「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだつた」試論

渡部芳紀

1

 賢治が、大正九年四月に、保阪嘉内に宛てて出した書簡に次のような一節がある。

 ゆるやかな丘の起伏を境界線の落葉松の褐色の紐がど こまでも逢ひ、黒い腐植のしめった低地にはかたくりの花がいっぱいに咲きその葉にはあやしい斑が明滅し空いっぱいにすがるらの羽音大きな蟇がつるんだまく りのそのそとあるく。すこしの残雪は春信の版画のやうにかゞやき、そらはかゞやき丘はかゞやき、やどりぎのみはかゞやき、午前十時ころまでは馬はみなうま やのなかにゐます。

ととのはないものですが外山の四月のうたです。

 ここに描かれた<外山の四月のうた>の世界は、ほと んどそのまま、「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった(以下「タネリはたしかに」と略称す)」の背景として使われている。タネリの世界は、そう した<かゞやく>北国の早春を重要な舞台として展開しているのである。その舞台の上で繰りひろげられたタネリと木や空や花や鳥らとの交歓の物語はなんと魅 力にあふれていることであろう。本論考ではこの作品の魅力の一端について考えを述べてみよう。

 作品の内側に入る前に、作品の成立過程を簡単にたどっておこう。

 境忠一は「『〔若い研師〕』系作品群−呪術とモラルの系譜」(『国文学』昭504)で、

 「〔若い研師〕」の第一章が、「〔若い木霊〕」へ発 展し、さらに「タネリはたしかに」へ展開したとする。また、「サガレンと八月」がその後に続くこと、「連れて行かれたダァリヤ」から「まなづるとダァリ ヤ」への発展との関連に触れている。ただ、後者の「連れて行かれたダァリヤ」から「まなづるとダァリヤ」との関わりは、単なる鴇の登場によるつながりなの で、それほど重視する必要はないと思われる。

 「サガレンと八月」は、その後の全集編集者達の努力で、成立年月が、「タネリはたしかに」より以前と確定され、むしろ、「〔若い木霊〕」に、「サガレンと八月」の後半の話が作用して、「タネリはたしかに」へと発展したと考えられるに至っている。

 従って、現在では、「〔若い研師〕」第二章→「〔若い木霊〕」、そこに「サガレンと八月」の後半が作用し、「タネリはたしかに」へと発展したと考えられている。

 私は、そこに、さらに「水仙月の四日」→「タネリはたしかに」といった流れも考えたいが、それはあとで触れよう。

 大正七年春の体験を下地とし、「〔若い研師〕」→「〔若い木霊〕」→「タネリはたしかに」と落ち着いたのは、大正十三年前後だと言う(伊藤真一郎「『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった』論」、『国文学孜』昭526

 こうした過程をへて、「タネリはたしかに」は、一個 の充実した作品へと完成されて行った。賢治の作品の中には、「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」や「風野又三郎」のように、初めの形の方が躍動感に満 ちあふれていておもしろいものが多いが、この「タネリはたしかに」に関しては、最初の形から次第に発展・充実して行ったと考える。 ただ、それには、生野 幸吉のように、<燃えあがるようでいて透明なエロスにみちみちた「若い木霊」を、その改作「タネリはたしかに__」よりも好む>(「『クスコーブドリの伝記』-出現罪と空白」『国文学』昭504)という意見もある。論者の興味のありどころによるのであろう。筆者も、「〔若い木霊〕」をもこよなく愛するのであるが、後に述べるように、「タネリはたしかに」の方を、より高く評価するのである。

 そうした評価に向かって、これからいくつかの問題点を取りあげていこう。

3

 鈴木健司は、「『タネリはたしかに』の位置付けについて」(『啄木と賢治』516)において、「〔若い木霊〕」には、<死んだ妹としの残像>が無く、<タネリには、妹としを失った賢治の孤独が深く影を落している>と言う。伊藤真一郎も「『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった』考」(『国文学』昭532) で、鈴木の説を受けて<「タネリ」にトシ体験が投影されているとする点には、異論はない>とする。鈴木の論に、ある程度の説得力はあるのだが、必ずしも、 賢治の孤独が、としの死だけによってもたらされたわけではないので、完全には納得できない。賢治の作品を論じた文を読むと、たびたび、としの死と結びつけ たものに出会うのだが、必ずしも結びつけなくてもいいものが多いのではなかろうか。

 鈴木は、他に、妹としと<深い関りを持つ>ものとし て犬神をあげている。犬神がとしと関わりを持つかどうかは、やはりわからないが、犬神が、この作品の一つの問題点であることは間違いないようだ。タネリが 鴇を追って行って<ひどく暗い巨きな木立>の前で、<顔の大きな犬神みたいなもの>に出会う。この作品の謎の部分である。

