒を経験している.
"alphabet" は表音文字と同義に用いられることもあるが,見方によれば,特に英語の alphabet の場合,phonetic どころか phonemic ですらない.これまでにもいくつかの記事で spelling_pronunciation_gap の話題を取り上げてきたように,英語ではある文字がただ一つの音素に対応するということはなく,文字体系は一見めちゃくちゃである.だが,英単語の約84%については綴字が対応規則により予想可能だといわれており (Pinker 187),世間で非難されるほどひどい文字体系ではないという意見もある.
ここで発想を転換して,英語の文字体系は表音文字でなく(漢字と同じ)表語文字である,と考えてみよう.より正確にいえば,語 ( word ) というよりは形態素 ( morpheme ) を表す文字であると考える.たとえば,photograph, photographic, photography という一連の語のそれぞれについて <photograph> の部分を内部分割できない一つのまとまりとして,一文字の漢字であると想像してみよう.いまや <photograph> は「写真,画」を意味する一形態素 {photograph} を表す一漢字であるから,先の3語はそれぞれたとえば <画>, <画ic>, <画y> などと書けることになる.ちょうど漢字の <画> が /か(く)/, /かく/, /が/ など複数の音連鎖に対応しているように,<photograph> が上記3語において /ˈfəʊtəgrɑ:f/, /ˌfəʊtəˈgræf/, /fəˈtɒgrəf/ という複数の音連鎖に対応しており,このこと自体は不思議ではない.音でなく形態素に対応しているがゆえに,photograph, photographic, photography の派生関係や語源的つながりは一目瞭然であり,便利であるともいえる.
このように英語の綴字と漢字には共通点があると考えると,漢字を使いこなす日本人にとって,英語の spelling-pronunciation gap などかわいいものではないだろうか.また,英語母語話者の綴り下手も,日本人の漢字力の衰えと比較すれば合点が行く.
・Pinker, Steven. The Language Instinct: How the Mind Creates Language. New York: W. Morrow, 1994. New York : HarperPerennial, 1995.
2010-02-04 Thu
■ #283. delectable と delight [etymology]
年中行事としては節分の豆まきが終わり,次はバレンタイン・デー ( St Valentine's Day ) という時節になった.英米を中心に恋人たちがカードや贈り物を交わす日として知られているが,日本では女性から男性へチョコレートを贈って愛をうち明けるということが習慣化している.日本のこの習慣は,1958年にメリーのチョコレートが仕掛けた商売に遡るという.
先日,(残念ながらバレンタイン・デーとは無関係に!)いただいたメリーのチョコレート・コレクションの箱に,"Mary's Delectable Products Since 1950" という文言を見つけた.delectable の意味は,英英辞書の定義によると "(of food and drink) extremely pleasant to taste, smell or look at" とある.語源的には「楽しみ,喜び」を意味する delight と関連の深い単語だが,よく調べてみると,このペアが英語に定着するまでの過程が興味深い.
delectable は,ラテン語 dēlectāre "to delight" から派生した形容詞 dēlectābilis に遡り,フランス語 délectable を経て,1396年までに英語に入った.一方,フランス語で語中の子音の脱落していた動詞形 delitier の派生形容詞である delitable も先に英語に借用されていたが,delectable と競合して1500年以降に廃れた.結果としてみれば,現代英語の delectable は,本来のラテン語の形態をほぼ忠実に伝えているといえる.
では,名詞(あるいは動詞)の delight はどうだろうか.上にも述べたように,ラテン語 dēlectāre "to delight" は,フランス語に入って delitier と形態が崩れた.この崩れた形態が1200年までに英語にも入り,中英語期を通じて delite という綴字が行われた.ところが,16世紀初頭に,おそらく light などからの類推で,<gh> の挿入された誤形 delight が生じ,やがて一般化してしまったのである.結果としてみれば,現代英語の delight は,本来のラテン語の形態から崩れたフランス語形が中英語期に取り込まれ,近代英語期に類推によりきわめて英語的な <gh> が黙字 ( silent letter ) として付加された,なれの果ての姿ということになる.二度崩れたとでもいおうか.
品詞こそ異なるが delectable と delight とでは,前者のほうにより洗練された響きを感じるが,いかがだろうか.ブランドのチョコレートとしては,<c> を保った「崩れていない」 delectable がふさわしいと感じられる・・・.
2010-02-03 Wed
■ #282. Sir William Jones,三点の鋭い指摘 [indo-european][family_tree][comparative_linguistics]
1786年,Sir William Jones (1746--1794) が,自ら設立した the Asiatic Society の設立3周年記念で "On the Hindu's" と題する講演を行った.これが比較言語学の嚆矢となった.Jones の以下の一節は,あまりにも有名である.
The Sanskrit language, whatever be its antiquity, is of a wonderful structure; more perfect than the Greek, more copious than the Latin, and more exquisitely refined than either, yet bearing to both of them a stronger affinity, both in the roots of verbs and the forms of grammar, than could possibly have been produced by accident; so strong indeed, that no philologer could examine them all three, without believing them to have sprung from some common source, which, perhaps, no longer exists. (emphasis added)
Jones の洞察の鋭さは,赤字にした三点に見いだすことができる.
(1) Greek,Latin,その他のヨーロッパ語が互いに言語的に関係しているという発想は当時でも珍しくなかった.ヨーロッパの複数の言語を習得している者であれば,その感覚はおぼろげであれ持ち合わせていただろう.だが,Latin, Greek, Hebrew, Arabic, Persian など東洋の言語を含めた多くの言語(生涯28言語を学習したという!)を修めた Jones は,ヨーロッパ語を飛び越えて Sanskrit までもが Latin, Greek などと言語的に関係しているということを見抜くことができた.現代でも,英語(母語人口で世界第二位)とヒンディー語(第三位)が言語的に関係していることを初めて聞かされれば度肝を抜かれるだろうが,Jones の指摘はそれに近い衝撃を後世に与えた.言語ネットワークの広がりがアジア方面にまで伸長したのである.
(2) Jones 以前にヨーロッパ語どうしの言語的類縁に気づいていた人は,主に語彙の類縁のことを話題にしていた.ところが,Jones は文法(特に形態論)どうしも似ているのだと主張した.言語ネットワークに深みという新たな次元が付け加えられたのである.
(3) Jones 以前には,関連する諸言語の生みの親は現存するいずれかの言語だろうと想像されていた.しかし,Jones は鋭い直感をもって,親言語はすでに死んで失われているだろうと踏んだ.この発想は,言語ネットワークが時間という次元を含む立体的なものであり,消える言語もあれば派生して生まれる言語もあるということを前提としていなければ生じ得ない.
Jones 自身はこの発見がそれほどの大発見だとは思っていなかったようで,その後,みずから実証しようと試みた形跡もない.Jones の頭の中に印欧語の系統図([2009-06-17-1])のひな形のようなものがあったとは考えにくいが,彼の広い見識に基づく直感は結果として正しかったことになる.
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| 最終更新時間 | 2010-02-09 06:56 |
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