若山牧水文学散歩

               渡 部 芳 紀


沼津若山牧水記念館


あなたは(2000.2.12〜) 人目の訪問者です。


牧水文学散歩をお届けする。旅の歌人牧水 の旅をカバーするには枚数がいくらあっても 足りない。次の機会に補強したい。碑も全部 紹介できなかった。大悟法利雄『牧水歌碑め ぐり』(短歌新聞社)や『毎日グラフ別冊− 若山牧水・詩と彷徨』(平成四)が大変参考 になったので皆さんもご参照願いたい。今回 は、五年ほど前から回り初め北海道から九州 まで回った。写真も文章も一部だけの紹介に 止どまった。東郷町の役場、牧水記念館、沼津 牧水記念館には大変お世話になった。また、 日向市の田中孝雄氏を初め全国各地の多くの 方々に色々ご教示頂いた。感謝いたしたい。

北海道

大正十五年九〜十二月、函館、札幌、岩見 沢、旭川、増毛、深川、名寄、北見、紋別、 網走、池田、帯広、夕張、小樽、函館など揮 毫会で訪れる。

幕別
国民宿舎幕別温泉ホテル前庭に< 幾山川>の歌碑がある。

上砂川
上砂川岳国民保養センターの左脇 に<秋すでに莟をもてる辛夷(こぶし) の木雪とく るころ咲くさまはいかに>
<霜はいま雫となりてしたたりつ朝日さす紅葉うつくしきかな >の二首を彫った碑がある。

上砂川の歌碑


青森県

野辺地
大正五年春、訪れる。
<大吹雪の野辺地駅に草明君出で迎ふ/われ待つと荒 野野辺地の停車場の吹雪ふぶき のかげに立ちし 友はも>
<野辺地出づれば海見ゆ/大吹雪汽 車の小窓のかき曇り雫垂れつつ海見え来る> (『朝の歌』)

青森
大正五年春、訪れる。
<雪高く往き交か う人の輝きていま青森に夕日さすなり >(『朝の歌』)。
大正十五年秋、訪れる。

大釈迦
大正五年春、訪れ、馬に乗り、五所川原に向かう。
<わが行く手晴るるとすれば岩木山また吹雪(ふぶ)き 来て 馬嘶かず>(『朝の歌』)

五所川原
大正五年春、大釈迦より馬で、訪れる。元町八 幡神社の本殿の左後ろの小高く作った東屋の脇に
<橇の鈴戸の面(も) にきこゆ旅なれや津軽のくにの春のあけぼの>
<ひっそりと馬乗り入るる津軽野の五所川原町(ごしょかはらまち)は雪小止(ゆきおやみ)せり>(『朝の歌』)
の二首を彫った歌碑がある。
碑の後ろの岩木川の土手に登ると岩木川と岩木山が眺められる。

八幡神社牧水歌碑


黒石
大正五年春、訪れる。
<板留温泉雑詠/雪消水(ゆきげみず) 岸に溢れてすゑ霞む浅瀬 石川(あぜいしかは)の鱒とりの群>
<黒石の町の坂みち登りつつ春は深しといひにっけるかも> (『朝の歌』)

岩手県

大正五年春、訪れる。

盛岡
大正十五年秋、訪れる。
中津川上流の綱取ダム湖畔、綱取大橋の左岸の袂の駐車場脇に、
<山恋しその山すその秋の樹のこのまを縫へる青き水はた>と彫っ た碑がある。

綱取ダム・牧水歌碑


宮城県

大正五年春、訪れる。

秋田県

大正五年春、訪れる。

秋田
大正六年八月、訪れる。

山形県

大正六年八月、最上川沿いに下り、酒田港 から新潟に行く。

板谷峠
<板谷峠/たけ長く引きてしらじら降る雨の峡(かひ)の片山に汽車はかかれり> (『さびしき樹木』)

最上川
<最上川(もがみがは) 岸の山群(やまむら)む きむきに雲籠(くもこも)るなかを濁り流るる>(『さびしき樹木』)

酒田
<汽船にて酒田港を出づ/大最上(おおもがみ )海にひらくるところには風もいみじく吹きどよみをり>(『さびしき樹木』)

飛島
<晴れたれど暗くらみをやどす夏の海の沖辺のかたに浮ける飛島>(『さびしき 樹木』)

福島県

福島
大正五年春、訪れる。<夕日さし 阿武隈河のかはなみのさやかに立ちて花散り流る>(『朝の歌』)。
大正十五年秋、訪れる。
紅葉山公園板倉神社境内に『朝の歌』の 一首<つばくらめちちと飛び交か い阿武隈(あぶくまの岸の桃の花いま盛りなり>の碑がある。

