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日本オーウェル協会が手がけた出版物

日本オーウェル協会が手がけた出版物は3つに分類される。すなわち、Ⅰ.翻訳、Ⅱ.論文集、そして毎年5月に刊行しているⅢ.『オーウェル研究』である。

Ⅰ.翻訳

(1)オードリィ・コパード、バーナード・クリック編・オーウェル会訳 『思い出のオーウェル』(晶文社、1986年2月)

 Audrey Coppard & Bernard Crick編集のOrwell Remembered (British Broadcasting Corporation, 1984) を21人のオーウェル会会員が翻訳した。この本は、1960年11月2日BBCラジオ第三放送の「ジョージ・オーウェル―回想記録」、1971年1月10日BBCテレビの「左翼への道」、1984年はじめにBBCテレビ<アリーナ>で3回にわたり放映された「思い出のオーウェル」を基にし、新聞、雑誌、本などに発表された関係者の回想によって補充したもの。この翻訳は1986年の翻訳出版文化賞を受賞した。(編集委員・大石健太郎、奥山康治、神鳥博之、高橋麻利子、渡利三郎)

(2)『気の向くままに―同時代批評1943-1947年』小野協一監修 オーウェル会訳(彩流社、1997年10月)

 オーウェルは1943年から47年にかけて、『トリビューン(Tribune)』紙に‘As I Please’と題して78本のエッセイを書いている。『トリビューン』紙の他にも『マンチェスター・イヴニング・ニューズ』紙と『デイリー・ヘラルド』紙に‘As I Please’のエッセイとして発表されたものが3編あり、合計81本のエッセイが書かれた。本訳書は、この81本のエッセイと、それに対する読者の投書(反論)を収録している。
翻訳の原典は一橋大学図書館所蔵の『トリビューン』紙から相良英明会員が収録したものを使用した。(編集委員は大石健太郎、奥井裕、奥山康治、相良英明、佐藤義夫で、会員12名が翻訳を担当)


Ⅱ.論文集

(1)『オーウェル――20世紀を超えて』(日本オーウェル協会設立25周年記念論文集) 奥山康治・佐藤義夫編(音羽書房鶴見書店、2002年3月)

筆 者 論文のタイトル
佐藤 義夫 『ビルマの日々』――フローリィにみられるオーウェル的良心
有馬 七郎 『英国教会牧師の娘』における聖書引用
福西 由実子 「ガラス窓」の向こうの人びと――『ウィガン波止場への道』における他者表象
高橋 鍾 『空気を求めて』における神話構造――エピグラフの曖昧性
近藤 直樹 『1984年』に見る宗教観と伝統意識
奥山 康治 『1984年』のディストピア
高井 貴一 『1984年』小考――歴史の改変と権力について
渡辺 愛子 権力崇拝の謎ー―フーコーの権力論から読む『1984年』
村石 恵照 G.オーウェルの自由――王冠・絞首刑・偽善をめぐって
難波 勝平 オーウェル逍遥
大井 靖夫 オーウェルとリチャーズの論争
奥井 裕 オーウェルと宗教
大石 健太郎 オーウェルをめぐる女性たち
渡辺 浩 オーウェルの見たイギリスと世界情勢――「階級」という名のパラダイム
渡利 三郎 スターリン主義とは何だったのか
吉岡 栄一 オーウェルと愛国心
John Brown 1984
Kiichi Takai An Aspect of George Orwell's Outlook on Life-- The Man and His Work: Burmese Days

(2) Yasuharu Okuyama ed., Orwell: A Centenary Tribute from Japan (Sairyusha Publishing Co., 2003)

This is a Tribute from Japan for George Orwell in commemoration of the Centenary of his birth. It is a modest hope of the Editor that this book, the first of its kind to be published east of Burma in English on the author who was born in India and spent four and a half years as an Imperial Policeman in Burma, might shed a light somewhat different from those so far cast under the western eyes.

Okuyama Yasuharu George Orwell in Japan. Books by and on Orwell Published in Japan: Bibliography. The Orwell Archive of Japan
John Brown Animal Farm
Fukunishi Yumiko The Literary Processing of Historical Material in The Road to Wigan Pier
Kondo Naoki Nature and Politics in Nineteen Eighty-Four
Muraishi Esho An East Asian View of Orwell's Attitude towards Religion
Oi Yasuo George Orwell's Burmese Days: An English Policeman Meets a Burmese Student
Oishi Kentaro Orwell in Burma
Okuyama Yasuharu Patriotism and Political Heresy: Orwell and Esperantists
Sato Yoshio Burmese Days vs. A Passage to India: The Prestige of the English People
Takahashi Atsumu Ambiguity in the Epigraph to Coming Up for Air: Irony of the Cyclical Structure as a Rebirth Story
Takai Kiichi A Short Essay on Nineteen Eighty-Four: On Modification of History and On Power in Politics
Watanabe Hiroshi What Killed Flory?: Intrinsic Power and Accusation of Imperialism in Burma
Yoshioka Eiichi Orwell and Conrad

