評釈「 青 森 挽 歌 」  

               渡部芳紀  

津軽海峡


   1

「青森挽歌」−『春と修羅』(大正十三四月刊) 所収の詩。この詩には、大正十二年八月一日の日 付が入っている。表題は、青森に於ける挽歌の意。 挽歌は、人の死を悲しみ悼んで作るうたの意。前 年の十一月二十七日に無くなった妹としの死を悼 んでの挽歌である。

「青森挽歌」を評釈する。

時は、大正十二年八月一日、時間は、四時半こ ろから五時頃にかけて、場所は、東北本線の小湊 から浅虫にかけての夜汽車の中とその周辺である。 この日、月齢は十八・四、日の出は、 時  分 である。そうした、夜明け前の夜汽車の中で話は 展開する。

01こんなやみよののはらのなかをゆくときは


かばんにもたれて睡つてゐる)

〔語釈・句釈〕
<やみよ>−闇夜といっても文字通りの闇夜では なく、十八夜の月がかかっている。ここでは、夜 の闇といった程度。
<客車のまどはみんな水族館の窓になる>−闇の 側から夜の列車を見ていると、一つ一つの窓がそ れぞれ、水族館の水槽に見えて来るということ。
<乾いたでんしんばしらの列が/せはしく還つて ゐるらしい>−電信柱の影が窓のそとをどんどん 通りすぎる様子。そこにせわしさを感じている。 <銀河系>−太陽系の属する凸レンズ状の渦状星 雲。
<玲瓏>−声、楽音、空気などが、透き通って美 しいさま。
<銀河系の玲瓏レンズ>−銀河系という透明な美 しいレンズ。
<巨きな水素の>−大きな水素のような。りんご に懸かる形容語。銀河がレンズだとすれば、りん ごは銀河にとって水素みたいなものだという比喩。
<りんごのなかをかけてゐる>−青森県はりんご の産地。汽車が水素のようなりんごを沢山枝につ けたりんご畑の中を走っている様子を描いている。
<けれどもここはいつたいどこの停車場だ>−東 北本線の最北端に近い小湊駅か?賢治の乗った列 車は、午前四時三十七分にここを通過している。
<八月>−賢治は北海道に向け、大正十二年七月 三十一日に花巻を立っている。途中、沼宮内付近 で日付が変わり八月一日になって、いまその日の 夜明けを迎えようとしている。
<しじま>−静寂。
<寒天凝膠アガアゼル >−夜の静けさをゼラチンで比 喩した。
<真鍮棒>−タブレットが使われる前に使用され た真鍮の棒。単線鉄道で駅長がわたす通行標。
<真鍮棒もみえなければ/じつは駅長のかげもな いのだ>−この時間帯上り列車はないので真鍮棒 も必要ないのだ。

〔評釈〕
作品の冒頭である。
りんご畑を通っていた列車は、とある田舎駅にと まる。夜明けの事とてすれ違う列車もなく、駅は 静寂に包まれている。

・わたくしの汽車は北へ走つてゐるはずなのに


32わたくしははやく浮かび上がらなければならな い

〔語釈・句釈〕
・<〈わたくしの汽車は北へ走つてゐるはなの に/ここではみなみへかけてゐる〉−恩田逸夫は、 角川書店刊日本近代文学大系『高村光太郎・宮沢 賢治』(昭和四十六年六月)の注釈で、〈疲労し て意識が朦朧(もうろう)としている時の方向感 覚。〉とするが、間違い。単に、汽車が、この辺 りでは南へ走っているに過ぎない。つまり、花巻 から青森行きの汽車に乗っているのであるから、 〈北に走つてゐるはず〉だが、この辺り、東北本 線小湊あたりを北限とし小湊からは次第に南行し、 青森手前の浅虫あたりでは完全に南東の青森へ向 かっている。のちの描写から考えて小湊駅と小湊 から浅虫にかけての区間が作品の舞台と考えられ る。
<はるかに黄いろの地平線/それはビ・アの澱おり をよどませ>−恩田は、〈幻想のなかの風景〉と するが間違い。夜明けが近づいて東の空が次第に 黄色く色づき始め、そこに、ビ・ルの澱のような 淀みを感じている表現。
<汽車の逆行は希求ききう の同時な相反性>−汽車 が南へ駆けているのは、私の北へ行きたい思いの 強さが逆にあらわれたのだ。
<こんなさびしい幻想から/わたくしははやくう かびあがらなくてはならない>−夜の暗さの中で 思いも暗く沈んで行く。早くそこから抜け出そう と思う。

