名作のふるさと 龍野


                渡部芳紀  

   今日は兵庫県南西部の龍野を訪れよう。童 謡「赤とんぼ」の作詞者詩人三木露風の故郷 である。
JR山陽線龍野駅からは北東へ四キ ロ、JR姫新線本龍野駅から西に一キロほど の所に龍野の中心街がある。まずは本龍野駅 の西一キロほどの所、揖保川のほとりの市役 所を訪れよう。観光課で「童謡の里龍野」の パンフレットをもらったら(パンフレットは、駅前の観光売店でも貰えるという)、川向こう(川の 北西側)の小山の中腹に見える国民宿舎「赤と んぼ荘」に向かおう。

 市役所の西、揖保川に掛かった龍野新大橋を 渡り二百メートルも行つて右(北)へ曲がる と道は次第に上りになり龍野高校の西脇を通 って龍野公園しらさぎ山の裏へと登って行く 。分かれ道に出たら国民宿舎「赤とんぼ荘」の標 識に従って右に入って行けば「赤とんぼ荘」の前 に出る。駅から真っ直ぐタクシーでここまで 来てもよい。国民宿舎のある「しらさぎ山」からは朝7時、夕方5時(夏は5時30分)、夜10時の三回、「赤と んぼ」のメロディーが町に向かって流されると いう。

 国民宿舎に向かって後ろ側に、展望台への 遊歩道「童謡の小径」が出来ている。小径の 入口のアーチの左に緩い下り坂の「哲学の小径」がある。その道を百メートルも進んで行 くと、右手に三木清の碑がある。

<しんじつの/秋の日てれば/せんねんに/心をこめて /歩まざらめや/清>
と浮き彫りされている。その隣には三木清のレリーフがはめ込まれ ている。三木清が、この町の出身のゆかりによる。

 三木清の碑からさらに進むと、郷土の詩人 内海青潮の詩碑を経て、先程登ってきた道に 出る。(「童謡の小径」も展望台を経て、「哲 学の小径」の先に下りる。)

そこから右へ進み、先程の「赤とんぼ荘」への分かれ道を今度は左 へ進むと、左手に駐車場がある。駐車場の先 、右手の公園内に矢野勘治の「玉杯碑」がある。

三つの碑が並び、中央は矢野勘治の「頌 徳碑」(書は級友吉田茂首相による)、その左に <嗚呼玉杯に花うけて 緑酒に月の影やどし/治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見 て/向か丘にそそり立つ 五寮の健児意気高し(以下略)>
と第一高等学校寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の一、二節が彫られている。
右手には、同じく寮歌「春爛漫の花の色(下 略)」の碑が立っている。矢野勘治は、後ほ どその生家を訪れよう。

 右手に小動物園を見て、道をさらに下ると 左に登る道がある。その左手角に三木露風の 「赤とんぼ」の碑がある。
赤煉瓦の壁の中央に、
<夕焼け小焼けの赤とんぼ 追われてみ たのはいつの日か(以下略)>の全文が彫ら れている。煉瓦塀の右上には、三木露風の顔のレ リーフもはめ込まれている。

「赤とんぼ」碑


赤とんぼ碑の所から左へ曲がり、緩い坂を登って三十メート ルも行くと、左に三木露風の銅像がある。

三木露風銅像


さらにその先から道は右に曲がり、桜の並木の 間を進む。「文学の小径」と名付けられた道 だ。道なりに山裾を巡って進む。

途中、斜め左に入る小道がある。聚遠亭に到る道だ。そ の道を辿ると、左手に龍野神社がある。龍野 城主脇坂家の始祖、甚内安治を祭っている。
その先に進めば、聚遠亭のある公園に到る。

 松平定信が来遊した際、ここからの眺望を 讃えて「聚遠の門」と呼んでから、付けられ た名である。その名のとおり、南方はるかに 淡路島、瀬戸の島々を見ることができる。

庭園内に入った左手に、心字池があり、その先 には、楽庵と名付けられた茶室などがある。 茶室の脇には、元禄二年に行われた当地の句 会で、井原西鶴が詠んだ句碑がある。
<花ぞ雲動きいでたる龍野衆>と彫ってある。

心字池の左手の山裾には、
<ふるさとの/小野の木立に/笛の音のうるむ月夜や//少女子は あつき心に/そをば聞き涙流しき/十とせ経 ぬ/同じ心に/君泣くや/母となりても>
三木露風の「ふるさと」の詩を彫った碑がある。

 園を出て龍野神社前の階段を下り、先程の 「文学の小径」に出て道なりに進むと、道は 右にカーブして下って行く。その途中、左に 入る小道がある。その道を入って行くと、歌 人で教育者の安田青風の歌
<もみじばの下ゆく我を呼びとめて清くやさしき谷水のこゑ>
と彫った碑を経て、紅葉の名所「紅葉谷」に 到る。