巻末には「日本オーウェル・アーカイヴ」(早稲田大学図書館特別資料室内)所蔵の図書・資料リストが付けられている。


(3)日本オーウェル協会企画『オーウェルと旅』佐藤 義夫編(音羽書房鶴見書店、2013年11月)

日本オーウェル協会は毎年5月に『オーウェル研究』という小冊子を出版している。2015年5月に第30号が出版された。これを記念して何か本を出版しなければという思いに駆られて『オーウェルと旅』が出版された。論文集というと堅苦しいものになるので、オーウェルについて私たちが日頃思っていることを執筆してみようとして生まれたのがこの本である。

まえがき「35年の努力を讃えて」 ピーター・ディヴィソン
(泉 順子訳)
1.「オーウェル・18歳の週末」再考 難波 勝平
2.「貧しき者の最期」における「私」の体験、視点、死 泉 順子
3.「旅支度」―――『パリ・ロンドン放浪記』をめぐって 鷲野 博文
4.『ウィガン波止場への道』―― 社会主義者への道  佐藤 義夫
5. 革命という場、〈クイア〉な情景 ――『カタロニア讃歌』再考 福西 由実子
6.『空気を求めて』――「イギリスの状況」小説  近藤 直樹
7. オーウェルとの旅 ――『動物農場』を読みながら 前津 朋子
8.『一九八四年』、ジュラ島、そして原爆 大木 ゆみ
9.『一九八四年』ユートピアの旅 中村 麻美
10.「ガンジーについての感想」試論 ―― オーウェル文学の集大成、あるいは遺書 奥井 裕
11.〈ルポ〉ジョージ・オーウェルのビルマ ―― 実地踏査の旅  大石 健太郎
12.〈ルポ〉『動物農場』再考 ――「農事組合法人ファーム布施」の試み 高橋 鍾
13.〈創作〉もし新左翼の活動家がオーウェルの
『動物農場』を読んだら
西川 伸一
あとがき 佐藤 義夫