三春
大正十五年十二月、訪れる。山田屋旅館中庭に
<時をおき老木の雫おつるごと 静けき酒は朝にこそあれ>の碑がある。

栃木県

 大正十一年十月〜十一月『みなかみ紀行』 の旅。

喜連川
歌の仲間高塩背山を訪ねて度々訪れている。大正四年七月、訪れる。大正11年11月3日、『みなかみ紀行』の旅を終えて日光より訪れる。(この項、高野則義氏よりご教示を受けた。感謝したい。)大正十 四年九月、揮毫会で訪れる。

宇都宮
大正九年四月、歌会に訪れる。

群馬県

大正十一年十月〜十一月『みなかみ紀行』の 旅。

前橋
大正八年五月、磯部温泉滞在中訪 れる。

榛名湖
 大正八年五月、磯部温泉滞在中 訪れる。

磯部温泉
大正六年六月、訪れる。
<湯の町の葉ざくら暗きまがり坂曲りくだれば渓 川の見ゆ>(『さびしき樹木』)。
大正八年四月、訪れ、十日ほど滞在。

妙義山
明治四十一年八月上旬、軽井沢 から碓氷峠を越えて訪れる。
大正六年六月、訪れる。
<川上の妙義巖山(いはやま)白雲のおくに こもりてこの朝見えず>(『さびしき樹木』)

伊香保
 大正七年十一月、訪れる。
<千明(ちぎら)といふへ落ちつく。(中略)ぬるからず あつからず、而して臭からず、濁つては居る が流石天下の名湯であると感心しながら肩を 打たす。(中略)思つたよりも更に此処の位 置は高く、眺望はそれに従つて広大なもので ある。(中略)眼前の三方を囲んだ遠い山脈 の嶺にはあまねく雪が置き渡して空は青暗く 晴れてゐる。>「静かなる旅を行きつつ」

沼田
大正七年十一月、訪れる。鳴滝に 泊る。

中之条
 <その町は一すぢ長く見出され た。>「静かなる旅をゆきつつ」。・沢渡 <正栄館といふにのゝ三階に上がつた。此処 は珍しくも雙方に窪地を持つ様な、小高い峠 に湯が湧いてゐるのであつた。無色無臭、温 度もよく、いゝ湯であつた。>「みなかみ紀 行」。

四万
田村旅館に泊る。

吾妻(川原湯)
大正九年五月、訪れ、 十日ほど滞在。。

<ツイ右手に岩石のみから成り立つた山が鮮かな朝日を受けて形面白く 聳えている。妙義山に似て、更に痩せて居る。 馬丁に聞くと岩櫃山(いはびつやま)と云ひ(中略)散り残りの紅葉が痩せ光つた岩の峡間々々に少しづつ見えて、如何いかにも美しい。>

<宿屋は見るさへも気味の悪い、数百間も高くそゝり立つた断崖の尖端の所に建 てられてゐた。>。

吾妻渓谷
<更に私を喜ばせたものはその深い流れを挟む両岸の岩であ つた。>「静かなる旅を行きつつ」

草津
 大正九年五月、訪れ、一井旅館に 泊る。<湯畑といふので、やゝ長方形になつ た五十坪ほどの場所一面に沸沸として熱湯が 噴出してゐる>。
<一井旅館といふへ入つた。 (中略)宿の前に在る時間湯(注−熱の湯・湯畑の脇の共同湯) (中略)に行つた。(中略)高原の中腹の一 寸した窪みに草津温泉はあるのである。> 「みなかみ紀行」。

この後、雪の芳の平から渋 峠を越し志賀高原を抜け 干満滝を経て渋温泉へと下っている。

渋峠
<峠には風があつた。(中略)酒の壜を取り出し(中 略)ちびりちびりと舌のうへに零こぼす のだが、 その味わいはまた格別であつた。>「静なる 旅を行きつつ」。