〔評釈〕
作品はまずきちんと表現を捕らえなければならな い。観念で作品を読まず実証で読みたい。
汽車の南へ進むのも随分観念的に捕らえられてい るがまずはこのように形而下的に把握することが 必要だろう。

33そこらは青い孔雀のはねでいつぱい


39なるべくおもひださうとしない)

〔語釈・句釈〕
<そこらは(中略)いよいよつめたく液化され> −寝不足気味の目に映った夜明け方の夜汽車の中 の物憂い雰囲気。

〔評釈〕
疲れと眠さから今回の旅の目的<考へださなけれ ばならないことを(中略)おもひださない>自己 を反省している。

40今日のひるすぎなら


45だから睡いのはしかたない

〔評釈〕
〈今日のひるすぎなら〉〜45〈だから眠いのはし かたない〉−〈今日〉は、大正十二年七月三十一 日のこと。昼間、学校かなにかで作業をして、引 き続いて旅に出てきて、あまり良く眠ってないの で、昨日と表現せず〈今日〉と言ってしまった。 実際の時刻は、八月一日の夜明け方である。昨日 の労働で疲れていて〈だから眠いのはしかたない 〉と思うのである。

46( おゝおまへ せはしいみちづれよ


54ドイツの尋常一年生だ

〔語釈・句釈〕
<おおおまへ せわしいみちづれよ/どうかここ から急いで去らないでくれ>−出典不明。
<尋常一年生>−解決しなければならないことを 解決しないので自己嫌悪からこうした呼びかけが 聞こえてくる。

〔評釈〕
良く分からない一節である。

55あいつはこんなさびしい停車場を


59たつたひとりで行つたらうか

〔評釈〕
<あいつ>は、大正十一年十一月二十七日、亡く なった妹としのこと。賢治は妹の死以来、づっと としは、極楽のようなすばらしい所に行ったかど うか、ひょっとしたら、暗い黄泉の国へ行ってし まったのではないか、霊魂となって次の世で幸せ に暮らしているのではなく、ただ、肉体が腐って どろどろと汚い物質に変わってしまったり、どろ どろした醜い世界におちたのではないかと迷い悩 んでいる。ここでも、その悪い方の想像〈こんな さびしい停車場を/たつたひとりで通つていつた らうか/どこへ行くともわからないその方向を/ どの世界ははいるともしれないそのみちを/たつ たひとりでさびしくあるいて行つたらうか〉と、 相変わらず、迷いが湧いてくるのである。今回の 旅の目的の一つは、北の涯に行って死の国へ行っ たトシと通信を交わし、トシがあの世で幸せに暮 らしているかどうかを確かめたいということも含 まれている。
 この問題への一つの回答が「銀河鉄道の夜」で あったと言えよう。