Ⅲ.『オーウェル研究』第1号~第39号

『オーウェル研究』は日本オーウェル協会が日常活動としてもっとも力を注いでいる出版物で毎年5月に出版されている。以下にその目録を挙げる

巻数 研究テーマ 著者名 論文名
1 オーウェルと私 小野協一 (この巻は各論文 無題)
(1982・05) 奥山康治
  甲斐 弦
川成 洋
小滝奎子
高井貴一
高山誠太郎
羽深幸男
牧 雅夫
三澤佳子
宮本靖介
2 オーウェルへの手紙 有馬七郎 (この巻は各論文 無題)
(1983・05) 小野協一
  奥山康治
甲斐 弦
神鳥博之
川成 洋
小滝奎子
佐藤義夫
鈴木建三
高井貴一
高橋麻利子
高山誠太郎
長谷恒雄
羽深幸男
牧 雅夫
三澤佳子
宮本靖介
渡利三郎
大石健太郎
3 特集『1984年』 有馬七郎 『1984年』
(1984・05) 小野協一 The Last Man in Europe
  大石健太郎 1984年とオーウェル
奥山康治 自然主義小説『1984年』
甲斐 弦 『1984年』と日本
神鳥博之 1984年
川成 洋 昨今の『1984年』論管見
小滝奎子 『1984年』―そのブームについて
佐藤義夫 『1984年』―アイデンティティの
喪失
鈴木建三 『1984年』について語らない理由
高井貴一 『1984年』のメッセージ
高橋麻利子 The Spirit of Manに託された人間の未来
高山誠太郎 『1984年』の読みの変化
難波勝平 ガンジー+オーウェル=
長谷恒雄 『1984年』―スターリンの<本音>による想像的画像
羽深幸男 小説『1984年』について想う
牧 雅夫 ニュースピークを学ぼう
三澤佳子 『1984年』について
宮本靖介 『1984年』について
吉岡栄一 1984年・静脈性潰瘍の世界
渡利三郎 オーウェルとトロツキー
4 エッセイ 有馬七郎 「貧しき者の最後」の現代的意義
(1985・05) 小野協一 「ナショナリズム覚え書き」
  大石健太郎 「象を射つ」たオーウェル
奥山康治 「ブレイの牧師を弁護する」
甲斐 弦 「象を射つ」について
神鳥博之 デヴィルズ・アドヴォケイト―または人権の擁護者
川成 洋 弁護士ジョージ・オーウェル
小滝奎子 Some Thoughts on the Common Toadについて
佐藤義夫 「象を撃つ」
坂口 昇 A Hangingの新たな衝撃
鈴木建三 「リヤ王、トルストイ、道化」
高井貴一 オーウェルの自然観―「ひきがえる頌」について
高橋麻利子 Why I Write
高山誠太郎 「リア王、トルストイ、道化」
難波勝平 ティーボウ王と「ブレイの牧師への誉め言葉」
羽深幸男 「ナショナリズム覚え書」
本多英明 「右であれ左であれ、わが祖国」
牧 雅夫 「リアとトルストイと道化」
三澤佳子 「アーサー・ケストラー論」
について
宮本靖介 「ガンジー再考」
吉岡栄一 「なぜ書くか」とオーウェルの
文学観
渡利三郎 作家とレヴァイアサン
5 オーウェル論の諸相 有馬七郎 ロバート A.リー著 『オーウェルの小説』を読んで
(1986・05) 小野協一 レイモンド・ウィリアムズ 「1984年の『1984年』」
  大石健太郎 アングリー・ヤング・メンとオーウェル
奥山康治 オーウェルの「人と作品」
甲斐 弦 研究の研究
神鳥博之 ジョン・ウェインのオーウェル論
小滝奎子 ジャシンサ・バディコム『オーウェルと私たち』
佐藤義夫 T.R.ファイヴル『ジョージ・オーウェル―個人的回想』
鈴木建三 オーウェルに関する外国のエッセイについて書かない理由。またしても!
高井貴一 T.ホプキンソンのパンフレット
高橋麻利子 モラリストとしての作家オーウェル
高山誠太郎 N.チョムスキー
難波勝平 政治と宗教と文学と
長谷恒雄 シモン・レイ『オーウェル、あるいは政治恐怖症』
羽深幸男 R.ウィリアムズ編『ジョージ・オーウェル』とM.グロス編『ジョージ・オーウェルの世界』
本多英明 J.マイヤーズ『読者のためのジョージ・オーウェル案内』
牧 雅夫 小野協一『ジョージ・オーウェル』
三澤佳子 ジョン・ウェインの「オーウェル論」
宮本靖介 スタンスキー&エイブラハムズ『オーウェル―変貌』
吉岡栄一 オーウェル研究にみる最近のフェミニスト的文学批評
渡利三郎 D.スミス&M.モンヤー『初心者のためのオーウェル』
6 初期の小説 有馬七郎 『ビルマの日々』における芸術性
(1987・05) 小野協一 『ビルマの日々』の結末
  大石健太郎 『ビルマの日々』寸感
奥山康治 新『ビルマの日々』
甲斐 弦 静かなる前進
小滝奎子 Burmese Days
佐藤義夫 『パリ・ロンドン零落記』
鈴木建三 オーウェルの初期の小説について、その他
高井貴一 『ビルマの日々』―人間らしく生きるための戦い
高橋麻利子 『牧師の娘』第4章に見るOrwellの教育観