渋峠から南西を望む


峠の道路脇にリフトを背 にして牧水の「静かなる旅を行きつつ」の一 節を掘った碑がある。

六合
大正九年五月、訪れる。

埼玉県

所沢
 明治三十七年四月、早稲田入学に 伴い、入間郡富岡村神米金(現・所沢市下富 )の祖父健蔵の生家を訪れる。十月にも訪れ、 一泊。

秩父
 大正九年四月、訪れる。大正十二年十月、十文字峠を越えて訪れる。

茨城県

水海道
大正八年六月、訪れる。

石下
大正八年六月、岡田に長塚節の生家を訪れ、墓参。

筑波山
大正八年六月、登山する。

鹿島
大正八年六月、細野春翆と訪れる。

潮来
大正八年六月、細野春翆と訪れる。

千葉県

佐原
大正八年六月、香取神宮を訪れる。

銚子
大正八年一月初め、細野春翆と訪れ犬吠崎に遊び、暁鶏館に泊まる。
犬吠埼灯台南側下の遊歩道(怒涛めぐりコース)の馬糞池脇の岩に
<犬吠を詠んだ歌人の紹介
犬吠埼は昔から多くの文人歌人に心の故郷として親しまれてきた。中でも若山牧水派大正八年一月一日から三日まで愛弟子の細野春翠とこの地を訪れ岬の先端にそびえる白亜の灯台に打ち寄せる太平洋の怒涛に歌心をそそられて多くの歌を残している。
   犬吠埼にて
ひさしくも見ざりしかもと遠く来てけふ見る海は荒れすさびたり
遠く来てこよひ宿れる海岸のぬくとき夜半を雨降りそそぐ
まともなる海より昇る朝の日に机のちりのあらはなるかな>
と彫った歌碑が造られている。

九十九里
大正八年八月、九十九里海岸 に遊ぶ。

大原
大正六年十一月末、訪れ旭洋館および八幡岬の帆万千館に泊まり、「上総の海」五十五首を作る。
大正八年十二月下旬にも訪れ、帆万千館に泊まり、
<めざめつつ静まりをれば朝日さす海のきらめき部屋をそめたり>
ほか「上総八幡崎」と題する歌二十首を作る。
今はない帆万千館跡に近い小浜八幡神社下の城山青年館前に
<八幡岬にありて
図らず満月を見る
ありがたやけふ満つる月と
知らざりし
この大き月海に
のぼれり>
と彫った歌碑がある。

佐倉
大正十四年八月、揮毫会を開く。

多古
大正十四年八月、揮毫会で訪れる。

市川
明治四十四年五月、山本鼎を訪ね数日滞在。
<下総市川にて/白き花散りつくしたる下総の梨の名所のあさき夏かな>(『路上』)

木更津
大正九年二月、訪れる。

白浜
明治四十年十二月下旬、小夜子と 根本海岸を訪れ正月を過ごす。
<女ありきわれと共に安房の渚に渡りぬ。われその傍らにありて夜も晝も絶えず歌ふ
山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく
岡を越え真白き春の海辺かいへんのみちをはしれ りふたつの人車くるま >(『別離』)
<山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照 るいざ唇くちを君>(『海の声』)

館山
明治四二年一月下旬から二月上旬 にかけ、布良海岸に遊ぶ。

<一月より二月にかけ安房の渚に在りき
武蔵野の岡の木の間に見なれつる富士の白きをけふ海に見る>
<きさらぎや海にうかびてけむりふく寂しき島 のうす霞せり>(『独り歌える』)
大正九年四月、訪れる。

東京都

明治三十七年四月、早稲田大学文学科高等予 科入学。麹町区三番町五十七番地伊川方に下 宿。
八月、玉川村瀬田の内田方に移る。
九月、牛込区下戸塚四十一番地清致館に北原 白秋と同宿。
明治三十八年四月、小石川区豊川町三番地市 川きく方に転居。
九月、市外西大久保村四三四番地、松村二郎 方に下宿。
一〇月、大久保餘丁町三二番地石原方に転居。
明治三九年五月、戸塚村大字源兵衛六〇一番 地北原白秋方に寄宿。
九月、牛込区弁天町二〇番地霞北館に移る。
十月、土岐善麿と、御岳より大岳山に登り霧 中に二夜を過ごす。
明治四十年二月、牛込区南榎町十七番地小倉 方に転居。中学からの友人、直井敬三と同宿。
四月、武蔵野を歩く。
九月、牛込榎町八十番地小倉方、ついで牛込 原町二丁目五十九番地阿久津方に、直井と同 宿。
明治四十一年四月、小夜子と日野百草園に二 泊。
七月、早稲田大学文学科英文学科を卒業。