60<( 草や沼です


77 忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだの に》

〔語釈・句釈〕
ギルちゃん−小動物おそらく蛙をイメ・ジした名 前。
ナ・ガラ−梵語で龍のこと。ここでは、蛇をイメ ・ジした小動物の名。
環をお切り−呪術を解くこと。
でもギルちゃんだまつてゐたよ−死の状況を描写 した表現。この会話をしている子供たちはまだ死 をはっきりととらえてはいない。死という概念の かわりに具体的にその様子を口で伝えようとして いるのである。鳥が沢山飛んでくれば、普段のギ ルちゃんなら危険を感じて大声出して仲間に知ら せたり自分も逃げだしたり何らかの反応を示すの だがこの時のギルちゃんは、そういう生活反応を 示さなかったのである。つまりもう死んでいた、 殺されたいたのである。
飴いろ−水飴のような色。薄い黄褐色で、透き通 ったかんじの色。<変に飴いろ>とは、異変の象 徴であろう。
ギルちゃんちつともぼくたちのことみないんだも の−死の状況の描写。
さっき−時間的にはギルちゃんが殺される前のよ うす。
おもだか−オモダカ科の多年草。各地の水田、い け、沼などに生える。高さ三十〜六十センチ。葉 は、やじり状で長柄を持つ。夏、花茎を延ばしそ の上部に白い三弁の花をつける。
あんまりはしやいでゐたねえ−死の静寂との対照 で生前の様子を描く。もちろん語っている子供た ちはそういう意識はなく、ただ比較しているだけ だが結果として生と死の対照になる。
どうしてギルちゃんぼくたちのことみなかつたら う/忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだの に−死の状況の描写。<でもギルちゃんだまつて ゐた><ぼくたちのことみない>を受けて死のよ うすを描いた言葉。最後までこの子たちはギルの 死が分かっていない。

〔評釈〕
多分、蛙のこどもたちの会話という設定で、死と いうものを描いた節。自分の子供の頃、死をどん なに考えていたかをも反映しているか?前と後ろ に現在の自分の妹の死に対する懐疑を並べ、その 間に、蛙の子供たちの会話という形で、自分の子 供のころの死の概念を思い出しているのか。

78かんがへださなければならないことは


85たれだつてみんなぐるぐるする

〔語釈・句釈〕
<かんがへださなければならないこと>−死後の 世界はどうなっているのか?としが死後どんな世 界は行っているのか?
<としが(中略)それからさきどこへ行つたかわ からない>−これが、今の正直な気持ちであり、 その考えに解決を付けようとして今、北の涯を目 指して旅だったのだ。
<おれたちの空間>−現世。この世。

〔評釈〕
今、一番大事な問題を、冷静な気持ちで整理して いる。それは、死後の世界とはどのようなものか、 としは、死後どんな世界へ行ったのかという問題 である。

86《耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんち やい》


95それはもうわたしたちの空間を二度と見なかつ た

〔語釈・句釈〕
86《耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんち やい》−としの言葉。死期が近づき、感覚が次第 に失われ、耳も聞こえなく鳴ってきた状態を訴え ている言葉の回想。

〔評釈〕
としの臨終の場面の回想。<なつかしいひとたち の声をきかなかつた><わたしたちの空間を二度 とみなかつた>という言葉のなかに、現世と違う 別の世界へと行ってしまったという実感が込めら れている。

96それからあとであいつはなにを感じたらう


108 けれどもたしかにうなづいた

〔語釈・句釈〕
<おれたちの世界の幻視を見><おれたちの世界 の幻聴をきいたらう>−来世の方へ旅立ったとし の側からすると現世の世界が幻の世界に当たるの でこう表現した。我々の感じるのとは違った感じ 方で聞き、見ただろうと想像している。だからこ そ、いわゆる臨終の状態になっても、<わたしが その耳もとで(中略)ちからいつぱい叫んだとき /あいつは二へんうなづくやうに息をした(中 略)たしかにうなづいた>とおもうのである。
<遠いところから声をとつてきて>−感覚の無く なっているとしにとりこの世の声は遠いところに 感じられるものなのだろう。としにとって遠いと ころの意だろう。
万象同帰−あらゆる事物や現象が帰るところのも の。すべての物事の根源。
<そのいみじい生物の名>−<いみじい>は、本 来は<いみじき>とあるべき語。軽々しくない、 厳かな、の意。ここでは、二人が信仰してきた日 蓮宗( 国柱会) の尊崇する釈迦か、日蓮を指して いるのであろう。
<けれども>−一般に、死後は死人は何も反応し ないというけれどもの意。
<たしかにうなづいた>−死んだ後も確かに、私 の言葉に反応した。死者には、この世を違う別の 感覚があるのだという気持ちが込められている。

〔評釈〕
死後にも死者には、この世とは違った独特の感覚 世界があるのだということを言っている。死んだ と言われたあとも、私が呼びかけた時、妹は確か にそれに反応した。間違いなく反応したのだと場 面を再現しながら強調する。

109 《ヘツケル博士!