高山誠太郎 『牧師の娘』の逆行性健忘症
難波勝平 『ビルマの日々』をお気に召すまま
長谷恒雄 『ビルマの日々』について
羽深幸男 小説『ビルマの日々』読後感
牧 雅夫 良識者オーウェル
三澤佳子 わが友ドロシーについて
宮本靖介 『ビルマの日々』と『空気を
吸いに』
吉岡栄一 『ビルマの日々』の<特権>
と<排除>
渡利三郎 Bitternessをもう少し
7 ノンフィクション 吉岡栄一 『カタロニア讃歌』雑感
(1988・05) 渡利三郎 「五月事件」直前のバルセロナ
  高山誠太郎 再び『カタロニア讃歌』
高井貴一 においとオーウェル
佐藤義夫 『カタロニア讃歌』
相良英明 『カタロニア讃歌』―ルポルタージュとしての文学的価値
小野協一 スペイン内戦とは何だったのか?
奥山康治 『ウィガン・ピアへの道』第II部は蛇足か
大石健太郎 『ウィガン・ピアへの道』―オーウェル流社会主義の主張―
難波勝平 回心への道―ウィガン・ピア
宮本靖介 『ウィガン・ピアへの道』
三澤佳子 『カタロニア讃歌』の報告者
牧 雅夫 オーウェルとノンフィクション
小滝奎子 Homage to Catalonia
羽深幸男 The Road to Wigan Pier雑感
有馬七郎 『カタロニア讃歌』における人間らしさ
秋山安永 Homage to Catalonia について
8 後期の小説 有馬七郎 『動物農場』における不変と変貌
(1989・05) 羽深幸男 The Last Man in Europe考
  甲斐 弦 醒め過ぎた眼
小滝奎子 『空気を吸いに』
牧 雅夫 おとぎ話『動物農場』
三澤佳子 いま、『空気を求めて』
宮本靖介 オーウェルの後期の小説
難波勝平 体に流れる生命の水を
大石健太郎 「諷刺」としての『動物農場』、「寓話」としての『動物農場』
大山麻利子 Coming Up for Airをめぐって
奥山康治 パロディとしての『空気を求めて』
小野協一 是非善悪―ふたたび『1984年』について
相良英明 『動物農場』小論
佐藤義夫 『動物農場』―裏切られた革命
高井貴一 オーウェルの後期作品について
高山誠太郎 『空気を求めて』に寄せて
吉岡栄一 『動物農場』におけるアニマル・イメージャリー―ネコは敵なのか味方なのか?
9 オーウェルと知識人 吉岡栄一 オーウェルの知識人像
(1990・05) 渡利三郎 最後の知識人
  高山誠太郎 オーウェルとモーム
高井貴一 義務遂行と人間性
佐藤義夫 G.オーウェルとT.R.ファイヴェル
相良英明 権力者としての知識階級―『1984年』の知識人
大石健太郎 オーウェルと知識人・オーウェルも知識人
小野協一 オーウェルの「スペイン」批判
奥山康治 <知識人>嫌い
難波勝平 忘れるには惜しい人たち
三澤佳子 知識人さまざま
牧 雅夫 オーウェルとヘンリー・ミラー
小滝奎子 George OrwellとD.H.Lawrence―その階級意識を中心として
甲斐 弦 劣等感と優越感
長谷恒雄 オーウェル的知識人―ウィンストン・スミスを超えて
羽深幸男 知識人と"nationalism"
有馬七郎 オーウェルとチェスタートン
10 (無題) 有馬七郎 『動物農場』と聖書
(1991・05) 羽深幸男 1938年3月下旬から9月下旬までのこと
  小滝奎子 ジョージ・オーウェルとエリック・ブレア―生と死に関連して
牧 雅夫 オーウェルとベーシック・イングリッシュネス
三澤佳子 オーウェルと書誌覚え書
難波勝平 人間の絆・作家の絆
奥山康治 偶然と必然の糸:オーウェル研究―たどってきた道
小野協一 『1984年』拾遺
大石健太郎 オーウェル遍歴○記
佐藤義夫 オーウェルの宗教観
高井貴一 意見の相違とNecessary Murder
高山誠太郎 オーウェルとトフラー
吉岡栄一 オーウェルとコンラッド
11 『1984年』以降 吉岡栄一 『一九八四年』以降―プロレは勝利の歌を歌えるのか?
(1992・05) 宮本靖介 『一九八四年』以降
  三澤佳子 After 1984 雑感
牧 雅夫 木を見て森を見ない
羽深幸男 スエーデンの「シェルター」建設プロジェクトについて思ったこと
難波勝平 『1984年』の出発点―人間の絆・作家の絆(2)
高山誠太郎 『1984年』以降―『神の風車』の出現
高井貴一 G.オーウェルの自然観と
「生命の流れ」
佐藤義夫 『一九八四年』以降
相良英明 『1984年』とロック・ミュージック
小滝奎子 今、『動物農場』と『1984年』を
読む
小野協一 After 1984 Comes 1985
奥山康治 『1984年』―エゴイズムと愛
大石健太郎 1984年以降
有馬七郎 オーウェルの遺産
―嘘をつかないこと
12 意外なオーウェル 有馬七郎 ユダヤ人の友人たち