十二月、小夜子との新生活を考え牛込区若松 町一一八番地に一戸を借り移る。
明治四二年三月、早稲田鶴巻町二五一番地八 雲館に移転。
六月、百草園の石坂方に一ヶ月ほど滞在し第 二歌集『独り歌へる』を編集。
<六七月の頃を武蔵多摩川の畔なる百草山に送りぬ
水無月の山越え来ればをちこちの木の間に白く栗の咲く見ゆ>
<幹白く木の葉青かる林間の明るきなかに歩み入りにき>(『独り歌える』)
明治四十三年十一月、小諸より帰り、月島の 佐藤緑葉方に数日滞在の後、笄町旭館に移る。
十二月、麹町区飯田町三ノ十番地宮本方の友人の下宿に寄宿。
明治四十四年一月、麹町区飯田河岸三十一号 地、日英社(印刷所)二階に移る。
同所に創 作社を起こし、『創作』を編集、引き続き東 雲堂から発行。
二月、本郷弓町の喜之床に石川啄木を尋ねる。
四月、麹町区紀尾井町清水谷公園内、皆香園 で、『創作』の誌友大会を開く。
五月、創作社を牛込区横寺町三十六番地、佐 藤緑葉かたに移す。
同月、市外淀橋町柏木九十四番地、土屋方に転居。
七月頃、太田水穂方で太田喜志子に会う。
十月、東雲堂と意見合わず、創作社解散。
十一月、横浜市不老町二ノ一三三番地に移転。
 同月二十八日、横浜を引き揚げ、その夜、下渋谷百三十六の冨田碎花方に宿り、翌二十九日の夜、本郷東雲館(本郷区本郷三丁目十六か十八番地)入りし明治 四十五年二月ごろまで過ごす。一二月、京橋区三十間堀一丁目にあった「やまと新聞」社会部記者になる。翌月、退職。(2004年2月13日訂正)
明治四十五年四月、市外巣鴨村三五一八番地、郡山方に同居。
四月、小石川区大塚町二五番地に移転。
 五月、無断で家を出て上京した喜志子と結婚、市外内藤新宿二丁目一四番地森本方に移る。
六月、御岳に遊ぶ。
大正二年六月、郷里より上京。小石川区大塚 窪町二十番地に一戸を構え、信州から妻喜志 子と四月に生まれた長男旅人を呼び寄せる。
 大正五年三月、腸結核と診断された妻喜志子の静養のため横須賀近くの北下浦村長沢の斉藤方に転居。
大正五年十二月、下浦から引き上げ、小石川 区金富町五十三番地に居を構える。
大正六年五月、市外巣鴨町一二五〇番地に転 居。
大正八年八月、巣鴨町一四九三番地に転居。

<家につづく有明白き萱原に露さはなれや鶉しば啼く(日野にて)>(『海の声』)
高尾山にて/春の夜の匂へる闇のおちこちによこたはるなり木の目ふく山>(『海の声』)

 立川駅北口広場に<旅にて詠める 牧水> として<立川の駅の古茶屋さくら樹のもみぢ のかげに見送りし子よ>の碑がある。

日野市百草園の松連庵の右脇と梅林の中に牧水歌碑がある。

百草園牧水歌碑


神奈川県

明治四十四年九月、相模地方に遊ぶ。

葉山
明治三十七年七月、脚気療養のた め、一色海岸の玉蔵院に一ヵ月ほど滞在。

横浜
明治四四年十一月一日〜十一月二十八日、不老町二ノ一 三三番地に滞在。
大正十一年八月、鶴見の花月園内藤見茶屋での歌会に夫婦で出る。

三浦
 明治四五年五月、三崎に遊び、百 余首の歌を作る。<五月の末、相模の国三浦 半島の三崎に遊べり/わが渡る雲れる海にう すうすと青海月あをくらげ なしうつれる太陽>( 『死か芸術か』)

横須賀
 大正四年一月、喜志子腸結核と 診断され、三月、北下浦村長沢の斉藤方に転 居。
<うつうつと霞める空に雲のゐてひとと ころ白く光りたるかな>(『砂丘』)。
<三崎港/伊豆人いづびとはけふぞ山焼く十六夜いざよひ の月夜の風にその火靡けり>(『朝の歌』)。
十一月二十七日、長女みさき誕生。大正五年 六月、同村内で転居。大正五年十二月、当地 を引き上げ上京。

長沢海岸に<しら鳥はかな しからずやそらのあを海のあをにもそまずた だよふ>の碑がある。

また、牧水資料館前
<海越えて鋸山はかすめども此処の長浜浪立 ちやまず>の碑がある。

鎌倉
大正七年一月一日、訪れる。

小田原
大正十一年五月、箱根から白秋 を訪れたが不在。大正十一年十月、国府津に 泊る。大正一三年十月、北原白秋を訪ねる。 大正十五年一月、白秋を訪ねる。昭和三年三 月、訪れる。