118 そしてわたくしはほんたうに挑戦しよ)

〔語釈・句釈〕
<ヘツケル博士>−Ernst Heinrich Haeckel、ド イツの生物学者。(1834 〜1919) 。唯物論的立場 をとる。
<わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつ てもよろしうございます>−<ありがたい>は、 字義どおりの<有り難い>の意で、あり得ない、 考えられない、存在しえないの意。ただ、それは、 また霊魂の世界の証明に通じるわけだから、派生 的な意味での、とてもありがたい、感謝すべき意 にも通じて行く。恩田は、<ヘッケルが神秘主義 や霊魂不滅説などを信じていないので、聴覚が失 われているのに、こちらの呼びかけが通じたこと への不思議についてこのように述べているのであ る。>とするが、少しずれているようだ。同じく、 補注でも、賢治がヘッケルの影響を受けたことを 繰り返している。同じ側で捕らえている。しかし 、ここで大事なのはむしろ逆である。ヘッケルが 唯物論者をして、霊魂の世界とか、死後の世界を 信じないのに対し、賢治は、今の例などからして、 死後に霊魂の世界があることを証明しようという のである。賢治とヘッケルとは、ここでは対立す る立場、価値観をもった存在として対しているの である。
》 <仮睡>−仮の眠りについているの意?眠くてう つらうつらしている様子か?意味上は<珪酸>に 懸かるのでは無く、<雲>に懸かる。33<そこら は青い孔雀のはねでいつぱい>34<真鍮の眠さう 脂肪酸にみち>を受ける表現。夜明け方の眠そう な雲(実際は雲を見ている自分が眠いのだが)の 様子。
<珪酸>−珪酸ナトリュウムの溶液に酸を加えて 得られる白い膠状物質。ここでは、夏の夜明けの 不気味な色の雲の様子を形容している。
<凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は・・>−唯 物論者の「霊魂の世界なんてありはしない。人間 は死ねば肉体が腐ってどろどろに融け消滅してい くだけだ」と言ったような幻聴。死後の世界を信 じよう信じようとしている<わたくし>に、そう した霊魂の世界を否定するような言葉が聞こえて くるのだ。先走って言えばそれは、賢治自身の迷 いの表白でもある。 <宗谷海峡>−北海道北端宗谷岬を樺太( サハリ ン) との間の海峡。<わたくし>は、これから、 津軽海峡を渡り、さらに宗谷海峡を渡って樺太( サハリン) へ渡ろうとしているのである。 <夜どほし甲板に立ち>−賢治は、大正十二年八 月二日の午後十時半稚内発、午前六時半大泊着の 連絡船で樺太に向かっている。
<具へなく>−雨よけ、霧よけなどの具えも無く ・・。夏の宗谷海峡は霧で有名だった。案の定、 賢治が渡った時も深い霧に覆われていた。
<からだはけがれたねがひにみたし>−死んだ妹 (霊界)と交信しようなどというだいそれた、か  つ個人的な願いを持っていることを<けがれた >と表現しているか?
<挑戦しよう>−唯物論的考え方、神・仏・霊界 を否定する考え方に挑戦していこう。

〔評釈〕
霊界を否定する考え方に対する挑戦の姿勢を漂白 した節。<証明の任に/あたつてもよろしうござ います>とか<わたしはほんたうに挑戦しよう> とか、強い姿勢が出ている。しかし、うらを返せ ば、賢治の中に、科学者としての眼差しがあって、 唯物論的にものを考えようとする傾向もあり、霊 界を否定しようとする思いもあるのだ。そうした 賢治自身の迷い、両者の間に揺れ動いている心を 読み取って行きたいものである。

