津軽を歩く

               渡部芳紀  

弘前城の桜


 太宰治を育んだ地津軽「津軽」を手にし ながら歩いてみよう。その手初めに故郷金木 から訪れたい。

 金木町は、津軽半島のほぼ中央、五能線の 五所川原からだるまスト−ブで有名な津軽鉄 道に乗り北へ三十分のところにある。

<金木 は、私の生れた町である。(中略)どこやら 都会ふうのちょつと気取つた町である。善く 言へば、水のやうに淡白であり、悪く言へ ば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐ る>「津軽」(以下省略)と描く。

生家は、 金木駅から西へ五分ほど行ったところにある。最近まで、「斜陽館」という旅館だったが廃業して今は金木町立太宰治記念館「斜陽館」になっている。

太宰治記念館「斜陽館」(生家)

太宰の 生まれた頃、津島家は青森県出四番目の資産 家であった。太宰の父は、その権勢を示すよ う村一番の大きな家を建てた。金木を遠くか ら見ると、寺よりも大きな津島家 の建物が望まれる。「思ひ出」「哀蚊」「帰去来」「故 郷」「津軽」ほか多くの作品に描かた舞台である。

 「斜陽館」の北西に百メ−トルも行った所 に雲祥寺がある。

雲祥寺

「思ひ出」で
<たけは又、 私に道徳を教えた。お寺へ屡々(しばしば) 連れて行つて、地獄極楽の御絵掛地を見せて 説明した>
と描かれている寺である。
くるく る回る金輪の付いた卒塔婆「後生車」もある。

卒塔婆「後生車」

金木町の南入り口、国道339号線の旧道とバイパスの分岐点に大きな太宰の半身像と「走れメロス」のパネル、「津軽」の金木に関する一節<金木 は、私の生れた町である。(中略)どこやら 都会ふうのちょつと気取つた町である。善く 言へば、水のやうに淡白であり、悪く言へ ば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐ る>を刻んだ碑とが出来ている。

太宰治のモニュメント


 金木駅の北の駅は芦野公園駅である。駅舎 の北隣りに、明かるい緑に塗られた旧駅舎が ある。<踏切番の小屋くらゐの小さい駅>と はこの駅舎のことだろうか。<モンペをはい た若い娘さん>が<真白い歯列の間にはさま れてある赤い切符>にはさみを入れてもらう エピソ−ドの舞台だ。現在は、メロスという喫茶店に改造されている。

旧芦野公園駅

駅の西南すぐのところ に金木町立歴史民俗資料館がある。太宰の資 料も展示されているので訪れてみたい。

資料館の東南へ少し行くと金木小学校がある。太 宰の母校で、門を入った左前方に<微笑誠心 >の四字を彫った太宰碑がある。

 駅舎の北方の踏切りを右へ曲がると芦野公 園に入る。松林の中の桜並木の間を行くと、 吊り橋に出る。橋の手前の右側に太宰治の碑 がある。

芦野公園の太宰治碑

<撰ばれてあることの/恍惚と不安 と/二つわれにあり>
とヴェルレ−ヌの詩の 一節が彫られている。太宰の「葉」の冒頭に 使われていることによる。昭和四十年五月に 作られたもの。長らく故郷に入れられなかっ た太宰がやっと受け入れられた象徴的な碑で ある。このあたりも「思ひ出」や「津軽」の 舞台である。

 金木を訪れたら、さらに津軽鉄道で終点の 中里まで行き、バスに乗り換え、一時間十五 分のところにある小泊まで足を延ばしたい。 津軽半島西海岸の最北の港で、太宰は昭和十 九年五月下旬に訪れている。「津軽」のクラ イマックスの舞台だ。

小泊

育ての母タケと再会し 、<不思議な安堵感><心の平和>を感じ、 自分は、大地主の子供らしくなく、むしろ、 タケに育てられた庶民の子なのだと<自分の 育ちの本質をはつきり知らされ>「津軽」 <自分の血の中の純粋の津軽気質に、自信に 似たものを感じて帰京>「十五年間」する。

タケと太宰治の像

この、銅像の脇に平成8年4月、「小説『津軽』の像記念館」
が 開館した。「津軽」のコースの案内を初め、小泊りに住んだ越野たけさんや「津軽」に関する豊富な資料が展示されている。相馬正一しによる生前のたけさんへ のインタビューやたけさん自身の回想談、太宰の長女園子さんの父の回想、ほかパソコンやビデオを駆使して展示されている。ぜひ訪れたい。(この項、記念館 には写真撮影のお許しを戴いたり様々お世話になった記して感謝いたしたい。)

