「過去情炎」論―わが恋は終わりぬー

渡部芳紀

まず、詩の本文から見てみよう。

 

過去情炎

 

01截られた根から青じろい樹液がにじみ

02あたらしい腐植のにほひを嚊ぎながら

03きらびやかな雨あがりの中にはたらけば

04わたくしは移住の清教徒(ピュリタン)です

05雲はぐらぐらゆれて馳けるし

06梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があつて

07短果枝には雫がレンズになり

08そらや木やすべての景象ををさめてゐる

09わたくしがここを環に堀つてしまふあひだ

10その雫が落ちないことをねがふ

11なぜならいまこのちいさなアカシヤをとつたあとで

12わたくしは鄭重(ていちょう)にかがんでそれに唇をあてる

13えりおりのシヤツやぼろぼろの上着をきて

14企らむやうに肩をはりながら

15そつちをぬすみみてゐれば

16ひじやうな悪漢(わるもの)にもみえやうが

17わたくしはゆるされるとおもふ

18なにもかもみんなたよりなく

19なにもかもみんなあてにならない

21これらげんしやうのせかいのなかで

22そのたよりない性(せい)質が

23こんなきれいな露になつたり

24いぢけたちいさなまゆみの木を

25紅からやさしい月光いろまで

26豪奢な織物に染めたりする

27そんならもうアカシヤの木もほりとられたし

28いまはまんぞくしてたうぐわをおき

29わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに

30応揚にわらつてその木のしたへゆくのだけれども

31それはひとつの情炎だ

32もう水いろの過去になつてゐる

 

 わが恋は終わりぬ。

「過去情炎」は、上の一句で象徴される恋愛詩(失恋詩)である。この詩は、賢治の明るい、健康な、ユーモアあふれる精神が横溢した詩である。もっともっと賢治を代表する詩として認知されなくてはならない。

 詩の制作は、一九二三年十月十五日。詩集に収める際、少々推敲はおこなわれたかもしれないが原形は、その日付けの頃作られたといってよいであろう。

 

01截られた根から青じろい樹液がにじみ

02あたらしい腐植のにほひを嚊ぎながら

03きらびやかな雨あがりの中にはたらけば

04わたくしは移住の清教徒(ピュリタン)です

 秋の一日、〈わたし〉は、荒地を開墾しているのである。〈移住の清教徒(ピュリタン)〉は、ここでは、アメリカに渡った開拓者としてのピューリタンで、開拓者の象徴としてまずは使われているのである。

 雨上がりの、日が当たリ出した開墾地に入り木を掘り起こそうと根回りを掘り起こす。木の根が切れて樹液の香もしてくるし堀起こされた腐食土の匂いをかいでいると自分があの新大陸を開拓していった清教徒のようにおもえてくるのである。

 

承一

05雲はぐらぐらゆれて馳けるし

06梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があつて

07短果枝には雫がレンズになり

08そらや木やすべての景象ををさめてゐる

 雨はあがったとは言え、まだ雲も残っていて彼方の空で動いているのである。近くに梨の木があって色ずき 始めた葉の葉脈がくっきりと見える。既に葉を落とし来年実を付ける筈の短果枝の先に雨の名残の雫が付いている。その露が凸レンズになってあたりの空や木や 全ての景色を魚眼レンズのように収めている。

 

09わたくしがここを環に堀つてしまふあひだ

10その雫が落ちないことをねがふ

11なぜならいまこのちいさなアカシヤをとつたあとで

12わたくしは鄭重(ていちょう)にかがんでそれに唇をあてる

 〈わたくし〉が、木の根の周りを丸く環に掘リ終わるまでその雫が落ちてしまわない事を願う。なぜなら、今、掘っているアカシアの木を掘り起こした後、労働の疲れの渇きをその雫を飲む事で癒そうと思うからだ。

 