119 たしかにあのときはうなづいたのだ


139 ほかのひとのやうにつぶやいてゐたのだ

〔語釈・句釈〕
<あのときは>−<そのいみじい生物の名を/ち からいつぱいちからいつぱい叫んだとき>。
<つぎのあさまで/胸がほとつてゐたくらゐだか ら>−<ほとつてゐた>は、<ほとおる( 熱) > の変化。現在の、<ほてっていた>だろう。
<ひとくさり>−一つの纏まった話し。ここでは 一部分の意。一段落。
<おしげこ>−賢治やとしの妹しげ。明治三十四 年生まれ。岩田家に嫁す。
<あけがたのなかに>−明け方の夢の中にの意。 <《黄いろな花こ おらもとるべがな》>−黄色 な花を私も取ろうかな。妹おしげの夢の中でとし が喋った言葉。
<あのあけがた>−死んだ翌朝。大正十一年十一 月二十八日の朝。
<落葉の風につみかさねられた>−としの無くな ったのは、十一月二十七日、秋も深まった時で、 このような表現になった。
<ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ >−よくわからないが、自分の死といったもの か?死なんて自分のことでなく人ごとのように言 葉を発していたということ?

〔評釈〕
現世を来世との間に、その中間的な世界があって、 死者は、死んだ直後はまだしばらくそこにいると いう考えをのべた節。仏教で言えば中有というこ とだろうがここではあまり宗教的発想はない。も っと実感としてそういう、中間的な段階を感じと っている。

140 そしてそのままさびしい林のなかの


たよりなくさまよって行つたらうか

〔語釈・句釈〕
<そのままさびしい林のなかの/いつぴきの鳥に なつただらうか>−転調されここから暗い、迷い の世界に入って行く。
<いつぴきの鳥になつたらうか>−としが死後鳥 になったかもしれないという発想は「白い鳥」 (大正十二年六月四日付け)にすでに見られる。 <二疋の大きな白い鳥が/鋭くかなしく啼きかは しながら/しめつた朝の日光を飛んでゐる/それ はわたくしのいもうとだ/死んだわたくしのいも うとだ/兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐ る>。
<lestudiantina>−フランスの作 曲家ヴァルトトイヘル作のワルツ「女学生」。

〔評釈〕
妹の死後の世界に関して、明るい想像と暗い予想 と交互に繰り返される。それは賢治自身の迷いの 現れである。宗教家としての賢治は、としは敬虔 な信仰者であったのだから幸せな世界に転生した に違いないと思い、科学者としての賢治は、科学 的に考えると死ねば唯物質的に消滅していくだけ だ、腐り、崩壊してしまったに過ぎないのではな いかと懐疑が湧きおこる。賢治の思いは明と暗と の間に揺れ動いている。この節は、暗い想念が湧 いてきた部分である。

149 わたくしはどうしてもさう思はない


153 どうしてわたくしはさうなのをさうと思はな いのだらう

〔語釈・句釈〕
<わたくしはどうしてもさう思はない>−前の節 を受けて、死後のとしが寂しくつらいおもいをし ているとは思わないということ。 <なぜ通信が許されないのか>−何故、死者の世 界に行つたとしとこの世との間で互いに連絡が取 れないのか。<わたくし>は、霊界へ行ったとし からの通信を待っている。通信が来ないので、も しかした地獄のような変な世界へ行ってしまった のではないかという疑念が湧き起こるのである。 <私のうけとつた通信は>−『春と修羅』の「青 森挽歌」の二つ前の詩「風林」にはある<とし子 とし子/野原へ来れば/また風の中に立てば/き つとおまへをおもひだす/おまへはその木星のう へに居るのか/(中略)/・・此処こごあ日ひ あ永 な あがくて/一日いちにぢのうちの何時いづだがもわが らないで・・/ただひときれのおまへからの通信 が/いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけ だ>を受けた言葉か?
<どうしてわたくしはさうなのをさうと思はない のだらう>−としは間違いなく幸せな世界へいっ たのに、霊界で幸福に暮らしているのに、それを 信じないのだろう。

