「水仙月の四日」 論
渡部芳紀
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 「水仙月の四日」は、大正十三年十二月刊の童話集『注文の多い料理店』の一作として発表された。「雪渡り」「やまなし」などとともに、賢治文学 の最高の傑作であると思うのだが、意外に、この作に言及したものは少ない。「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「どんぐりと山猫」「よだかの星」「クス コーブドリの伝記」ほか、数多くの有名な作品に囲まれて脇役的な扱いをされて来たと言って良い。が一方では、この作を高く評価する論者も幾人かいる。
 和田利男は、早く、昭和二十五年九月、西荻書店刊の『宮沢賢治の童話文学』で<あらゆる文学作品を通じ、雪を描いてこれほど光彩陸離たる文章を私は見たことがない>と高く評価し、
 寺田透も「宮沢賢治の童話の世界」(『文学』昭39.3)において、「ひかりの素足」とともに<わが国の雪嵐をえがいた文学作品として当然最高のもの>であるとした。
 天沢退二郎は『宮沢賢治の彼方へ』(昭43・1、思潮社刊)の「七つ森から小岩井まで」の項で、<降り来るもの>の<アンチームな自由感><ナイーヴな幸福感>が、<発想の基盤>だと指摘する。
 酒井角三郎は、「心象の雪−宮沢賢治における詩の誕生−」(『ENU』昭44・7、昭45・7筑摩書房刊『極限の論理』所収)において、<私の 知る限りいちぱん美しく表現された雪の心象風景>で<一種の詩に近い印象>と高く評価、<《死と再生》のドラマ>の中に、賢治の詩人としての誕生を見てい る。
 佐藤通雅は「『注文の多い料理店』論−宮沢賢治論61」(『路上』昭48・4、昭50・12学芸書林刊『「注文の多い料理店」研究1』所収)で<『注文の多い料理店』中の白眉>で<まことにすぐれた交響曲>だとし、作品を総合的多角的に論じている。
 須田浅一郎は「『水仙月の四日』をめぐって」(『賢治研究』17号、昭50・6、昭50・12学芸書林刊『一、注文の多い料理店研究・』所収)で、<やどりぎ>の役割や、雪童子の<背馳>について言及した。
 統橋達雄は「春への足おと」(初出、所収は須田論文と同じ)で、小川未明の「角笛吹く子」と比較し、両作に、<北国人としての情感の親近性>を 認めつつ、賢治には<人間と自然との結びつきが見られる>のに対し、未明には<自然交感はない>とし、そこに創作への基本的姿勢の相違を指摘している。  こうした人々の意見をも参照しながら、私の最も愛する作品の一つ「水仙月の四日」に関して、様々な角度から意見を述べてみたい。

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 賢治の『注文の多い料理店』の「広告ちらし」の中で、「水仙月の四日」は<赤い毛布を被ぎ「カリメラ」の銅鍋や青い焔を考へながら雪の高原を歩 いてゐたこどもと「雪婆ンゴ」や雪狼、雪童子とのものがたり。>だと紹介されている。要約すれぱ<こども>と<雪婆ンゴ><雪狼><雪童子>との話という ことになる。  多くの論者が、後者に自然の象徴を読み、人間対自然の構図を描き出す。
 酒井は<雪は宇宙を代表>し、<雪婆んごは><雪あらしの><擬人化>だと言い、
 佐藤はく雪婆んごは天(あるいは宇宙)に属するもの>と言い、
 須田は<雪婆んご>は<自然の猛威としての雪を象徴するもの>であると言う。 そうした自然と人間との対立の構造をまずおさえておくことは大切な事であろう。そうした、構造の中で、雪童子の行為を通して、両者のつながりが生まれるのである。本来なら、吹雪のために凍死するはずの赤毛布の子供が雪童子の<背馳>(須田)によって生きかえるのである。
 酒井の言う<《死と再生》のドラマ>がそこに展開されるのだ。
 それでは、なぜ、雪童子は、子供を生きかえらせたのか。その疑問に対して、佐藤は、重要な指摘をしている。
 同じく『注文の多い料理店』所収の「鳥の北斗七星」は、「水仙月の四日」に先立つこと一ケ月ばかり前に書かれたと推測される作品であるが、その 一節の<どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝやうに早くこの世界がなりますやうに>という主人公の言葉にこめられた<なまなましい悲痛ないのり が、今、一見陽性を保ちつつ、やはり雪童子に再現されている>と言うのである。
 この指摘は正しい。常に、自己と他者との対立に悩んでいた賢治にとり、その祈りはいつも心にかかっていたものであろう。その祈りの実現されたものが「水仙月の四日」であると言うのである。
 佐藤は子供を助けた理由を、人を殺してしまうという<自己の宿命的在り方を知るゆえに、何とかそこをプラスに逆転しようとする「いのり」の行為>だとする。
 それも、一般論としては正しい。が、雪童子が子供を救うのは、いつものことなのだろうか。「水仙月の四日」には、「水仙月の四日」の独自の世界があるはずである。雪童子が子供を助けた理由を、作品に即してさぐってみよう。

