甲州を歩く

               渡部芳紀  

御坂峠より河口湖と富士山


甲府盆地・御坂峠(井伏鱒二を中心に)

 甲州と井伏鱒二とはきわめて関わりが深い 。初めは釣りのため訪れていたのだろうが次 第に甲州の魅力に取り付かれ御坂峠に篭もっ て原稿を書いたり、戦争中は八代郡甲運村 (現・甲府市)に疎開したりしてその関わり は深くなっていった。自ずからこの地の作品 への反映も多い。特に、甲府から石和を経て 御坂峠にかけては井伏文学の第二の故郷と言っ てよいくらいである。今回はこの地域を尋ね てみよう。

 この地を歩くにあたりまず見たいのは「お こまさん」(昭15)である。
<甲府市から富 士吉田までは道程十三里、この道路を八号線 と云つてゐる。甲運村を経て御坂峠を越え、 河口湖のほとりを過ぎて富士吉田に通じ、甲 府盆地から山越えで富士山麓に行く唯一の交 通路となってゐる。>
と作品は始まる。
「おこまさん」は、この 八号線バスの車掌のおこまさんに作家の井川 権二が沿線の案内記を書いてやるという設定 になっている。

 甲府駅からまずは東の石和を目指そう。
駅 の東南には甲府城がある。オベリスク風の碑 が目につく。謝恩碑である。井伏作品に度々 登場する。「甲府」(昭29)では、県の悪政 を象徴する、<あたりの風景と対照しても、 相当に目ざわりな存在>と書く。御料林を県 に恩賜されたことへの謝恩の碑である。
城の 南にある料理旅館梅ヶ枝は井伏が太宰と訪れ たり度々利用したところ。「二つの話」など の舞台である。
ほかにも市内を舞台に「ミツ ギモノ」「旅先の食べもの」など多くの小説 や随筆を書いている。

 中央線の南側をバスは東へ進み身延線の善 光寺駅の脇を抜けて行く。善光寺は、長野の善光寺が火災にあった時に備えて、武田信玄が造った寺。長野善光寺と全く同じに造られている。名刹なので時間が ある時は寄りたい。
そこより少し行くと左に 酒折宮がある。
<あの左手の山の麓に森がこ んもり茂つて見えますのは、日本で一番古い 書物、古事記に見えます酒折(さかをり)の 宮で御座います。>「おこまさん」(以下断 わりの無い時は同作品)
と案内される所。た だし井川の文章だと順序がやや狂っていて山 崎の刑場跡の後に出て来る。作家井川の性格 付けにわざとそうしたのか?

 少し行ったバス停山崎の手前で道は二つに 別れる。
<「みなさま、この大通りは甲州街 道で御座います。あの左手に、家のかげから 枝みちが一つ出てをります。あれは青梅街道 で御座います。」>
という別れ道だろうか。
左は現在の国道一四〇号線、直進は旧甲州街 道現国道四一一号線である。
 左の道を西に続く山裾に沿って石和駅北、 万力公園を経て九キロ行くと、<しほの山さ しでのいそにすむ千鳥きみがみ世をばやちよ とぞなく>「古今集」で知られる差出の磯に 至る。
<笛吹川が曲りくねつて流れてゐる。 その右岸に迫つて来てゐる丘陵の端を、差出 の磯と云つてゐる。>「鹽の山・差出の磯」、
<岡の崖下の路傍には、芭蕉の句「闇の夜や 巣をまどはして啼く千鳥」と刻んだ碑が建つ てゐる。>「琵琶塚」
と井伏作品には度々登 場する。
さらに道を笛吹川沿いに四キロも東 北に行けば武田信玄の菩提寺恵林寺である。 「滅却心頭火自涼」の山門も有名。「鹽の山・ 差出の磯」ほかで触れている。
時間があれば 近くの向岳寺・鹽の山も含めて回ってみたい。