〔評釈〕
時々湧いてくる疑念に対し、自分を戒めている節。 としの死の前後よりずうっと抱き続け、捕らえら れてしまっている懐疑であり、迷いである。

154 それらひとのせかいのゆめはうすれ


177 それらのなかにしづかに立つたらうか

<それらひとのせかいのゆめはうすれ>−<それ ら>は、<ひとのせかいのゆめ>と同格。次第に 人間界・現世の色合いがなくなりの意。この世か らあの世へと近づいて行く様をしめす。
<あかつきの薔薇いろ><あたらしくさはやかな 感官><日光のなかのけむりのやうな羅うすもの>− としが行ったにちがいない天上界の表現。そうし たすばらしい世界へと登っていったに違いないと 思う。
<交錯するひかりの棒をよぎり>−としが登って 行きつつある極楽浄土への途中の世界の美しさ神 々しさを示す表現。チンダル現象のように光の棒 が交錯する美しい空を天上へと登って行ったと言 っている。
<わたくしはその跡をさへたずねることができる >−としがそのような素晴らしい、極楽浄土の世 界へ行ったに違いないと確信をしているという思 いを込めた表現。
<そこ>−天上界。
<たひらかさ><かがやき><未知な全反射>< ひかりゆすれる樹の列を/ただしくうつす>−全 て<碧い寂かな湖水の面>の平らかさの形容。 <それがおのづから研かれた/天の瑠璃の地面と 知つて>−<碧い寂かな湖水の面>が、実は天上 の地面だったと、その素晴らしさを強調している。 これは、そのまま、天上の世界の素晴らしさ、完 璧さの象徴なのである。
<紐になってながれるそらの楽音>−妙なる調べ が目に見える紐のように流れている様子。現世と は違う天上の素晴らしさの一端を示す表現。「風 林」には、<どこかも知れない空間で/光の紐や オーケストラがほんたうにあるのか>という表現 がある。
<瓔珞>−宝石を連ねた装身具。仏像や寺院の堂 内の装飾に用いる。
<あやしい>−神秘的。霊妙な。
<うつらずしかもしづかにゆききする>−移動と いうような大きな動作はしないが、それでいて、 しずかに行き来をする、の意。天上界の生物たち の妙なる動き、仕種を表現したもの。
<巨きなすあしの生物たち>−<巨きな>は<す あし>の形容。<巨きなすあし>は、天上の生物 の清浄の象徴。「小岩井農場」パート九には、< あなたがたは赤い瑪瑙の刺でいつぱいな野原も/ その貝殻のやうに白くひかり/底の平らな巨きな すあしにふむのでせう>という表現があり、「ひ かりの素足」には、<貝殻のやうに白くひかる巨 きなすあし>の如来が登場する。

〔評釈〕
迷い、懐疑から一転、としが、死後、天上に登っ たに違いないという確信を語る。

178 それともおれたちの声を聴かないのち



191 斯ういつてひとりなげくかもしれない

〔語釈・句釈〕
<おれたちの声を聴かないのち>−死んで死者の 世界に入った後。
<暗紅色の深くも悪いがらん洞と/意識ある蛋白 質の砕けるときにあげる声/亜硫酸や笑気せうき の にほひ>−<亜硫酸>は、H2 SO3t酸素と化合 して硫酸となり、還元剤、漂白剤に用いられる。 亜硫酸ガスは、刺激臭のある無色の気体で有毒。 <笑気>は、酸化窒素。吸引すると、顔の筋肉が 痙攣し笑ったような表情になるところからの命名。 不気味で、不快な匂いや音で地獄のような雰囲気 を描写している。
<これらをそこに見る>−そうした不気味で不快 な世界を新たに入って行った世界に見るの意。

〔評釈〕
錯綜する思いのうち、悪いほうの思いが再び胸の うちに沸き上がる。としが地獄のような不気味で 不快な世界へ行ってしまったのではないかという 思いが湧き、気持は千々に乱れるのである。