(1993・05) 大石健太郎 オーウェル暴論
  奥山康治 エリック・ブレア―優秀な官僚
小野協一 千年の孤独―「新造語」を読んで
大山麻利子 オーウェルとマン
小滝奎子 Animal Farm出版前後
佐藤義夫 オーウェルとユダヤ人
高井貴一 意外なオーウェル
高山誠太郎 オーウェルの意外性
難波勝平 時代を視る・人間を視る
服部純子 意外なオーウェル
牧 雅夫 オーウェルにどこまでわかっていたか?
吉岡栄一 オーウェルとポストコロニアル批評
13 オーウェルと信仰 吉岡栄一 オーウェルの宗教観
(1994・05) 高山誠太郎 オーウェルの死にまつわる話
  高井貴一 G.オーウェルと信仰について
佐藤義夫 オーウェルのジレンマ
小野協一 『牧師の娘』再読
奥山康治 <自由・平等・愛>
奥井裕 オーウェルと宗教
大石健太郎 オーウェルと宗教
難波勝平 政治と宗教の構図
宮本靖介 オーウェルと信仰
三澤佳子 失ったもの、残ったもの
小滝奎子 オーウェルの信仰―意識された神
服部純子 宗教と歴史のはざまで
有馬七郎 オーウェルと信仰
14 オーウェルと・・・ 有馬七郎 オーウェルとジョイス
(1995・05) 服部純子 オーウェルとJ.ロンドン
  小滝奎子 George OrwellとJ. M. Murry
牧 雅夫 オーウェルと芥川龍之介
三澤佳子 オーウェルとフォースター
宮本靖介 オーウェルとグレアム・グリーン
難波勝平 E.. M.フォースターとハイエクとラスキンとオーウェル
奥井裕 オーウェルとモーム
奥山康治 オーウェルとウォーと過去
小野協一 『1984年』と『民主主義の終わり』
大山麻利子 オーウェルと大江健三郎氏をめぐって
佐藤義夫 A.ケストラーとG.オーウェル
高橋 鍾 オーウェルとB.ハインズ
高井貴一 G.オーウェルとD.H.ロレンス
吉岡栄一 オーウェルと開高健
大石健太郎 ビルマにオーウェルの足跡を辿って
15 As I Please 吉岡栄一 脱植民地主義と日射病という迷信
(1996・05) 高橋 鍾 As I Please―「ブレインズ・トラスト」の自由
  高井貴一 トリビューン紙の編集方針とG.オーウェルの評論
関口正和 「私の好きなように」
佐藤義夫 「筆の向くままに」
小野協一 As I Please通覧
奥山康治 オーウェル―20世紀英国「最高」のエッセイスト
奥井 裕 「気の向くままに」
大石健太郎 「アズ・アイ・プリーズド」
難波勝平 私も好きなように
宮本靖介 「私の好きなように」
三澤佳子 As I Please―「ブレインズ・トラスト」の自由
服部純子 オーウェルの変貌
有馬七郎 As I Please雑感
16 オーウェルと社会
主義
有馬七郎 社会主義への期待と失望
(1997・05) John Brown Orwell and Socialism
  牧 雅夫 オーウェルと社会主義
三澤佳子 オーウェルと社会主義
難波勝平 オーウェル・18歳の週末
大石健太郎 オーウェルと社会主義
奥井 裕 社会主義とは何か
奥山康治 異端と正統
小野協一 オーウェルの社会主義―The Lion and the Unicornについて
佐藤義夫 オーウェルと社会主義
高井貴一 G.オーウェルの社会主義思想の一端
高橋 鍾 オーウェルの社会主義
吉岡栄一 オーウェルと社会主義
17 オーウェルの矛盾 吉岡栄一 オーウェルは社会主義者か?
(1998・05) 渡辺 浩 平和主義者と愛国者との狭間で
  高橋 鍾 オーウェルの矛盾―あるいは曖昧さ
高井貴一 感情と理性のはざまで
関口正和 『1984年』管見
島村 大 オーウェルに矛盾はあるのか?
佐藤義夫 ちぐはぐなオーウェル
小野協一 ナショナリズムをめぐって
奥山康治 オーウェル―民主的社会主義的
愛国者
奥井 裕 オーウェルは矛盾の多い作家か?
大石健太郎 オーウェルの矛盾
難波勝平 恩師ハックスリー―『目的と手段』をめぐって
三澤佳子 オーウェルの矛盾
近藤直樹 オーウェルの矛盾
John Brown Orwell and Contradiction
有馬七郎 オーウェルの矛盾に事寄せて
18 オーウェルと・・・ 青木勝巳 オーウェルとその原点
(1999・05) 有馬七郎 オーウェルと英語
  John Brown Orwell & Private Schools
近藤直樹 オーウェルと自然
三澤佳子 オーウェルと「理想の家庭」
茂市順子 George Orwell と Leonard Woolf
難波勝平 オーウェルと"マグニフィセント・ファイブ"
大石健太郎 オーウェルと五感
奥山康治 オーウェルと書評
小野協一 オーウェルと21世紀
相良英明 オーウェルとイギリスのホームレス
佐藤義夫 オーウェルと人生の喜び
関口正和 オーウェルと御用書評