またこのコ−スは中里介山の「大菩薩峠」の 舞台でもある。塩山の東北には大菩薩峠があ る。

 もとに戻ろう。先ほどの別れ道の手前
<こ の地先(ぢさき)の左手に、竹が三本ほど生 えて見えますのは、むかし欝蒼たる竹林であ つた名残りといはれ、むかしの刑場の跡で御 座います。>
と言うのは江戸時代の山崎の刑 場跡。現在、酒折二−一の道の北脇に「南無 妙法蓮華経」と彫った大きな碑が立っている。

 そこから一キロも行くと和戸町(旧甲運村) の中心である。ここには在原塚、藤塚、琵琶 塚があった。
<この道路と平行に右手に見え てゐます小さな路は、旧甲州街道で御座いま す。その向うに丸く盛り上がつた土の壇が見 えますのは、琵琶塚と申します。このあたり は昔は、甲斐の和戸の原といひ、政変のある たびに、都より殿上人がここに流されて、多 くは佗び住ひしてゐたところであつたと申し ます。今もなほ、琵琶塚のほか、藤塚、在原 塚などといふ丸い塚が、田んぼのなかに残つ てをりまして、雨につけ風につけ、むかしの 悲歌を奏でてゐるので御座います。(中略) 琵琶塚は縦十五間、横七間、その形は恰も琵 琶に似て、伝説によりますと、この塚は夜な 夜な琵琶の音をかなで、土民子女を慰めたと 申します。>
とみごとに案内してくれる。そ の伝説は小説「琵琶塚」(昭13)に詳しい。
昭和十九年五月から二十年七月まで井伏はこ の近くに疎開している。琵琶塚はバス停和戸 から信用金庫の脇を南へ入り百五十メ−トル も行って左に入ったあたりにあった。辺りに は在原塚、富士塚などまとまってあったらし い。所在を地元の人に尋ねると軽トラックで 案内してくれ、畑で働く老人や道行くお婆さ んに教えられやっと到達した。塚は平らにな らされ葡萄畑になっていた。僅かに、在原塚 の名残の墓石が所在場所を語っていた。

 和戸から国道を東へ一キロも行くと第一平 等川にかかった平等橋を渡る。道の右脇に甲 運亭がある。井伏が度々鰻を食べに寄ってい る所。「旧・笛吹川の跡地」(昭59)にも登 場する。洪水の時の畚やロ−プが残っている とか。ついでがあれば寄ってみたい。その先 (東)の第二平等川にかかった甲運橋を渡れ ば石和温泉である。

 石和は「旧・笛吹川の跡地」に詳しい。こ の作は石和温泉と副題してもいい。明治四十 年八月の笛吹川の大洪水を素材に、その後温 泉が湧き現在の石和温泉に発展して行く姿を たんたんと描いた傑作である。作者八十五歳 の作だがその筆力には驚くべきものがある。 作中、昭和十三年、御坂峠に滞在中に書いた 「中島の柿の木」も紹介される。大洪水の時 九十人以上の人々を助けた柿の木の話である。 合わせ読むと好いであろう。
井伏は戦後、毎 年のように笛吹川に釣りに来ているという。 昭和五十七年十一月から五十八年二月までは 糸柳旅館に滞在し療養している。
なお作中、 第二平等川が旧笛吹川で、今の笛吹川は大洪 水以来流れが変わった事も紹介されている。

 石和温泉から鵜飼橋を渡れば御坂峠を越え て河口湖に至り、鵜飼橋の一つ上流の笛吹橋 を渡り東へゆけば勝沼に出る。御坂峠に向か うまえに勝沼に寄り道しよう。

 勝沼の東端、甲州街道の旧道と現二十号線 バイパスとが一緒になったすぐ東に大善寺が ある。「柏尾山」(昭32)で<勝沼に降りて 大善寺を見物した。二十年前にも行つたこと がある。この寺は柏尾山といふ小高い山の中 腹にある。>と書いているので昭和十一、二 年頃も訪れているようだ。<大善寺の本堂は、 五間四方、桧皮葺の暦乎とした寄棟づくりの 建物である。薬師堂としては、全国における 建造物中でも相当なものだらう。>と書かれ た本堂は正応四(一二九一)年北条貞時が完 成。天文九(一五四〇)年倒壊、同十九年、 武田信玄が修復した典型的鎌倉建築。国宝で ある。庭は江戸時代の三名園の一つ。近藤勇・ 土方歳三に率いられた<甲陽鎮撫隊といふ一 団がここの裏山に胸壁を築いて立篭つた。>。 対したのは岩倉具視?、板垣退助率いる一隊 である。その戦いを素材に「山を見て老人の 語る」(昭14)が書かれた。<柏尾山は、あ のやうに甲府盆地の東北側の一端に御座いま す。あの山に登れば、十里四方の盆地が一目 に見渡されます。>と七歳の時父に負ぶわれ この軍に参加した老人の回想が語られる。