152 わたしのこんなさびしい考は


212 二度とこれをくり返してはいけない

〔語釈・句釈〕
<感ずることのあまり新鮮すぎるとき>−感ずる ことが新鮮で強烈過ぎるとき。
<がいねん化>−個々の事物から共通な性質や一 般的な性質を取り出してまとめること。
<まもつてばかりゐてはいけない>−受け身にば かり考えてただ悲しんでばかりいてはいけない。 自分から積極的に妹の死というものを乗り越え無 ければならない。
<ここの感官をうしなつたのち>−この世の感覚 器官を失った後。
<これ>−トシが死後の世界でどのような肉体を 得、どのような感覚器官を得たかということ。
<倶舎>−倶舎論の略。倶舎論は、インドのバス バンドウ(世親)の著。五世紀なかば頃成立。仏 教の存在論、実践論を体系的にまとめて解説した もの。
<さつきのやうに云ふのだ>−155 <あかつきの 薔薇いろをそらにかんじ>〜176 <遠いほのかな 記憶のなかの花のかをり>に描かれたように極楽 浄土は清らかで美しい世界だと。
<二度とこれをくり返してはいけない>−としが 地獄のような汚く醜い世界へ行ったなどという疑 いを抱いてはいけない。迷いを生じてはいけない。

〔評釈〕
<わたくしのこんなさびしい考は/みんな夜のた めにできるのだ/夜が明けて海岸へかかるなら/ そして波がきらきら光るなら/なにもかもみんな いいかもしれない>とは、自分の迷いが夜の為に 引き起こされていると感じ、夜が明けて汽車が浅 虫当たりの海岸を走るようになり、朝日に波がき らめけば解消することかもしれない。自分の迷い を夜のためとし、明るいひかりの中では迷いが解 消するだろうと予測している。この節では、いま までのように唯ゆらゆらと心がふらついていたの に対し、自分を冷静に見つめ、客観的に見様とし ている。ここでわかるのは、汽車がまだ浅虫付近 の海岸近くには達していず内陸を走っているとい うことである。列車は東北本線の最北の小湊から 西平内あたりを走っていると言えようか。汽車の 小湊発は朝の四時三十七分、浅虫は四時五十三分 なので、詩の背景の時間はその頃と思われる。

213 おもては軟玉と銀のモナド


222 巻積雲にはひるとき・・

〔語釈・句釈〕
<軟玉>−柔らかい玉ぎょく 。白や暗緑色がある。
<モナド>−万物を実在させる究極的な構成要素。 単子。
<半月>−この日、八月一日の月齢は十八・四、 居待月。この時刻、西南の空地上四十度弱くらい のいちにある。賢治はり、明るくなりはじめた夜 明けの西空に半月(18日の月)を有明月として 眺めている。夏の夜明けのこととて靄のようなも のがかかり<半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ>と いった感じであったのだろう。
<巻積雲>−地上約六から十三キロの上空に白色 の小塊を成して群がる上層雲。氷晶からなる。鰯 雲、うろこ雲などと呼ばれることがある。
<はらわたまで>−巻積雲が、鰯雲などと呼ばれ るので、雲の中のほうの意で、はらわたといった 表現を使ったか?
<蛍光板>−蛍光物質を塗った板。ここは、月光 で青白く光る巻積雲に満たされた空の様子を螢光 塗料を塗った板と比喩している。
<青森だからといふのでなく>−ここが苹果栽培 で知られた青森県だから、苹果の匂いがするとい うわけではなく、の意。
<巻積雲にはひるとき・・>−・・には、「苹果 の匂いがするものだ」といった言葉が省略されて いる。

〔評釈〕
現在の汽車の外の空の様子を写した節。西南の空 に懸かった半月の有明月によって、空には靄のよ うなものがかかり、しかも月光により鰯雲が怪し く光り、まるで蛍光板のよう。あたりには、苹果 の匂いもしてくるようだ、といった光と匂いによ り、夜明けの微妙な雰囲気を描きだしている。

