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日本に原子力が導入されるプロセス


はじめに
日本に原子力発電が導入されるプロセスについては、まず何よりも1994年のNHKの「現代史スクープドキュメント 原発導入のシナリオ〜冷戦下の対日原 子力戦略〜」 を見て下さい。
 YouTubeでも見られるので、下にリンクを貼っておきます。しかし、読売テレビと関西テレビがYouTubeに対して「これはNHKの著作権を侵害 して いる」という第三者通報をしてアカウントが削除されました。幸いYouTubeには同じ番組の録画が複数アップされていたので、今はそちらのリンクから見 ることができますが、これもいつまで視聴できるかはわかりません。
 確かにNHKの番組を録画してYouTubeにアップするのは著作権上問題がある行為ですが、NHKではなく読売テレビ(日本テレビ系列)が通報してい ることに注意して下 さい。

番組のあらすじ
番組は、柴田秀利とダニエル・D・ワトソンという2人の人物の出会いから始まる。
 柴田は日本テレビの重役。もともとは読売新聞社に勤めていたが、GHQ担当記者で、戦後最大の争議と言われた読売争議でGHQと連携して経営側を勝利に 導いた功績が認められて、読売新聞社主・正力松太郎の懐刀として新たに設立された日本テレビに配属された男である。
 他方、ワトソンはアメリカのエージェント。身分は一切明かさなかったが、柴田もそれと知って会っていた。時代は1953年。米ソ冷戦においてソ連が水爆 実験を成功させ、核開発競争でアメリカを追い抜いた。アメリカは、国連でアイゼンハワー大統領が「原子力の平和利用(atoms for peace)」と国際原子力機関IAEAの設立を提案する一方で、西側同盟各国に原子力についての情報(効果や利用法)を教える方針を立てた。ワトソンは 日本に核を浸透させるためのエージェントとして来ていた。
 1954年、アメリカはビキニ環礁で水爆実験を秘密裏に行うが、たまたま近くにいた日本の漁船・第五福竜丸が被曝してしまうという事件が起きる。日本で はヒロシマ、ナガサキに続く第三の被曝として騒然となり、原水爆禁止運動が燎原の火のように広がる。ワトソンは、これに対抗するためにはマスメディアを動 員した「心理作戦」が必要だと考え、柴田を通じて正力松太郎と会うことにした。ワトソンと話をした正力は原子力に興味を持つ。原水禁運動で左翼の伸長を感 じ取った正力は、日本を豊かにしないと共産化すると畏れており、それを防ぐためにはエネルギー源が必要だと考えたのである。
 柴田とワトソンは民間の取り組みとして「原子力平和利用使節団」をアメリカから招いて大宣伝キャンペーンを張ろうという作戦を考える。それに乗ったのは アメリカのゼネラル・ダイナミックス社の社長ホプキンス。同社は原子力潜水艦ノーチラス号を作成しており、アイゼンハワーの平和利用計画に熱心で、原子力 の海外市場開拓を進めようとしていた。
 原子力平和利用使節団の招聘キャンペーンが行われた1955年、ソ連は世界発の商業用原子力発電の稼働に成功した。アメリカはまだ原発の建設をはじめた ばかりで遅れをとった。ソ連に対抗するため、アメリカは西側同盟諸国と個別に「原子力協定」を結ぶ方針を立てる。協定締結国には濃縮ウランや技術を供与 し、他方、その軍事転用を禁止することで、西側同盟諸国の原子力政策をアメリカの影響下に囲い込もうとする狙いがあった。これに対抗してソ連も中国・東欧 諸国と同類の協定を結ぶようになり、東西冷戦は東西核ブロックという様相を呈するようになる。
 正力はメディアを動員して原子力平和利用の国民啓蒙を進めると同時に、自らは富山県から衆議院議員に立候補して当選、「原子力平和利用懇談会」なるもの を発足させた。ここに政・財・学のエリートたちを結集させた。重工業、電力会社を中心に産業界は新しい安価なエネルギー源に期待を寄せ、アメリカの濃縮ウ ラン受け入れをめぐって賛否が紛糾した学者たちは丸め込まれた。
 こうして1955年6月、日米原子力協定が成立し、アメリカからの濃縮ウランを受け入れて、1957年には茨城県東海村で日本初の原子炉の稼働が開始す る。アメリカは1958年までに39カ国と原子力協定を結んで、西側核ブロックを作りあげ、1965年から日本の原発による電力供給は始まった。

ポイント
この番組の優れた点は、次の4点が描かれているところにある。
  1. 日本における原子力導入は、電力会社などといった狭い世界の利害ではなく、アメリカの利害、それも米ソ冷戦における核軍事力の優位という国家 の盛衰をかけた戦略の中に日本(だけでなく西側諸国全体)が組み込まれていくというプロセスとして捉えられるべきこと。
  2. アメリカのそうした動きに呼応する日本側の人物(正力松太郎や柴田秀利)もまた、1946年の読売争議や1954年の原水禁運動などの経験を ふまえ、日本の労働運動・平和運動を抑えて日本の体制的安定を維持し、経済を成長軌道に乗せることをにらんで判断していること。しかし、彼ら自身も、彼ら の判断も、そもそもGHQ占領の延長としてアメリカの掌の上での話であること。
  3. こうした国家的・体制的な問題だけではなく、ゼネラル・ダイナミックス社にみられるように、それらの国家戦略と自らのビジネス・チャンスを 結びつけて積極的に立ち回る大企業がいて、アメリカ政府は常にそうした大企業の利益を組み込んで戦略を遂行していること。
  4. 日本においては学界とメディアが巻き込まれたこと。とりわけ、アメリカの濃縮ウランの受け入れは原子力政策における日本の自主性の喪失につな がるのではないかという不安から賛否両論に割れた学界が、正力のつくった原子力平和利用懇談会に丸め込まれていったこと。
今日言われるところの「原子力村」の出発点がここにあるのだろう。そうであるなら、今日の原発問題は戦後日本の国家体制の相当深いところに根ざした問題な のではないかと 考えさせられる。


NHK「現代史スクープドキュメント 原発導入のシナリオ〜冷戦下の対日原子力戦 略〜」(1994)