高井貴一 オーウェルの文章表現について―その一端―
高橋 鍾 Orwellと一人称小説
埋橋正秋 オーウェルはヒューマニストか
渡辺愛子 オーウェルと大衆文化
渡辺三郎 オーウェルと「大地と自由」
吉岡栄一 オーウェルとコンラッド再考
19 オーウェルと
イングリッシュネス
吉岡栄一 オーウェルと帝国意識
(2000・05) 渡辺 浩 オーウェルとEnglishness―本人が分析したイギリスらしさ
  渡辺愛子 オーウェルのEnglishness
埋橋正秋 A Hanging 私論
高井貴一 オーウェルのものの見方―節制と欲望について
佐藤義夫 オーウェルとEnglishness
奥山康治 オーウェルと魚釣り
大石健太郎 オーウェル、
その『イングランド的』なるもの
難波勝平 『イギリス国民の最良の時』
―チャーチルをめぐって
近藤直樹 オーウェルのEnglishness
John Brown Orwell and Englishness
有馬七郎 オーウェルのイギリス観
20 20世紀を超えて 有馬七郎 21世紀のオーウェルを読む楽しみ
(2001・05) John Brown Orwell in the 21st Century
  福西由実子 オーウェルと他者表象
長谷恒雄 開高健のオーウェル
片岡朋子 20世紀の「偉大な遺産」オーウェル
近藤直樹 オーウェル―20世紀を超えて
難波勝平 「時計は13時をうっていた」
―「事実」を追って
大石健太郎 21世紀のオーウェル
奥山康治 暴力と非暴力
相良英明 オーウェル―20世紀を超えて
佐藤義夫 オーウェルとナショナリズム
高橋 鍾 オーウェル―20世紀を超えて
埋橋正秋 正義と行動力
渡辺 浩 真実を見つめる目と反全体主義
吉岡栄一 小説家の予言
21 事実と虚構 吉岡栄一 「象を撃つ」のフィクショナルな
「私」
(2002・05) 渡辺 浩 「真実」を探るための
「事実」と「虚構」
  埋橋正秋 Animal Farm と私 
高橋 鍾 オーウェル―事実と虚構
高井貴一 オーウェルのノンフィクション
佐藤義夫 『パリ・ロンドン放浪記』
―事実と虚構
奥山康治 オーウェル―事実皮膜の間
大石健太郎 ジョージ・オーウェル―事実と虚構
難波勝平 『動物農場』の事実と虚構の間に
茂市順子 『ウィガン波止場への道』―一つの事実から映し出される「真実」
片岡朋子 オーウェルのレンズが捉える「エッセンス」
福西由実子 <事実>伝達の相対性をめぐって―『カタロニア讃歌』にみられるスペイン内戦報道批判
有馬七郎 虚構としてのキリスト教信仰
22 オーウェル―私の好きな作品 有馬七郎 雄豚メイジャー雑感
(2003・05) John Brown The lower classes smell
  片岡朋子 召しませ、一杯のおいしい紅茶
近藤直樹 オーウェル―私の好きな作品
難波勝平 オーウェルへの賛歌
大石健太郎 オーウェル・私の好きな作品
奥山康治 ラジオ・ドラマ台本「クランクビーユ」
佐藤義夫 私の好きな作品『パリ・ロンドン放浪記』
高井貴一 私の好きな作品、
『カタロニア讃歌』と『動物農場』
高橋 鍾 オーウェル―私の好きな作品
寺島正尚 「イギリス料理の弁護」
渡辺 浩 オーウェルとの出会い
吉岡栄一 『ビルマの日々』と帝国主義
23 オーウェル100歳―常識と非常識 小野協一 ジョージ・オーウェル―20世紀を超えられるか(遺稿)
(2004・05) 吉岡栄一 オーウェルの左翼知識人嫌い
  渡辺 浩 常識と非常識の狭間で
鷺野博文 黄金郷の断片―現代社会での常識と非常識
高橋 鍾 オーウェルをめぐる常識
高井貴一 トルストイとシェークスピア
佐藤義夫 オーウェルの乞食擁護論
奥山康治 オーウェル―非常識と中庸
大石健太郎 オーウェルの常識、非常識
難波勝平 オーウェルとB・ラッセル
茂市順子 市民と共に―「フリンジ」流のオーウェル生誕100周年記念
近藤直樹 常識と非常識―オーウェルの場合
John Brown Propaganda and War
有馬七郎 オーウェルの非常識な側面
24 オーウェルと伝記 有馬七郎 遺言をめぐる友人たちの混乱と伝記作者たちの誤解
(2005・05) John Brown We all live in the same hypocrisy
  近藤直樹 メイヤーズのオーウェル伝を
めぐって
茂市順子 伝記の「正当性」
難波勝平 オーウェルとマルクス主義を
めぐって
大石健太郎 オーウェルとその伝記
奥山康治 オーウェル・伝記・事実・真実
本田康典 オーウェルとヘンリー・ミラー:
『葉蘭をそよがせよ』をめぐって
佐藤義夫 オーウェルと伝記――就職か大学かの進路をめぐって
高井貴一 オーウェルと伝記
高橋 鍾 オーウェルとその伝記
吉岡栄一 オーウェルと伝記的批評の陥穽
25 オーウェルと旅