「小説『津軽』の像記念館」


開館期間・開館時間……4月〜10月 午前9時〜午後4時30分
           11月〜3月 午前9時〜午後4時
休館日……毎週月曜日(国民の祝日と重なる場合は翌日)・12月2 8日〜1月4日
入館料……一般300円 小・中学生100円(20名以上団体割引有り)
問合先……小説「津軽」の像記念館(青森県北津軽郡小泊村砂山1080-1)
                (TEL.FAX. 0173-64-3588)

 小泊から車で北へ十五キロ、曲りくねった 道を行くと(冬期は閉鎖される。バスの便は ない。)津軽半島の最北端の龍飛岬に出る。
 昭和十九年五月十八日、太宰は青森、蟹田 からやって来て、一泊し蟹田にもどっている。

龍飛岬

「津軽」では
<この本州最北端の海岸は、 てんで風景にも何も、なつてやしない。(中 略)ただ岩石と、水である。><鶏小屋と感 じたのが、すなはち龍飛の部落なのである。 凶暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしと ひとかたまりになつて、互ひに庇護し合つて 立つてゐるのである。ここは、本州の極地で ある。この部落を過ぎて路は無い。あとは海 にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えてゐ るのである。ここは、本州の袋小路だ>
と描いている。

風よけカッチョ

当時は、まさにこの通りの突き 当たりだった。その後、青函トンネル工事の基 地になり、道路も広げられ、冬期以外は、小 泊にも抜けられるようになり、鶏小屋の感じ も失われてしまった。それでも、集落を遠望 すると、崖下にへばりつくように並んだ家々 は、太宰の文章に通じる雰囲気を漂わせてい る。

東海岸から来た道は岬の下で途切れてい る。その突端に、道をふさぐように太宰治文 学碑が立っている。

太宰治「津軽」碑

<ここは、本州の袋小路 だ>以下、<諸君の路は全く尽きるのであ る>までが彫られている。

太宰が泊まり、翌 朝、<希望に満ちた燭光に似たものを、その 可憐な童女の歌声に感じて、私はたまらない 気持ちであつた>とろ感動した「茶つみ」の 歌を聞いた旅館は、奥谷旅館。龍飛の入口に 近いところに海に向かって建っている。

奥谷旅館

碑と 奥谷旅館の中間のところから上に登る道があ り、それを登れば龍飛灯台に至る。付近は公 園になっていて、南の一部以外全面海の絶景 である。北には北海道も見える。ここから見 渡す西海岸は秘境の面影をただよわす。

 龍飛からは、東海岸沿いに津軽半島東海岸中央にあ る蟹田に出よう。途中、義経が北海道へ渡っ た地という伝説のある三厩の義経寺に寄ると よい。ここも「津軽」に登場する。
同じく 「津軽」の舞台になっている貞伝和尚の本覚 寺のある<b>今別を経て蟹田に抜けよう。

 蟹田は、太宰の親友中村貞次郎(作中のN さん)の居た町で「津軽」の主要舞台である 。
<外ヶ浜に於いて最も大きな>町だが、 <おとなしく、しんと静まりかへ>って<何 か物憂い>と書かれている。
町を北へ抜けた 海岸に観覧山公園がある。美しい松林の丘の 南の鼻に、太宰治の碑がたっている。
<かれ は/人を喜ばせるのが/何よりも好きであつ た!/正義と微笑より/佐藤春夫>
と彫って ある。眼下には蟹田川に沿った蟹田の町と港 が見渡せ、東には青森湾が青々と広がる。
「津軽」では、<青森湾の向うに夏泊岬が見 え、また平館海峡をへだてて下北半島が、す ぐ真近かに見えた。(中略)この蟹田あたり の海は、ひどく温和でさうして水の色も淡 く、塩分も薄いやうに感ぜられ、磯の香さへ ほのかである。雪の溶け込んだ海である。ほ とんどそれは湖水に似てゐる>
と描いてい る。太宰は、<観覧山の桜は、いまが最盛期 らしい。静かに、淡く咲いてゐる>のを眺め ながら、友人達と酒を酌み交わし楽しい一時 を過ごしている。