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 雪童子と赤い毛布の子供との出会いは、<象の形の丘>のふもとで始まる。雪童子は、雪狼に採ってもらった<やどりぎの枝>を<ぷいっとこどもになげつけ>る。
 それは<おもしろ半分>(佐藤)というより、もっと切実なものだったのではないか。 他の雪童子もいない、友だちといったら、雪狼しかいない孤独な雪童子は、孤独を癒す友だちを求めていたのではないか。雪童子が<白と藍いろの野はらにたつ てゐる、美しい町をはるかにながめ>るのは、同じ子供仲間がいるだろう<町>への憧れの眼差しではなかったのか。雪童子は、子供との接点を求め、気を引く ように、やどりぎの枝を投げる。カルメンがホセに薔薇を投げたように。驚いて拾う子供を雪童子は<わらつて>見ている。そこに二人のつながりができる。や どりぎの実は、食べると甘いという。カリメラを夢見ている子供に、雪童子は、自分のカリメラを与えたのだ。雪婆んごがやって来て、吹雪が吹き荒れる中、子 供の泣き声をきき、雪童子の<瞳はちもよつとおかしく燃え>る。雪童子にとり、もはや子供は友だちなのだ。雪婆んごの命令にそむいて助けようとするのであ る。何度かの失敗ののち、雪童子の試みは成功する。彼は<笑ひながら><その赤い毛布を上からすっかりかけてや>る。そして<「あのこどもは、ぼくのやつ たやどりぎをもつてゐた」>と<ちよつと泣くやうに>するのである。
 それは、死の<かすかな不安を読者に喚起する>(天沢)ためでもないし、 <死の不安がなくなったわけではない>(酒井)ためでもなく、 <子供を無理におし倒したから>(佐藤)でもない。 むLろ佐藤が消極的、否定的に言っている<自分との結びつきを思ったから>なのである。自分が<やった>やどり木を、あの吹雪の中でも手放さず、ずっと 持っていてくれた。その子供の振舞いに感激したのである。自分が赤毛布の子供を助けようとしたのは間違っていなかったのである。子供は、雪童子にとり、唯 一の心の友なのだから。
 こうした、雪童子の子供に対する暖かな友情が、子供を助けさせたのである。冷たい吹雪の中に咲いた暖かな愛の物語がここにあるのである。  多くの論者が、やどり木に、呪術的な役割を認めているのは正しい。天沢は<呪術的な護符もしくは呪具の痕跡>を見、須田は、J.G.Frazerの「金 枝篇」を参考に<再生する象徴>としてのやどり木の役割を指摘している。須田の<やどりぎの枝は、子供の周辺に雪洞的空間を確保してやるための工夫であっ たろうか>という意見もおもしろい。百科辞典によれば、ヨーロッパでは魔法、幽霊、魔女から身を守るもの、幸運をもたらす木と考えられているという。賢治 が、それらのことをどこまで意識していたかはわからないが、やどり木が両者を結びつけ、お守りの役割をはたしたことは違いないのである。
 なお、この死からの再生のドラマは、寺田透の指摘があるように「ひかりの素足」にも通じる。吹雪の中で再生することのみを書いた「水仙月の四日」に対し、「ひかりの素足」は、再生する兄と、凍死してしまう弟とを配して、より宗教的な物語として展開している。
 ところで、この雪童子の孤独には、賢治の孤独の反映が見られないだろうか。この作品を書くちょっと前の大正十年十二月の保阪嘉内あて書簡で、賢 治は<学校で><けむたがられて居りまする。笑はれて居りまする。授業がまづいので生徒にいやがられて居りまする。>と書いている。自分を理解してもらえ ず孤独を味わっていた賢治が、その寂しさからの脱出の夢を、この作品を通して語ったのかもしれない。未明の「角笛吹く子」の魔物のお婆さんにつきそわれ た、狼に乗った子も、村の子供たちにいじめられる寂しい子であった。魔女、子供、狼の取りあわせといい、統橋の言うようにこの作品のヒントになった部分は あるかもしれない。

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  以上述べてきた、冷たい雪の中における暖かい愛の展開が、私にとってこの作品の魅力の大きな部分なのだが、作品全体、どこを取っても、様々な魅力を味わわせてくれる。
 子供はなぜ<赤い毛布>を着ていたのだろう。<子供の生命の火を象徴>(酒井)、<無垢な生命そのものの象徴>(佐藤)といった意見もある。子 供は、お地蔵様の化身ではないかと考えるのは、少々、私の飛躍だが、賢治の作品に<赤い毛糸のはっぴを着せた/まなこつぶらな童子をば/舞台の雪と青いあ かりにしぱらく貸せ>(〔そのとき嫁いだ妹に云ふ〕)と地蔵菩薩を表わしたり、「オッペルと象」に<赤い着物の童子>が助けに来る場面があったりして、ど こか仏に通じる部分もありそうである。未明の「赤い手袋」は<雪の上に、真赤な手袋が落ちてゐる>話だが、真白な雪の中のあざやかな赤の美しさも考慮され ていようし、何よりも発見しやすいのをねらったということがあるかもしれない。そうした理屈は抜きで、当時、それがはやっていたという単純な理由も考えら れようか。
 謎を秘めた