「文学の小径」をそのまま道なりに下ると、道は南へ進む。右から龍野神社の参道 の階段が下ってきた角に、国木田独歩の父の 専八の玉垣と言われるものがある。

そこからさらに下って最初の道を左(東)へ曲がると 、左手に三木露風の旧居跡がある。道脇に標 識が立っている。

さらに道なりに進むと、道は右にカーブし、十文字(どじ)川に沿って 南へ進む。百五十メートルも進んで、四つ辻 を左へ曲がった左角が矢野勘治の旧邸である。

 矢野勘治は明治十三年、龍野町日山に三木 定七の次男として生まれ、矢野家の養子とな る。一高、東大を経て、横浜正金銀行の取締 役となり、昭和三十六年六月十八日故郷で八 十一才の生涯を閉じた。一高時代に作り人々 に愛唱された寮歌「春爛漫」「嗚呼玉杯に」 の作詞者である。

旧邸は、記念館として公開されている。

 矢野勘治旧邸の東隣に、「龍野文学館 霞 城館」がある。龍野ゆかりの三木露風・三木 清・矢野勘治などの文献資料が展示されている。

「竜野文学館 霞城館」

 三木露風は、明治二十二年、龍野に生まれ 、詩人として活躍し、『廃園』『寂しき曙』 『白き手の猟人』などの詩集を出した。昭和 二年山田耕筰によって作曲された「赤とんぼ 」は、全国を風靡。現在も愛唱されている。 昭和三十九年、東京三鷹で交通事故で亡くな っている。

 三木清は、明治三十年、龍野に生まれ、一 高から京大に学んだ西田幾太郎門下の哲学者 。『人生論ノート』『哲学ノート』などの著 書がある。昭和二十年九月、豊多摩の刑務所 で獄死。

 同館には、龍野ゆかりのこれら文化人の著 書・遺品等が多数展示されているので、是非 閲覧したい。休館日は毎週月曜日(祭日のと きは開館)、午前九時半から午後五時まで、 入館料二百円。

「霞城館」から南へ50メートルも行くと武家屋敷資料館がある(近日公開予定)。
「霞城館」から東に進むと、霞城館 の東の家老門前に到る。そこを右に曲がり東 に進む。裁判所前を通って道は左に曲がる。 その右角にある家が三木露風の生まれた家だ。

三木露風生家


左へ曲がって真っ直ぐ行くと、龍野城の埋 門に到る。城内西側の石垣の角には、隅櫓が 残されている。城内東側には、歴史文化資料 館がある。龍野の歴史・文化の資料が展示さ れている。

 城跡を見たら、埋門の前から東へ道を百メ ートルも下って行くと、交差点の左手前角に 、うすくち龍野醤油資料館別館がある。
建物は、大正時代の代表的とも言える洋館である。 後ほど訪れる大手二丁目の資料館の別館と して、醤油作りの道具や醤油組合関係の資料 などを展示している。
二階には、山下摩起の絵が展示されている。日本画という枠を超え た、迫力ある絵が多数ある。絵の好きな人は、是非見て欲しい。

 別館のあたりには、醤油工場が多く、歩い ていると醤油の匂いがしてくる。別館前の交 差点から、道を南(右手)に辿ろう。道の右 手には、小川が沿って流れ、寺の白壁が続く。

如来寺の白壁と小川

寺は如来寺で、南側に山門がある。門を入 って本堂に進んで行くと、本堂手前右側に三 木露風の碑と筆塚がある。碑には、
<松風の渡るみ山にひびきけり   澄むらん月明ら けく>と彫ってある。
その右手には、「三木露風先生/ふでつか」 と彫った碑が立っている。

如来寺斜め南前には、うすくち龍野醤油 資料館本館がある。多数の醤油製造過程の様 々な道具が展示され、圧巻である。あたりの 醤油の町の雰囲気を味わうのもいい。

 なお、矢野勘治旧邸の角の交差点から、十 文字川に沿って百メートルも下った左手には 、国木田独歩の父専八の旧居跡がある。さら に十文字川に沿って二百メートルも下った左 手にある常照寺には、独歩の祖父・国丸の墓 があったというが、今は無縁仏として合祀さ れてしまったようである。

 常照寺前の門前の道と、十文字川沿いの道 との交差点近くには、野口雨情の歌碑がある 。十文字川に沿って下った最初の交差点の左 側には、古い商家が並んでいる。交差点を右 手(西)に辿れば、古い町並みが続く。その 町並みから左(南)へ入ると、醤油蔵のある 風景に触れることができる。

 その南の揖保川に沿って、東北に川沿いに 下り、龍野橋を東に渡った左手一体に広がる ヒガシマル醤油工場の敷地内には、当地を訪 れた時の吉井勇
<ほのかなる人のなさけに似るものか龍野醤油のうす口の味>
という歌を彫った碑がある。

 揖保川の名からも分かるように、このあた りは、そうめんの産地としても有名な所であ る。その他皮革製品も特産品である。

 以上、龍野市内を文学に関わりある所をお もに回って見たが、そのほかにも見所の多い 所である。時間をかけてゆっくり回りたい。


◎リンク

龍野市のホームページ


「名作のふるさと」ホームページ


渡部芳紀研究室
中央大学文学部文学科国文学専攻