名作のふるさと

 竹   田 

       渡 部 芳 紀 

竹田・岡城より久住山方面を望む


 今回は、与謝野晶子や、川端康成の作品を 中心に大分県の南西部、竹田(たけた) を歩いてみ よう。

 <四方の山が自然に城塞の形を成してゐる 町で、長い洞門が二十五もあり、四方何れよ りするも其等の洞門に由らねば出入し難い。 (与謝野晶子「九州の旅」)と記されたよう に竹田は廻りを山に囲まれたフライパンの底 にあるような町だ。JR豊肥本線(阿蘇高原 線)で来ても国道など東西南北それぞれの国 道や県道を来てもトンネルを潜って町に入る ことになる。今回は、豊後竹田の駅から歩き 始めよう。

 駅前の広場には近代彫刻の第一人者朝倉文 夫制作の婦人像が立つている。当地が出身地の縁 による。朝倉文夫の彫刻は羽田空港や上野駅 でもおなじみであろう。彫刻の美しさに見ほ れていると、駅の背後に小高い崖が垂直に立 つているのが目に入ってくる。その崖を一筋 の滝が垂直に落ちている。落門の滝だ。その 滝の左手の崖の斜面には下木磨崖仏がある。

竹田駅前朝倉文夫の銅像

 駅から左手へ行けば直ぐ市役所がある。竹 田のガイドマップが貰える。それを基に町中 に入って行こう。

 町中に見る所は数々あるがまずは市立歴史 資料館へ行こう。駅前から稲葉川に掛かった 橋を渡り真っ直ぐ進み四百メートルも行った 市営駐車場の角を右へ曲がりさらに三百メー トルも行くと歴史資料館に着く。町の南の外 れといった所。

 資料館には、後ほど訪れる岡城の資料や、 江戸後期の画家田能村竹田、日露戦争の軍神 広瀬武夫中佐、朝倉文夫、滝廉太郎などの当 地出身の偉人達、サンチャゴの鐘(国指定重 要文化財)や織部燈籠などの歴史的資料等が 展示されている。ここで竹田に関する概略を 掴んでから町に出て見よう。資料館には町の パンフレットなど案内の資料もあるので便利。 それをもとにまずは滝廉太郎の旧居を訪れよ う。

 資料館の門を出て、来た道を戻り最初の小 道を左に曲がる少し進むと直ぐ小さなトンネ ルに入る。滝廉太郎トンネルと言われるもの だ。トンネルに入って行くと「春高楼の花の 宴、めぐる杯影さして……」とメロディーが 流れて来る。トンネルを抜け突き当たりを右 に曲がるとすぐ左に「荒城の月」の作曲家滝 廉太郎の旧居(滝廉太郎記念館)がある。明 治十二年生まれの廉太郎は、父の仕事の関係 で明治二十四年から二十七年までこの地に住 み高等小学校を卒業し、春、東京に上京、秋 に東京音楽学校予科に入学している。家の前 には廉太郎の写真を拡大して焼き付けた大き な碑が立っている。旧宅は記念館として公開 され廉太郎の一生を辿ったビデオや数々の資 料が展示されている。

 廉太郎記念館を見たら道をさらに進んで突 き当たりを左に曲がり愛染堂(国指定重要文 化財。千六百三十五年、藩主中川久盛公建立 の竹田最古の木造建築物。)、円通閣(元大 勝院の楼門。)、観音寺など訪れよう。観音 寺の石垣の下には十六羅漢も控えている。

 再び歴史資料館に戻り駐車場の脇から階段 を登って左に進み国指定史跡の旧竹田荘に行 こう。江戸時代後期の文人画家田能村竹田 (一七七七年〜一八三五年)の生家である。  竹田が起居した母屋を初め、門弟達を指導 し南画の黄金時代を築いた画塾「補拙廬」 (一八二六年建立)、一階が茶室、二階が書 庫になっている「草際吟舎」(一八〇六年建 立)など竹田を忍ぶ建物が竹田の時代さなが らに残され公開されている。

竹田荘

晶子は竹田荘を 訪れた時の思いを
<詩人画家田能村竹田の生 れた土地であり、今もその遺作が多く、(中 略)竹田の旧居をも訪うたが、草深い中に軒 傾き畳くちてゐる状であつたが、(中略)草 を分けて遺愛の木犀を嗅ぐのであつた。>( 「九州の旅」)
とその感慨を記している。ま た寛は<山の草軒に及ぶをかき分けて竹田荘 の木犀をかぐ><山陽の遊べる世には共に笑 む竹田ありき豊国の秋>と歌に詠んでいる。 山陽は、竹田の親しき友、頼山陽を指す。山 陽は、文政元年(一八一八)竹田荘を訪れて いる。

川端康成は、「千羽鶴」の続編「波千 鳥」のなかで、ヒロインが父の故郷竹田を訪 れ、
<竹田の旧居には、山陽と煎茶を楽しん だ茶室も残つてゐます。その茶室と母屋との あひだの庭には、芭蕉の黄ばんだ葉や枯れ折 れた葉に陽がさしてゐました。(中略)竹田 がそこの野菜を山陽に食べさせたといふ畑の 跡も、母屋の前にあります。>
と竹田荘の様 子を詳しく写している。庭にある筆塚や織部 燈籠も見たい。筆塚の裏には竹田の手で<兀 (こつ)たる石、以つて汝の恩の証を記す>と書か れている。見逃さないようにしたい。