  カシオピイア、
  もう水仙が咲き出すぞ
  おまへのガラスの水車
  きつきとまはせ

  アンドロメダ、
  あぜみの花がもう咲くぞ、
     おまへのラムブのアルコホル、
  しゆうしゆと嘆かせ。

という雪童子の叫びも興味ぶかい。
 カシオピイアは、娘アンドロメダの美しさを自慢したために、海神ポセイドンに怪獣で苦しめられる。本によっては、自分の美しさをも自慢したと記 したものもある。そうしたナルシシズムも水仙を連想させたのだろうか。<ガラスの水車>は良くわからない。カシオピイアが、北極星のまわりをぐるぐる回っ ているからか。その姿勢が、糸車をまわす姿に似ているからか。アンドロメダのラムプとは、アンドロメダ大星雲のことを指すのだろう。
 この歌全体は、もうすぐ春がやってくるから、最後の冬の厳しさを示しておくれと言った意である。  ちなみに言っておけば、−月の夜明け方、カシオピイア座は、北の地平線近くにある。アンドロメダ座はほとんど見えない。
 この作品の舞台については、金子民雄の<姥屋敷>(『山と森の旅−宮沢賢治童話の舞台ー』昭53・4、れんが書房新社刊)だという意見がある。私も、大体、その近くでよいと思うが、少し私見を述べてみる。
 この作品は<象の頭のかたちをした、雪丘><象の形の丘>を中心に、展開する。これは、「ひかりの素足」の舞台の<大きな象のやうな形の丘の中 腹>とも似ている。両作品は、寺田透も言うように兄弟関係にある作品でもある。極論を述べれば、両作品は、同じ舞台で展開され、一方は、完全に生きかえ り、一方は、死者の国へ旅立つものと、生きかえる者とを配した作品だということになる。そしてその舞台の原型は、鞍掛山なのではないか。このあたりは三度 ほどしか行ってないので、断定はできないが、どうも、山の形が象の頭を連想させる。学習研究社の現代日本文学アルバム『宮沢賢治』の写真を見ても、やはり 象の頭は連想されるのである。
 「水仙月の四日」が脱稿したと思われるのは大正十一年一月十九日であるが、同一月六日付で、小岩井農場の南方の七つ森と雪の世界とを取り入れ た「屈折率」と、「くらかけの雪」とが書かれ、一月九日には、「日輪と太市」を書き、<天の銀盤>の<日輪>や、<吹雪も光りだしたので/太市は毛布の赤 いズポンをはいた>といったイメージが描かれる。「水仙月の四日」を構想していた頃、小岩井農場周辺の雪景色が頭にあったことは間違いなかろう。
 次に、作品制作月日といわれる一月十九日について少し考えてみたい。この日は、木曜日である。ところで、作品中に、<しづかな奇麗な日曜日> とあって、作品の中心をなす時間は、日曜から月曜の朝にかけてと考えられる。単純に、十九日の木曜と結びつけると、日曜は、一月十五日ということになる。 これは小正月に当たる。柳田国男の『遠野物語』の一〇三話「雪女」の部分に、<小正月の夜、又は小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶとも云 ふ。童子をあまた引連れて来ると云へり。>とある。
 こうした言い伝えが賢治の頭に残っていて、一月十五日を背景にして、雪婆んごと雪童子の話が構想されたのだろうか。とすれば、書き出されたのも、その頃まで逆上ることも可能であろう。
 最後に、題目の「水仙月の四日」に触れておきたい。水仙月に関して、<新生の季節を意味する>(酒井)という意見や、<四月>(恩田逸夫「宮沢 賢治の童謡」『桃李』昭44・12、昭56・10東京書籍刊『宮沢賢治論』3所収)といった意見がある。何月であるか、今のところ確定できない。ここでは 水仙の咲く頃という意味あいで使っているのであろうか。ただ、それは、単なる水仙でなく、別名とLてのく雪中花>の意味をもこめているのではないか。<雪 中花>と考えたとき、水仙が、季節を表わすだけでなく、主題とも結びつくものであることがわかる。この雪の世界で展開される子供と雪童子との暖かい愛の物 語が<雪中花>なのである。<水仙>なのである。

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 「水仙月の四日」は、汲めどもつきぬ魅力を持っている。春近き東北の雪景色の上に、赤い毛布の子供と、雪婆んご、雪狼、雪童子を配して、静−動 −静の構成の上に、暖かい愛の物語が展開する。その雪童子の愛を、子供は感づかないという一抹の寂しさを漂わせつつ、しかし、本当の愛とは、そういうもの なのだと思えば爽やかである。部分部分に散りぱめられた星の世界や、花の世界も謎を秘めてほほえんでいる。何度読んでも私にとって心洗われる泉なのであ る。