オーウェルと手紙

大石健太郎 モロッコのオーウェル
(2006・05) 吉岡栄一 オーウェルとマラケシュ
 

 

 

 

 

 

寺嶋正尚 オーウェルと手紙
高橋 鍾 オーウェルと(時空を超えた)旅
高井貴一 オーウェルのウッドコックへの手紙
佐藤義夫 ドワイト・マクドナルドへの手紙――『動物農場』執筆の意図
奥山康治 オーウェルと手紙
難波勝平 オーウェル逍遥 ガンジー篇
近藤直樹 旅と手紙――アイリーン・ブレアの死をめぐって
John Brown Tramps and Beggars (See Collected Works, Vol. XI, Nos. 83 & 84)
有馬七郎 オーウェル書簡雑感
26 オーウェルと教育 有馬七郎 伝統と自我の葛藤――それは少年時代に芽生えていた
(2007・05) 大石健太郎 オーウェルと教育
  大木ゆみ オーウェルの受験
奥山康治 オーウェルと教育
近藤直樹 オーウェルと教育――「喜びはかくばかり」について
佐藤義夫 オーウェルの教育
高井貴一 オーウェルと教育
難波勝平 パラドックスのオーウェル
前津朋子 オーウェルと花森安治
茂市順子 読書に秘められた思い――『空気をもとめて』をめぐる一考察
吉岡栄一 オーウェル――有能な軍事教練者
渡辺 浩 オーウェルと教育的姿勢
27 オーウェルと平和主義
オーウェルとドキュメンタリー
渡辺 浩 オーウェルと平和主義(ガンジー主義への考察を通して)
(2008・04) 吉岡栄一 オーウェルと平和主義
  高橋 鍾 オーウェルとドキュメンタリー
高井喜一 オーウェルとドキュメンタリー
佐藤義夫 『カタロニア讃歌』――カタロニア電話局襲撃事件の真相
奥山康治 「平和主義」と「パシフィスト」
大木ゆみ 闘い続けた男
大石健太郎 オーウェルと平和主義
難波勝平 オーウェルと平和主義
近藤直樹 「マラケシュ」をどう読むか
有島七郎 オーウェルの平和主義批判
28 オーウェルと戦争 有馬七郎 オーウェルの戦争観
(2009・04) 大石健太郎 好戦論者?オーウェル
  大木ゆみ オーウェルと戦争――「戦士」としてのオーウェル
大西 旦 戦争と想像力――オーウェルの場合
奥井 裕 第2次世界大戦後のオーウェル――「ガンジーについての感想」を読む
奥山康治 オーウェルとガンジーと戦争
近藤直樹 オーウェルの「戦時日記」
佐藤義夫 オーウェルとスペイン内戦
John Brown Orwell and War
高井貴一 オーウェルと戦争
難波勝平 「マッチ擦る」…寺山修司とキム・フィルビーの祖国
益田真樹 オーウェルと戦争
村石恵照 オーウェルの戦争認識――“文学外文学”としての『1984年』
吉岡栄一 オーウェルと第二次世界大戦
鷲野博文 戦争と戦後
渡辺 浩 オーウェルとバーナム
前津朋子 「オーウェルのいない日」
29 オーウェルと友人たち 渡辺 浩 「リースから見たオーウェル」ー 弱者への「同情」と「同苦」
(2010,04) 吉岡栄一 オーウェルとケストラー
益田真樹 オーウェルとスペンダー
難波勝平 ネリー伯母さん夫妻とに出会い ーオーウェルのターニングポイント
戸田 仁 ジョージ・オーウェルとリチャード・リース
高橋 鍾 オーウェルとH.ミラー ーあるいは、『北回帰線』とオーウェル
高井貴一 リースの見たオーウェル
John Brown Orwell and Murakami
佐藤義夫 オーウェルとT.R.ファイヴェル
奥山康治 オーウェルとコノリィ、
ランシマン、 ウォーバーグ
大石健太郎 ディラン・トマスとオーウェル
泉 順子 ルシアン・フロイドとジョージ・オーウェルをめぐる「点と線」
有馬七郎 オーウェルを葬った友人たち
書評
西川伸一 『オーウェル『動物農場』の
政治学』
30 オーウェルと私(II) 有馬七郎 私が見るオーウェルとマガリッジ
(2011,04) 大石健太郎 オーウェルと私
大木ゆみ オーウェルと私ーオーウェルの魔性
奥井 裕 オーウェルの文学的主題「人間らしさ」について ー「人間らしさ」の二つの側面について
近藤直樹 オーウェルとの出会い
佐藤義夫 オーウェルと私
高井貴一 オーウェル会と私
高橋 鍾 オーウェルと私 ー 四五年目の告白
難波勝平 故奥山先生への讃歌
西川伸一 乱暴な、謎解き『動物農場』
ー 「オーウェルと私」に代えて
前津朋子 オーウェルと私
益田真樹 オーウェルと私
村石恵照 オーウェルのビルマ観 ー ビルマからミャンマーへ
吉岡栄一 政治作家としてのオーウェル
渡辺 浩 オーウェルと私 ー
『ビルマの日々』を通して
大石健太郎 悼、奥山 康治先生
31 オーウェルと日記 渡辺 浩 『1984年』と日記
(2012・04) 益田真樹 オーウェルの「家事日記」
  西川伸一 『ジョージ・オーウェル日記』を転読して――ナメクジと蛇とエトセトラ――
難波勝平 妻・アイリーンとG.K.チェスタートンへの讃歌――『1984』のタイトルをめぐって――
佐藤義夫 オーウェルと日記――ジュラ島に移り住んだオーウェル――
大木ゆみ オーウェルの「戦時日記」と「家事日記」
大石健太郎 オーウェルの日記
泉 順子 「モロッコ日記」に綴られる〈死〉のかたち
有馬七郎 日記から見たオーウェルの実像
32 作家以前のオーウェル 有馬七郎 少年時代に芽生えた批判的精神
(2013・05) 泉 順子 作家以前のオーウェル―数秘術の視点から
  大石健太郎 幼・少年期のオーウェル
近藤直樹 「喜びはかくばかり」再考
佐藤義夫 作家以前のオーウェル―オーウェルの反骨精神
難波勝平 「マンダレーへの道」―オーウェル・政治思想家として
前津朋子 オーウェルの正直さに見る大人気なさ
西川伸一 P. スタンスキィ、 W. エイブラハム著『作家以前のオーウェル』を読んで