 竹田荘を出て前の道を右へ進むと次第に下 り坂になり小さな道にぶつかる。左に折れ直 ぐ右に曲がると左角に竹田創生館がある。観 光の案内や休憩の場になっている。その先は 左右に武家屋敷が続いている。白壁や土の塀 が美しい。

 武家屋敷の間を抜け途中を右に入り畑や藪 の間を進んで行き左に曲がって行くと突き当 たりにキリシタン洞窟礼拝堂がある。隠れキ リシタンの悲哀と情熱を示すもので凝灰岩を くり抜いて造られた世界にも類のない見事な もの。格子の間から覗き込むだけだが昔のキ リシタンの思いを忍ぶことができよう。堂内 には岩をくり抜いて十字架も据えられている。

キリシタン洞窟礼拝堂

川端は<キリシタンの隠れ礼拝堂は竹田荘の 近くです。竹やぶの奥の岸壁に彫りこんで、 かなり広い洞窟です。(中略)竹田の昔の城 主がキリシタンだつたのです。>(「波千 鳥」)と描いている。

 武家屋敷の通りに戻ったら道なりにさらに 進む。道は左(北)へと曲がって行き広瀬神 社の石垣の下に出る。参道の石段を登れば神 社の境内に入る。町の東の端の高台にある境 内からは町が一望のもとに見渡せる。日露戦 争旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬海軍中佐を 祀った神社。境内に記念館や遺船、記念碑な どがある。

 広瀬神社の北隣の道を右(東)に曲がりト ンネルを潜って行くと次第に道は登り坂にな る。途中で右上に入る道を辿れば岡城に至る。 坂を登り切った所に大きな駐車場がある。

 駐車場の前の道を右手に行けば左手の崖の 斜面に滝廉太郎の肖像や代表作の「花」や 「荒城の月」の歌詞やメロディーを描いたメ ロディーアートラインに続く。

大駐車場には大きな休憩所兼お土産店があ る。その建物の右手の道を奥へ入って行くと 岡城阯と彫った大きな石柱が立っている。そ の左の階段を登って行けば岡城の本丸へと到 る。城の建物は取り壊されてしまったが登り 道も石垣も風情がある。いったん高みに登り 暫く水平に城跡を歩いて進むと再び石垣が現 れる。石垣の間の石段を登って行けば本丸跡 である。

岡城石垣

岡城は、文治元年(一一八五)緒方三郎惟 栄これよしが源義経を迎えるために築城したのに 始まる。天正一四年(一五八六)には島津軍 三万の猛攻に対し約千人の兵で守り通し難攻 不落の城として名を高めた。明治四年廃城に なるまで豪壮な威容を誇ってきた。

 本丸跡の左奥に滝廉太郎の銅像が立ってい る。故郷の彫刻家朝倉文夫の作になるもの。 その脇に土井晩翆の作になる「荒城の月」の 歌詞碑も立てられている。滝廉太郎は作曲に 当たって自分が少年時代を過ごしたここ岡城 を思いながら作曲したという。廉太郎の背後 の石垣の端からは彼方に九重連山が見渡せる。 反対側の石垣の鼻からは祖母山、傾山が見え る。実に展望の美しい城跡である。そちこち に残る石垣も大変優美である。ぜひ訪れて欲 しい所である。

滝廉太郎の銅像

与謝野晶子や寛は時間が無くて訪れなかつ たようだ。川端康成は、「波千鳥」の中で
<岡城址には、石垣のほか、なにも残つてをり ません。でも、要害の高地は見晴らしがよく て、秋晴れに山が望めました。祖母、傾(かたむき) の山々、それから反対の方に九重、その大船 (たいせん)のいただきに薄い白雲がかかつてゐるだ けでした。>とその展望を描写している。

岡城から町に戻り広瀬神社の手前を右に曲 がり真っ直ぐ行って稲葉川を渡った所にある 朝鮮牡丹で有名な英雄寺、岡藩主の菩提寺碧 雲寺なども訪れたい。

 なお時間のある時は、岡城の脇から東の緒 方の町へ行き田んぼの中に忽然として出現す る東洋のナイアガラ原尻の滝を見てみたい。 あまり知られていないが一見したい滝である。

竹田
昭和六年十月、別府から久住町へ の途次小憩。<四方の山が自然に城塞の形を 成してゐる町で、長い洞門が二十五もあり、 四方何れよりするも其等の洞門に由らねば出 入し難い。詩人書家田能村竹田の生れた土地 であり、(中略)竹田の旧居をも訪うたが、 草深い中に軒傾き畳朽ちてゐる状であつたが (中略)草を分けて遺愛の木犀を嗅ぐのであ つた。此地は広瀬中佐の生地で、公園にその 銅像と閉塞船の遺体があり、郊外の魚住の滝 から丘上に中佐の生家が望まれた>(与謝野晶子「九州の 旅」)。


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中央大学文学部文学科国文学専攻
渡部芳紀研究室