御坂峠・甲府

渡部芳紀

御坂峠より河口湖

今日は、「富嶽百景」の舞台御坂峠を訪れて みよう。甲府市からも行けるが、今回は河口 湖側から登ろう。

中央線大月から富士急行河 口湖線に乗り終点河口湖で降りる。駅は河口 湖町船津にある。河口湖の東南の湖畔に近 い。
船津は太宰の『お伽草紙』の「カチカチ 山」の舞台である。<これは甲州、富士五湖 の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたり で行はれた事件であるといふ。>と作品は始 まっている。

 河口湖から御坂に向かう前に余裕があれば 富士吉田に寄って行こう。富士急で河口湖の 二つ手前にある。
御坂峠に滞在した時、太宰 も訪れ「富嶽百景」では<おそろしく細長い 町><富士に、日も、風もさへぎられて、ひ よろひよろに延びた茎のやうで、暗く、うす ら寒い感じの町>と描写している。
「服装に 就いて」「律子と貞子」の舞台でもある。
市 街地の南にある富士浅間神社から北の下吉田 へと細長く続いた町である。浅間神社は富士 登山口の一つ。見事な社殿も訪れたい。八月 二十六日は、盛大な火祭が行なわれる。

 河口湖から甲府行きのバスに乗ろう。途 中、河口湖畔でも時を過ごしたい。東の湖畔 が賑やかな地域で湖畔からロ−プウエイがあ る。湖が見下ろせるので登ってみたい。

河口 湖大橋の北の起点に近い産屋ヶ崎公園には中 村星湖の碑がある。星湖が河口湖町の出身の 所縁による。
碑には<熔岩の/くずれの/富 士の裾は/じつに広漠たる/眺めである/星 湖>と星湖の代表作「少年行」の冒頭の一節 が彫られている。

産屋ヶ崎公園より富士山

バスで甲府方面に向かう。 新御坂トンネルの手前の三ツ峠入口のバス停 で降りる。そこから旧道を丁度六キロ登ると 御坂峠に着く。

<この峠は、甲府から東海道 に出る鎌倉往還の衝に当たつてゐて、北面富 士の代表的観望台であると言はれ、ここから 見た富士は、むかしから富士三景の一つにか ぞへられてゐる(中略)まんなかに富士があ つて、その下に河口湖が白く寒々とひろが り、謹啓の山々がその両袖にひつそり蹲(う ずくま)つて湖を抱きかかへるやうにしてゐ る。>
「富嶽百景」
と描かれた景色が眼前に展開する。太宰はこの景色を
<あまり好かな かつた。(中略)軽蔑さへした。あまりに、 おあつらひむきの富士である。(中略)風呂 屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註 文どほりの景色で、私は、恥ずかしくてなら なかつた。>
と書く。

 旧御坂トンネルの南入口の手前に天下茶屋 がある。昭和十三年九月十三日から十一月十 六日まで太宰が滞在したところ。建物は一度 崩壊して再建された。新道が出来、バスが通 らなくなって一時訪れる人も少なくなったが 近年は車で来る人が増え、日曜しか開いてい なかったのが今では平日でもやっているよう だ。お土産と軽い食事を扱っている。二階に は太宰のコ−ナ−もある。食事するかお土産を買えば見学できる。

天下茶屋

茶屋の向いの山道 を登るとすぐ太宰治の碑がある。富士に向 かって<富士には/月見草が/よく似合ふ/ 太宰治>と「富嶽百景」の一節が彫ってある 。昭和二十八年十月に立てられた太宰最初の 碑である。

太宰碑 月見草

背面には太宰の師である井伏鱒二 が「惜しむべき作家太宰治」と題した言葉を 寄せている。

当時天下茶屋に逗留していた井 伏が挫折後の太宰を呼び寄せたのであった。 太宰は今までの生活に訣別し<思ひをあらた にする覚悟>で登って来たのであった。井伏 の帰った後も茶屋に滞在し、「火の鳥」執筆 に励んだのだった。その間、井伏の紹介で甲 府市の石原美知子と見合をした。「火の鳥」 は完成しなかったが、婚約が整 い、太宰は甲府市内の婚約者の近くに下山した。その間 の様子は「富嶽百景」に詳しい。この時を境 に太宰は明かるく健康な作品の多い中期の世 界に入って行く。

 時間がある時は茶屋から一キロほど下だっ た三ツ峠登山口から三ツ峠に登ろう。そこよ り二・五キロ、約一時間の行程である。太宰 も井伏と登山し、その時の様子を「富嶽百 景」にユウモラスに描いている。

 御坂峠からトンネルを越え甲府側へ降りて も良い。六・三キロほどの距離である。新道 のバス停から甲府行きのバスに乗れる。

 太宰は、甲府を<シルクハツトを倒(さ か)さまにして、その帽子の底に、小さい小 さい旗を立てた><きれいに文化の、しみと ほつてゐるまち>「新樹の言葉」と表現して いる。婚約が整い、御坂峠の寒さにも閉口し て昭和十三年十一月十六日、御坂峠から下山 し、甲府市西堅町(にしたつ)九十三番地寿 館に下宿、翌十四年一月六日、同御崎町五十 六番地に移転。一月八日、井伏の家で結婚式 を挙げ、一月八日から美知子夫人と伴に住 み、九月一日まで居住した。その後も夫人の 郷里として度々訪れ、昭和十九年四月から七 月まで疎開もした。
「富嶽百景」 「新樹の言葉」「畜犬談」「I can s peak」「皮膚と心」「律子と貞子」「薄 明」ほか多くの作品の舞台となっている。甲 府の西の郊外の湯村温泉も度々訪れ、「美少 女」「黄村先生言行録」に描いている。「正義 と微笑」「右大臣実朝」は、同地の明治屋旅 館で執筆された。

 甲府では、まず駅の南東に接する甲府城を 訪れよう。現在舞鶴城公園になっている。 「新樹の言葉」の重要な舞台である。本丸の 石垣の南下には<芋の露連山影を正しうす> と彫った飯田蛇笏の句碑がある。
太宰の住ん だ地区は駅の西北一キロほどの所。寿館は現 在の朝日五−二−七。北隣りに清運寺があるので目標に するとよい。新婚の家は現在の朝日五−八− 十の家。最近居住跡の碑が出来 た。近くに福寿寺や御崎神社がある。こ こから西へ一キロ半ほど行けば湯村温泉であ る。太宰の滞在した明治屋の南隣りには共同 浴場もある。

 湯村温泉から、さらに北西にはいれば御岳 昇仙峡にいたる。「新樹の言葉」では、主人 公と幸吉兄妹が遊びに行く約束をする所。足 を延ばしてみたい。

昇仙峡

 御坂峠から甲府へと太宰の約一年間の足跡 を辿ってきた。この間、太宰はその作風を大 きく変えて行った。その意味でもこの地は太 宰文学にとり重要な所と言えよう。
(写真・筆者)


リンク

山梨県河口湖畔勝山村
美しい富士山の写真や、太宰治との関わりが紹介されています。

太宰治資料館

中央大学文学部文学科国文学専攻
渡部芳紀研究室