 青森
は、太宰が旧制青森中学の四年間を過 ごした地である。

<この青森市に四年ゐた。 さうして、その四箇年は、私の生涯に於い て、たいへん重大な時期でもあつた>
と述べている。

太宰は、市内寺町の親類豊田太左衛 門方に下宿し、青森中学校へ通った。学校の <すぐ裏は海峡に面したひらたい公園で、浪 の音や松のざわめきが授業中でも聞こえて 来>「思ひ出」たという。<ひらたい公園> は、合浦(がっぽ)公園のことで、学校は、 今の野球場のあたりにあった。
昭和二年、弘 前高等学校に入り弘前に移った後も、浜町の 小料理屋「おもたか」に度々通い、後の妻芸 伎紅子(本名小山初代)に会ったりしている 。昭和七年七月には、左翼運動に関連して青 森警察署に出頭。取り調べを受け、非合法活 動から身を引くきっかけになるといった苦い 思い出も持つ。

 青森を訪れたら、青森市荒川字藤戸119ー7にある県立青森文学館を訪れたい。建物の一階は県立図書館で、二階が全フロアー県立文学館になっている。青森県出身の主たる作家を取り上げ豊富な展示がされている。太宰のコーナーも充実している。
展示の手前には、パソコン用のモニターも用意され ボタンを操作することで、対面している作家に関する色々な情報が得られる(出来れば作家別にしてくれるともっと良い。太宰のコーナーなど人気があって誰かが見ていてなかなか見られないし、そのぶん、隣の北畠八穂なども見られなくなってしまう)。
全体に、展示はカラフルで、展示室に入っただけで、別世界に来たような楽しさが味わえる。所々に、ビデオやパソコンのコーナーがあり、文学散歩を初め色々な情報を提供してくれる。入場料が無量なのも有り難い。
受け付けでは太宰、八穂ほか、特別展をやった人のカタログが売られていて大変役立つ。有り難いことである。
(この項、青森文学館には、写真撮影の許可をいただいたり大変お世話になった記して感謝いたしたい。)

県立青森文学館・展示(太宰治コーナー)

館を見学したら、駅の東四キロほど の合浦公園を尋ねよう。「思ひ出」ほか太宰の多くの作品に登場する。海岸に沿った美しい 公園で、石川啄木の歌碑や棟方志功の碑もあ る。
下宿していた寺町は現在の本町一丁目のあたり。寺が連なっている。

太宰治の下宿の辺り

太宰の文学碑は、合浦小学校、市民文化センター前、文芸の小道にある。

青森の北東隣りにある浅虫温泉も太宰と深 い関わりを持つ。大正十三年の
<秋になつて、私はその都会(注−青森)から汽車で三十 分ぐらゐかかつて行ける海岸の温泉地へ> (「思ひ出」)出かけ、<母と病気の末の姉とが 家を借て湯治してゐた>ところに寝泊まりし 、青森中学に通学しながら受験勉強に務める 。太宰の青春の思い出深い場所の一つで<忘 れられない土地>(「津軽」)である。
太宰が小学校時代<なんべん繰り返して読んでも必ず 涙が出た長編小説>(「思ひ出」)佐藤紅緑の「鳩の家」の舞台でもある。

浅虫温泉

 青森・浅虫を見たら南の弘前へ回ろう。青 森で中学時代を過ごした太宰は、昭和二年四 月、官立弘前高等学校に入学し、この地で三 年間を過ごしている。
寮には入らず、遠縁の 弘前市富田新町五十七(現・御幸町八−三) 藤田方に下宿した。「逆行」の「決闘」や 「おしやれ童子」の主要舞台である。
「津 軽」では、弘前に多くの言葉を費やし、<こ こは津軽人の魂の拠りどころである>と結ん でいる。

太宰の学んだ旧制弘前高校は現在の 弘前大学の前身で、弘前駅の南西一キロち ょっとのところにある。以前は残っていた旧 制高校時代の建物も今は無く、正門を入った 右手に、旧制高校跡を示す碑が立っているだ けである。

<最後のたのみの大綱は><弘前 城が、いまものほ天主閣をそつくり残して、 年々歳々、陽春には桜花に包まれての健在を 誇つてゐる事である>(「津軽」)と書かれた弘 前城鷹揚公園(弘前公園)は、駅の西北西一 キロしょっとのところにある。

<桜の頃の弘前公園は、日本一と田山花袋が折紙をつけて くれてゐるさうだ>という桜の頃はみごとで ある。城全体が桜で包まれて感がある。二の 丸の樹陰に<棟ひそむ火の叫びを雪降らそ う>と彫った福士幸次郎の詩碑がある。
天主閣のある本丸広場の西のはずれからは、岩木 山が美しく見える。