 入沢康夫は、「賢治童話との出会い」(旺文社文庫『銀河鉄道の夜他九篇』昭4511付 録)で、<賢治の童話の魅力は、(中略)「おそろしさ」と通ずるものがある。その作品を読みすすんで行くとき、筋の上では別にどうと言うこともないささい な部分から、一種異様な、日常のぼくたちの生活では全くなじみのない、空間がぽっかりと口を開く(中略)、「あをぐろい異次空間」>の魅力がそこにあると する。入沢は、「鴇という鳥」(『国文学』昭572) では、「タネリはたしかに」の鵯に触れ、<鶴は、妖しい魅力でタネリを夢中にさせ、恐ろしい別世界の入口まで誘って行く>と、異空間へ誘うものとしてとり あげている。入沢の言うように、賢治童話の世界が、そうした<恐ろしい別世界>を孕み、一つの魅力ある部分を作り出していることは私も首肯できる。ただ、 それは、私には不可思議な魅力であって、今のところ、それを分析して説明することができない。謎を孕んだ魅力なのだ。

 伊藤真一郎は、この<「犬神」のような化け物の類がばっこするする恐しい世界>(「タネリ_」 論)に特に注目し、この物語は、一人の子供の、非日常的な異世界の垣間見の物語、一種の幻想譚>であると言う。そして、その<異世界>を、<他者・大人の 世界の象徴>だとし、この作品のテーマを、<年少の主人公の大人の世界との出遭い(そして、そこからの退却)>というところにあるとする。「『タネリ_』 考」の言葉を使えば、<年若い主人公の、未知の大人の世界との出遭いとそこからの退却を物語る象徴譚>であると言う。心理学的分析を踏まえた、ダイナミッ クで新鮮なとらえ方だと思う。ただ、未知の異空間と、母性とをからませての推論は、必ずしも完全には納得させてくれない。この犬神らしきものの世界は、や はり謎のまま残されるのである。犬神の謎がよくわからず、もがいている私は、柳田国男なども繰ってみたが、犬神は日本の中国地方や四国地方で主として登場 する話であって、関東や東北にはその例がないように書いてあった。そうした東北にはめずらしいイメージが、賢治の作品の幾つかに表われているのは興味ある 問題である。

5

 伊藤の「タネリ_−」 論は、総合的に論じた力作なので、読者もぜひ目を通してもらいたい。その中で、伊藤は、この作品を、<子供と早春の自然との無邪気な交歓の物語と見られな くもない>と述べる。前章でまとめたような象徴譚として説もうとする伊藤には、<子供と早春の自然との無邪気な交歓>と見るのはものたりないと感じたので あろうか。 続橋達雄は、「タネリのさびしさ」(『四次元』・昭3967) において、この作品を<春のことぶれに胸おどらせる詩情の、まことに細やかなる作品>であることを認めつつ、<ものさびしい精神の風景画>という、<さび しみ>からどうしても抜け出せない。それは、<なおさびしみの深まる作者の心象風景を代弁させている>からだろうと読んでいる。この作品に、寂しさが流れ ているのは確かである。続橋は、それを遠慮がちに主張し、何の価値判断も下さない。が、この作品の寂しさは、価値の一つなのではないか。

 儀府成一は、「タネリが噛んでいたもの」(『啄木と賢治』昭511)で、そうした寂しさをも含んで、この作品を高く評価している

  雲や、ホースケ峰や、トースケひばり以外、だれひ とり遊び相手をもたない野育ちの 女の子が、野原や丘を力いっぱい駆けずりまわって、どんなにこうした周囲のみんなに いきいきと呼びかけたか、うたった か。そうしてそういうことが、人(子ども)が生き ていく上に、どんなにたのしくてしあわせなことなのか、誰にとってもどんなに大事な ことなのか、『タ ネリ』はそれ等のことどもを、だまって如実にかたっている作品だと 思う。

 儀府は、それをまとめて、<人と自然とのあらまほしき交歓の姿>がそこにあるとし、<賢治文学の一番奥のものを探るのには恰好な作品>だと主張する。

 タネリが少女であると見るのは、また新鮮でおもしろ いと思う。私自身は、やはり少年であると思うが、東北の方言を考えた場合、少女でも悪くないのかと目を開かれる思いがする。が、それはさておき、この儀府 のとらえ方に、私のとらえ方もとても近い。私にとってのこの作品の魅力は、なんと言っても、まだ緑の草木も生えず、枯草や枯葉がかさこそ言う中、わずかに <牛(べご)の舌>や<かたくりの花>が咲く早春の野原での、自然と少年との交流である。呼びかけても答えてくれない柏の木に耳をぴったりあてがって、中 のようすをうかがい、早く起きてくれるように願うところなどは、その最も魅力ある部分である。