鷲野博文 「あの楽しかりし日々」と『わたしを離さないで』をめぐって
渡辺 浩 作家以前のオーウェル―パリ・ロンドンの修行時代
33 『パリ・ロンドン放浪記』 渡辺 浩 ユーモア、同情、批判―Down and Out in Paris and London の面白さ
(2014・05) 中村麻美 ディストピアの「外部」―舞台版『一九八四年』(2013年11月、リヴァプールにて)
  難波勝平 オーウェルのユダヤ人問題―ゴランツ、ファイヴェルとケストラーを通して
佐藤義夫 『パリ・ロンドン放浪記』―パリ編におけるすばらしい人物描写
近藤直樹 『パリ・ロンドン放浪記』ロンドン篇について
大石健太郎 『巴里・倫敦落魄の日々』
大木ゆみ  ガイドブックに載っていないパリ―オーウェルのパリ放浪記
大西 旦 オーウェルとハクスリー / ニール・ポストマンの指摘
有馬七郎 オーウェルの観察眼と役割行動
34 『ビルマの日々』 有馬七郎 『ビルマの日々』雑感
(2015・04) 大石健太郎 『ビルマの日々』―エリスに見るイギリス魂
  大西 旦 オーウェルにたどり着くまで
近藤直樹 『ビルマの日々』のビンロウジの描写について
佐藤義夫 『ビルマの日々』―エグザイルの孤独
難波勝平 フローリーはペットに噛まれた?!―大英帝国の終焉を見たオーウェル
西川伸一 『ビルマの日々』の新しさ
山口 梓 『ビルマの日々』に見られる「動物」表象に関心を抱いて
吉岡栄一 『ビルマの日々』と南方徴用作家
渡辺 浩 『ビルマの日々』における象徴的手法
大木ゆみ 吉岡栄一著『ジョージ・オーウェルと現代―政治作家の軌跡』(書評)
大石健太郎 追悼 さようなら、高井先生
佐藤義夫 追悼 故牧 雅夫先生を偲んで
35 『牧師の娘』と『葉蘭をそよがせよ』 渡辺 浩 信仰における形式と生き方――『牧師の娘』を通して
(2016・04) 前津朋子 『葉蘭をそよがせよ』――オーウェルのもう一つのおとぎ話
  福西由実子 インターモダニズム小説としての『葉蘭をそよがせよ』
難波勝平 人間の絆・作家の絆(3)――『牧師の娘』『葉蘭をそよがせよ』のエピグラフ
佐藤義夫 『葉蘭をそよがせよ』――ゴードンのディーセンシィ
近藤直樹 『葉蘭をそよがせよ』のハッピー・エンディングについて
大石健太郎 『葉蘭をそよがせよ』
大木ゆみ 己の半身を求めて――オーウェルとアイリーン
有馬七郎 『葉蘭をそよがせよ』雑感
36 『ウィガン波止場への道』、『カタロニア讃歌』 有馬七郎 『カタロニア讃歌』で語られた“decency”
(2017・4) 大石健太郎 オーウェルの『ウィガン波止場への道』
  大木ゆみ 緊張と退屈の間に――プロパガンダへの警鐘
奥井 裕 『ウィガン波止場への道』と『カタロニア讃歌』――オーウェルの分岐点
近藤直樹 『ウィガン波止場への道』における下層中産階級
佐藤義夫 『カタロニア讃歌』――人間としての真っ当さを求めて
前津朋子 温かいひとオーウェル
難波勝平 『カタロニア讃歌』における「革命家オーウェル」
西川伸一 風が吹けば桶屋が儲かる――トランプからオーウェルへ
鷲野博文 政治的教養の原点――『ウィガン波止場への道』をめぐって
渡辺 浩 『ウィガン波止場への道』における階級意識と政治動向
渡利三郎 スペイン内戦とソ連の介入
37 『空気を求めて』、『動物農場』 渡利三郎 「国際旅団」元兵士の国籍確認訴訟
(2018・4) 渡辺 浩 オーウェル的「モダニズム文学論」
  鷲野博文 ジョージ・オーウェルとカズオ・イシグロ
村石恵照 「すばらしい新世界」から「ビッグブラザーによる世界の内戦化」へ
前津朋子 やっぱり面白い『空気を求めて』
西川伸一 「新1年生に薦める文献」としての『動物農場』
難波勝平 『空気を吸いに』回顧――オーウェルとH. G. ウェルズ
佐藤義夫 『動物農場』――裏切られた革命
近藤直樹 『空気を求めて』とマス・オブザヴェーション
大西 旦 オーウェルの「社会主義」を考える
大木ゆみ ドラえもん のび太と『動物農場』
大石健太郎 『空気をもとめて』
38 『一九八四年』 大石健太郎 『一九八四年』の日本に於ける受容について
(2019・4) 大木ゆみ 『ドラえもん』はディストピアなのか
  佐藤義夫 『一九八四年』――全体主義ヴィジョン
仙頭寿顕 オーウェルが怒るぞ!もっと想像力を持てと!
高橋一馬 ガラスの文鎮の行方――Mr Charringtonに関する一考察
中村麻美 拷問・レイプ――「女性化」された主体としてのウィンストン
難波勝平 オーウェル「最後」のメッセージ
西川伸一 『一九八四年』さながらの中国「デジタル・レーニン主義」体制
福西由実子 『1984年』とセネット・ハウス
前津朋子 1984年でも状況は同じ?『1984年』
渡辺 浩 『1984年』における「孤独」
渡利三郎 スパイ・オルロフ――スターリンを脅し、米国を手玉にとった男の生涯
39 オーウェルの初期エッセイ(1920~1937) 渡利三郎 POUM小史(1)
(2020・4) 渡辺 浩 小説的なエッセイ “A Hanging”
  村石恵照 自由を見つめるオーウェルの歴史的眼差し――「絞首刑」と「象を撃つ」から『1984年』へ
前津朋子 『パリ・ロンドン放浪記』と明日のわが身
西川伸一 チャップリンとオーウェル~20世紀の巨悪と闘った2人の点と線
難波勝平 詩人としてのオーウェル
高橋一馬 ‘A Hanging’――人間と動物の境界
仙頭寿顕 オーウェルと岡義武はロンドン(ハムステッド)の古本屋で邂逅したか?
佐藤義夫 「絞首刑」――犬という名脇役
大石健太郎 「絞首刑」考
大石健太郎 三澤佳子先生を悼む

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