弘前城と岩木山

太宰は、
<お城の広場の 一隅に立つて、岩木山を眺望したとき、ふと 脚下に、夢の町がひつそりと展開してゐるの に気がつき、ぞつとした事がある。(中略) この町がある限り、弘前は決して凡庸まちで は無いと思つた。(中略)弘前城はこの隱沼 (こもりぬ)を持つてゐるから稀代の名城な のだ。(中略)隠沼のほとりに万朶の花が咲 いて、さうして白壁の天主閣が無言で立つて ゐるとしたら、その城は必ず天下の名城にち がひない>
と語っている。弘前の桜は、四月末から五月 の連休の頃がいいようだ。一度眺めてみたい 。弘前からの岩木山はやや頂上の形が崩れて いて富士には似つかないが、北方の金木の方 から見るとすらりと美しい山容を見せてくれ る。

金木より岩木山

岩木山(一六二五メ−トル)は、有料の岩木山スカイライン(4月中旬より11月下旬まで。8時より16時半まで。道路閉鎖17時)を利用し て八合目まで車で登れる。バスなら、弘前から南山麓の嶽温泉まで行き、嶽温泉よりシャトルバスで8合目駐車場まで行ける。駐車場よりリフト(4月中旬より 11月下旬まで。9時より16時半まで。)で登り、リフト山上駅より40分から1時間くらいで登れる。岩だらけの道で結構きついので装備はきちんとして登 ると良い。天気の良いときは津軽平野や津軽半島の海岸線が美しく眺められ、運が良ければ北海道も見える。機会があれば登ってみたい。

 弘前の南東に大鰐温泉がある。「津軽」で は、
<スキイ場のために日本中に知れ渡つて ゐるやうであるい。山麓の温泉である。(中 略)私の肉親たちは、この温泉へも、しばし ば湯治に北ので、私も少年の頃あそびに行つ た(中略)、大鰐の思ひ出は霞んでゐても懐 しい>
と語っている。川沿いの静かな温泉で ある。

 大鰐のさらに南には碇ヶ関温泉がある。
<旧藩時代の津軽秋田間の関所で、したがつ てこの辺には史蹟も多く、昔の津軽人の生活 が根強く残つてゐるに相違ないのだから 、 そんなに易々と都会の風に席巻されようとは 思はぬ>
と語っている。

昭和五年の十二月、 鎌倉腰越での心中事件の心身の痛手を癒すた めに、太宰は当地の柴田旅館に滞在。その間 に、母たね、親類の豊田太左衛門(中学時代 の下宿先)の立ち合いのもと、小山初代と仮 祝言を挙げている。「葉」の中で、この時の 様子を反映した断章で、
<私たちは山の温泉 場であてのない祝言をした。母はしじゆうく つくつと笑つてゐた>と描いている。
碇ヶ関 は、葛西善蔵の育った町である。町の東側の 三笠山公園に文学碑がある。

以上、太宰の故郷津軽を作品「津軽」を中心 に歩いてみた。この他東海岸の鯵が沢、深浦 など時間があれば訪れたい。

深浦


リンク



三鷹文学散歩
三鷹市役所ホームページの文学散歩の項
太宰治・山本有三・三木露風など。特に、太宰治没後50周年特集がみもの。


「文学のためにできること」
深谷由布さんの太宰治を初め、近代文学を幅広く収めたすごいホームページ


「あかねホームルーム」
常山あかねさんの主宰する国語を勉強するオンライン学習塾


県立青森近代文学館
太宰を初め、青森県に関係在る作家の展示がされています。カラフルな美しい展示です。棟方志功やねぶたに通じるものがあります。   


「小説『津軽』の像記念館」


「太宰治研究文庫」
弘前大学教育学部国文学長野隆研究室


雲祥寺のホームページ
太宰治の故郷金木町の雲祥寺は、太宰治の処女作「思ひ出」や「津軽」に登場します。太宰は小森のたけと訪れ、「御絵掛地」(「十王曼陀羅」)をみたり、後生車を回したりします。
地獄絵を見たり、掲示板で住職さんと話したりできます。おみくじもあります。僕は、吉と出て、思わず笑いました。


田中建設ホームページ
金木の建設業者さん。金木・芦野公園の情報が豊かです。


蟹田の毛蟹
「津軽」に登場する蟹田とその周辺の丁寧な紹介がされています。青森県関係の情報が豊かです。リンクもバラエテイに富んでます。


「青森遺跡探訪」
青森県内の様々な文化遺跡情報が紹介されています。


Capa Communication Net(キャプテンあおもり)のホームページ
青森県に関する情報の宝庫です。


青森県WWWサーフィン



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@は全角になっています。半角に直してメールして下さい。