 が、単なる自然との交歓と言うだけでは、私の場合、まだ、この作品の魅力の全ては言い切っていない。そのためには、藤蔓のことを考えなければならない。

 この作品の題目が「タネリはたしかにいちにち噛んで ゐたやうだった」という非常に長いものであることもこの作品の特徴だろう。日本の作品でこのような長い題のものを私は知らない。ところで、タネリは何を噛 んでいたのか。言うまでもなく、それは、藤の蔓である。藤蔓を噛むのは一体どういうことなのか。作品では、それは繊維として衣料を作ると説明されている。 が、作品中の、タネリの藤蔓を噛む行為は、単なるそうした仕事の側面だけではない。

 鈴木健司は、<犬神に連れさられるのを防ぐためなのだろう>と言い、儀府は、<手作りにちがいない衣類への、いつも満たされることのない幻想>と言う。が、どうもいまひとつしっくりしない。

 タネリが藤蔓を噛んでいるのは、多くの場合、孤独を 噛みしめている時である。柏にかたりかけたのに答えてもらえなかったあと、<藤の蔓をすこしロへ入れ>、やどりぎをからかったあと、<しよんぽりし><そ してさびしさうに、また藤の蔓を>噛み始める。森の前で、鴇に相手にしてもらえず帰ろうとする時、<タネリは、ほんたうにさびしくなって、また藤の蔓を一 つまみ、噛>むのである。別の言い方をすれば、気分が内向し欝屈している時に噛むのである。

 逆に言えば、孤独を払いのけ、気分が高まり、他者へはたらきかける時、タネリは噛んでいた藤蔓をはき出すのだ。

 <青ぞらには、まだ何か、ちらちらちらちら、網に なったり紋になったり、ゆれてるものがありました。タネリは、柔らかに噛んだ藤蔓を、いきなりぷつと吐いてしまって、こんどは力いっぱい叫びました。>を 初め、柏の木に呼びかける時、牛(ぺご)の舌の花に挨拶する時、やどり木に話しかける時、鴇に出会った時、タネリは、藤蔓をはき出す。

 タネリは、自分の孤独の中に沈み込む時、藤蔓を噛み、孤独をはねのけ、それから解放され、友を求めようとする時、それを吐き出すのだ。

 「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」とは、そうした、タネリの孤独な寂しさを表わした題目なのだ。この孤独の裏打ちがある時、自然との交歓の物語は、よりいっそう切実なものとして読者の胸を打つのである。

 ただ、ここに、そうした孤独な少年の姿が描かれてい るからと言って、作品が寂しさにおおわれているとは言えない。むしろ作品にあるのは、爽やかな健康な力だ。それは、タネリが、少しもその孤独にめげていな いからだ。弱々しく沈みこんでしまわないからだ。タネリは、たくましく自然の中を闇歩している。友だちになろうと呼びかけても呼びかけても誰も答えてくれ ないのに、タネリはひしげていない。そこにあるのは野性につちかわれたバイタリテ一だ。いつか自然は、タネリに答えてくれるだろう。明るい交歓の場を持つ ことができるだろう。たとえ、その一部に、犬神的な世界を含みながらも、自然はタネリの最大の友であろう。

 タネリは、また<でまかせのうたをうた>うだろう。 その歌は、友を待つ間、彼の友だちなのだ。この作品の金体に散りぱめられた数多くの歌の、なんと健康にあふれ、夢にあふれ、力にみち、また、繊細な心が流 れていることだろう。そうした音楽的な要素もこの作品の大きな魅力になっているのである。

 そこには、カシオピイヤやアンドロメダに向かって歌 いかけていた孤独な少年、あの「水仙月の四日」の雪童子にも通じるものがある。雪童子は友を求めて、赤毛布の少年を助けてやった。もしかしたら、あの時助 けられた少年が、タネリなのかもしれない。タネリは、雪がほとんど消えかけた早春の野原を今友を求めて歩きまわっているのだ。

 タネリ君、君には見えないし感じられないだろうけど、君を愛する友が、ここにも一人いると言って私はこの拙文をとじようと思う。

(この論を草するに当たり、資料の上で、宮沢賢治記念館に大変お世話になった。記して感謝いたしたい。)       

                       〔わたぺ・よしのり中央大学教授〕

追記

 ホロタイタネリは、小屋の出口で、でまかせのうたをうたいながら、何か細かくむしったものを、ばたばたばたばた、棒で叩いて居りました。

「山のうえから、青い藤蔓とってきた

 _西風ゴスケに北風カスケ_

 崖のうえから、赤い藤蔓とってきた

 _西風ゴスケに北風カスケ_

 森のなかから、白い藤蔓とってきた

  _西風ゴスケに北風カスケ_

 洞のなかから、黒い藤蔓とってきた

  _西風ゴスケに北風カスケ_

と本文にある。<でまかせのうた>とあるが、<青><赤><白><黒>は、陰陽五行説を踏まえた東南西北の方向に対応する。単なる<でまかせ>では、ない。


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