223 《おいおい あの顔いろは少し青かつたよ》


234 おれたちはあの重い赤いポムプを・・

〔語釈・句釈〕
<おいおい あの顔いろは少し青かつたよ>−賢 治に囁きかける唯物論者の声。それは、賢治自身 の中の分裂した心の一方の声でもある。賢治の中 に科学者の目があり、唯物論的に物をみようとす る目がそうした呼びかけを招きよせるのだ。 <無上道>−仏語。この上もなくすぐれた悟り。 ここでは、この上もなくすぐれた悟りを得た状態 <ぢきもう東の鋼もひかる>−今は鋼のように見 える東の空も、もうすぐ夜が明けて光り始める。 この日、日の出は、 時  分。
<ほんたうにけふの・・きのふのひるまなら>− 夜行列車でよく眠らずに来たので、思わず今日と 言ってしまったが、すでに、十二時を過ぎた夜明 けの五時前なので、昨日と言い換えた。40<今日 のひるすぎなら>では、そのこと( 日が変わった こと) に気付かずに<今日>とだけ言っているが、 ここでは、性格に言い換えている。
<おれたちはあの重い赤いポンプを・・>−42行 の<まつたくおれたちはあの重い赤いポムプを/ ばかのやうに引つぱつたりついたりした>に呼応 する言葉。・・は、不明。

〔評釈〕
悪魔の囁きのように、唯物論者の、としの死を暗 く悪意に印象つけようという言葉が、賢治の耳に 聞こえてくる。それは、賢治自身の迷いの現れで もある。賢治の中の、科学者としての目がそうし た迷い、疑念を呼び込むのだ。そして、その迷い また、自分自身ではねのけようとするのだ。自分 自身の迷いを撥ねつけるように。
この節では、迷いが弱まり、妹は無上道に属し ているに違いないという確信に近づいている。名 酔いを払拭したと言ってよかろう。

235 《もひとつきかせてあげよう


245 まことはたのしくあかるいのだ

〔語釈・句釈〕
<《もひとつ(中略)すぐ暝りかねてゐたよ》> −また、悪魔の囁きである。完全にはこころの中 から悪魔( 唯物論者・自分自身の疑念) を追い払 いけいれないのである。が、この時点では、それ も弱い。一時的ではあるが九十九パーセント確信 の方に近づいていると言えよう。こうゆう確信の あとでもなんども迷いはぶり返すので有るが、そ らは他の作品でまた示されるので、この作品にお いては、迷いが払拭された方向で纏められる。
<もうぢきよるはあけるのに>−日の出は、 時  分頃である。
<おまへ>−唯物論者。<武器やあらゆるものは /おめへにくらくおそろしく>は、唯物論者の論 理そのものが自分自身を束縛する枷になって自由 な発想ができなくなり、暗く恐ろしいものになっ たしまうといっている。
<まことはたのしくあかるいのだ>−唯物論に捕 らわれずもっと高い考えを持っていれば、この世 界は(死者の世界を含めて)楽しく明るい世界に 変わるのだ。

〔評釈〕
悪魔の囁きが聞こえてももう動じないくらい心は 自信に満ちてくる。<すべてあるがごとくにあり /かゞやくごとくにかがやくもの><まことはた のしくあかるいのだ>という心的状態になってい る。

246 《みんなむかしからのきやうだいなのだから


252 さういのりはしなかつたとおもひます

〔語釈・句釈〕
<《みんなむかしからのきやうだいなのだから/ けつしてひとりをいのつてはいけない》>−神の 囁き。仏の囁き。それもまた賢治自身の心の反映 である。自分を常に見つめる自分が少しでも自己 中心的な発想をしそうになると、こうした囁きを 発するのである。<ひとり>は、妹としのことだ けの意。

〔評釈〕
纏めの言葉。妹の死を超越すると同時にさらに広 い愛の世界へ自分を解き放っている。勿論それは、 今までの自分の悩みが個人的な傾向に傾きつつあ ったのを反省した思いでもある。そうした心境に 達した時、自身も迷いから解放されるのである。

 以上みてきたように、この詩は、としの死を乗 り越えられない賢治が、としと交信しようと北の はてへ旅する途中、自分の思いを綴った詩である。 としが不幸になってしまったのではないかという 思いが度々湧きながらも次第にその思いを克服し としの幸せを確信するにいたる過程が描きだされ た詩である。

                 終わり

渡部芳紀研究室