 時間が無い時は鵜飼橋から御坂峠に向かお う。橋を渡るとすぐ御坂町である。南西の御 坂峠まで続く細長い町である。旧道とバイパ スとあるがどちらでも峠に続く。井伏の行っ た旧道も良いしバイパスを通り果樹園の中を 行くのも良い。御坂町を初めこの一帯は現代 の桃源境である。桃の花の季節には一面ピン クの絨緞(じゅうたん)で覆われる。鵜飼橋 から四キロも行ったバイパスと金川曽根広域 農道との交差点は尾山である。旧金生村尾山 で「川井騒動」(昭15)の舞台である。井伏 が当地の川井常治氏宅に滞在中九十二歳のお 婆さんから聞いた話。嫁に来た翌年の二十の 時(幕末のころ)、義父が<黒駒村の道楽者> (地元の賊徒)に質入された話。メルヘンの ような話の舞台である。現在、川井家は空手 道場を開いている。作中に出てくる正寿院も 南隣りにある。尾山の交差点の角で隣家の親 戚の川井家が川井遊覧農園をやっているので 目安となる。

 尾山から<おこまさん>がバスで行き来し ていた道を十一キロほど登ると旧道との分岐 点藤野木に至る。バスは旧道は通らないので バスを降りてドライブインの先から六・三キ ロ旧道を行けば御坂トンネルがある。トンネ ルを抜けると左に天下茶屋がある。井伏が昭 和十三年、夏から秋まで滞在した地。その後 も幾度か訪れている。
<いま私は御坂峠の頂 上の茶屋の二階にゐる。海抜四千三百尺。 (中略)河口湖が眼下に見え、雲のない日は 富士が裾から頂上までまともに見える。> 「フジンタの藤」(昭13)
と書いた所。滞在 中、九月中旬からは太宰もやって来て、「火 の鳥」に取り組む。その時の体験を基に太宰は「富 嶽百景」を書いている。
井伏も「中島の柿の木」 を書き、御坂を舞台に「おこまさん」「フジ ンタの瀧」「蛍合戦」「御坂上」「猟見物」 「亡友」「御坂の碑」「峠の茶屋」など多く の作品を書いている。

 茶屋は建て替えられたが、今も開かれ、土 産物やそば類を扱っている。茶屋の前から向 い側の山の斜面に登れば太宰治の碑がある。 <富士には/月見草が/よく似合ふ>と「富 嶽百景」の一節が彫られている。背後には井 伏の「惜しむべき作家太宰治君の碑のために 記す」と題して追憶文が彫ってある。

 <御坂峠の頂上からすこし下り坂になつて 約五丁ほど行くと三ツ峠登山口の表札がある。 そこから三ツ峠頂上までは歩きいい路で約一 里である。>「蛍合戦」に従って三ツ峠に登 るのもよい。井伏も太宰と登っており、その 時の様子はデフォルメされて「富嶽百景」に 描かれている。
三ツ峠から尾根筋を河口湖に も下れる。御坂峠からは南へ降りて六キロ下 れば新道のバス停から河口湖、富士吉田へと 行ける。

 以上、井伏と甲州との関わりを甲府・石和・ 御坂峠のコ−スを中心にたどってみた。この 他にも、県北西部の武川村、増富温泉、長坂 町清春白樺美術館、甲府南方の下部温泉、御 坂町の西隣り、飯田蛇笏のいた境川村ほか多 くの地を井伏が訪れ、作品にも描いている。 甲州と井伏とは極めて関わりが深いと言えよ う。甲府市の県立近代文学館でももう少し井 伏の展示が欲しいものである。


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