承二

13えりおりのシヤツやぼろぼろの上着をきて

14企らむやうに肩をはりながら

15そつちをぬすみみてゐれば

16ひじやうな悪漢(わるもの)にもみえやうが

17わたくしはゆるされるとおもふ

 〈えりおりのシヤツ〉―詰め襟に対する言葉。襟がおれたシャツ。今日の普通の形のしゃつ。

 〈えりおりのシヤツやぼろぼろの上着をきて〉―農作業の服装の様子だが、ここでは浮浪者のようなマイナスイメージを表現しようとしている。

 〈14企らむやうに肩をはりながら/15そつちをぬすみみてゐれば〉―何か悪いことでも企んでいるかのように肩をはって梨の木のほうを盗み見ていると、〈わたくし〉は、大変な悪漢に見えるだろうが、それも恋のなせる業なので赦されると思う。

 梨の木の〈短果枝〉の先の雫に接吻(くちづけ)しようとしていることを、梨の木(の雫)に対する恋の思いととらえているのである。

 

18なにもかもみんなたよりなく                                       

19なにもかもみんなあてにならない

21これらげんしやうのせかいのなかで

22そのたよりない性(せい)質が

23こんなきれいな露になつたり

23いぢけたちいさなまゆみの木を

25紅からやさしい月光いろまで

26豪奢な織物に染めたりする

  〈たよりなく〉〈あてにならない〉〈げんしやうのせかい〉の、その常に変化し続けている〈そのたよりない性(せい)質が〉〈こんなきれいな露〉を生み出し たり、〈いぢけたちいさなまゆみの木〉を紅葉させて月光色から紅色まで様々な色合いの〈豪奢な織物〉のように染め上げたりする。

 起承転結の転の部に当たる。起承で具体的に自分とその作業を描いてきたのを、視点をやや客観的にし、雫と周へんの秋の様子を写したのである。

 

27そんならもうアカシヤの木もほりとられたし

28いまはまんぞくしてたうぐわをおき

29わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに

30応揚にわらつてその木のしたへゆくのだけれども

31それはひとつの情炎だ

32もう水いろの過去になつてゐる

  それでは、アカシヤの木も掘り取って、一仕事終わった満足感で、頭部が刃に反りがない鉄で木の柄をつけた木の根を切るための唐桑を置いて、私の仕事が終わ るのを待っていた(待たせていた)恋人に会うかのように、待たせて悪かったねと鷹揚に笑って、接吻(くちづけ)しようと、梨の木の下に行ったのだが、あ あ、なんたることだ、私の恋人、私が接吻しようとした、梨の木の枝についた〈雫〉〈露〉は、落ちたか蒸発したか、忽然と姿を消してしまった。〈わたくし〉 の〈情炎〉―私の恋は終わってしまった。それはもう〈水いろの過去〉悲しい過去の出来事になってしまった。

 

 以上通釈してきたようにこの詩は、「わが恋は終わりぬ」という一句で象徴されるようなユーモアの精神のあふれた失恋の詩である。

開 墾という農作業をする〈わたくし〉は、近くの梨の木の枝に置いた〈雫〉〈露〉に一方的に恋をし、仕事が終わったら接吻しようと勝手に楽しみにし、仕事中 も、まるで悪漢のようにちらちらそっちを盗み見していたのであるが、いざ、仕事を終えて、恋人に接吻しようとよっていったら、その恋人―〈たよりなく〉 〈あてにならない〉〈げんしやうのせかい〉が生み出した〈雫〉は、〈たよりなく〉〈あてにならない〉〈げんしやうのせかい〉の生み出したものゆえ、忽然と 姿を消してしまった。〈わたくし〉の片思いの恋は報われずに終わってしまったのである。

 こんな風に、この詩には、賢治のユーモアの精神が盛られているのである。

敬虔な〈清教徒〉にも例えられた〈わたくし〉が、一方的に〈雫〉に恋をし、悪漢みたいに接吻しようとするという悪巧みを抱くのだが失敗に終わるという失恋詩。謹厳実直と思われがちな賢治の中のこうしたユーモアの精神を忘れないようにしたいものである。