箱根
大正十一年五月、ホトトギスを聞 きに訪れ、一泊。昭和二年三月、訪れ、仙石 原に泊まり、箱根各地を見る。昭和三年三月、 訪れ、小田原に出る。

                静岡県

明治四十三年一月、相模、伊豆地方を旅行。
<春白昼ここの港に寄りもせず岬を過ぎて行 く船のあり>(『別離』)

熱海
昭和三年三月、訪れる。

伊東
昭和三年三月、訪れる。

下河津
昭和三年三月、訪れる。

函南
大正十一年九月、畑毛温泉に遊ぶ。 この後も時々訪れる。

伊豆長岡
大正十一年四月、泊まってい る。この後も時々訪れる。

湯ケ島
大正九年二月、訪れる。大正十年三月、滞在後、三津へ向かう。八月、舞踊 家藤間静江と吉奈温泉に一泊。
大正十一年三月〜四月、湯本館に滞在。山桜の歌を多数作 る。
<うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花>
<うらうらと照れる光りにけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花>(『山桜の歌』)。
この後も時々訪れる。

大正十三年五月、母や長女岬、次女真木子を 伴い吉奈温泉、船原温泉を訪れる。昭和二年 九月には、船原温泉に二週間湯治に訪れる。

湯道の上、下田街道の落合楼の北側を西に入ってやや下った北側、西平神社参道の階段を登り始めた左脇に<うす紅に>の歌碑がある。

山桜歌碑


天城山
大正十一年四月、登っている。

湯が野
大正九年二月、訪れる。

裾野
大正九年十月初めて訪れ、「大野原の秋」九首を作り、十一年六月にも訪れ、「大野原の初夏」二十七首を詠んでいる。昭和二年十二月にも、三島から裾野に遊ぶ。
<夜には降り昼に晴れつつ富士が嶺の高嶺の深雪みゆき かがやけるかも>(『黒松』 )
市内千福の中央公園に
<富士が嶺やすそのに来り仰ぐときいよよ親しき山にぞありける>
と彫った碑がある。
市内須山の清水旅館には、<日をひと日富士をまともに仰ぎ来てこよひを泊まる野の中の村>
と彫った碑がある。牧水が二度泊まったゆかりによる。

御殿場
大正九年十月、訪れ、富士山麓を歩く。大正十一年六月、大野原を歩く。
<日をひと日富士をまともに仰ぎ来てこよひを泊る野の中の村>(『山桜の歌』)。
大正十二年十月、訪れ、富士五湖に向かう。

三島
 昭和二年四月、と三年一月、三島大社に参詣。
参道を入った左、池の手前に
<のずゑ三島のまちのあげ花火月夜のそらに散りて消ゆなり>(『山桜の歌』)

沼津
大正七年一月一日、訪れ、一泊。
大正九年八月、楊原村上香貫折坂に転居。
十一月、愛鷹山に登る。
大正十年三月、三津に泊る。
大正十二年八月、西浦村古宇に家族と 滞在、家族を帰した後関東大震災に会う。
大正十三年四月、帰郷し母を伴い帰る。一ヵ月 滞在。
千本松(沼津市本字松下七反田九〇八 番地の一)に転居。付近の家(七反田九一一 番地の二)に移る。
大正十四年十月、沼津市本字南側六十一番地の二(現・本字西松下八 五八番地の一)に新居を建て移る。
昭和三年二月、愛鷹山山麓大中寺の梅を見にゆく。
昭和三年九月十七日、永眠。
市内浜道の千本山乗運寺に葬られる。法名、古松院仙誉牧水居士。

千本松原の南、千本郷林1907-11には沼津市若山牧水記念館がある。
昭和62年3月開館したもの。 遺品、原稿、書簡、ほか数々の資料が展示されている。館内に、牧水と喜志子夫人の胸像があるが、中庭にも牧水の巨大な半身像がある。
館の裏に出口があり、海岸を展望できる。右手には富士も望める。

牧水記念館展示


千本浜公園を入ったすぐとっつきには牧水の第一号の歌碑がある。<幾山河……>の歌が彫られている。

千本松原歌碑


公園から駅へ向かう途中に乗運寺がある。

乗運寺

寺の入口を入ったすぐ右手向こうに牧水夫妻の墓がある。両脇手前に二人の歌を彫った石柱の碑がある。

若山牧水夫妻墓と歌碑


千本公園の北、西松下の沼津2中の西北の隅一帯が牧水旧居跡。民家の塀に旧居跡の解説板が取り付けられている。

市街の東にある、香貫山の中腹香陵台に歌碑がある。

香陵台歌碑


戸田
大正七年二月、訪れる。御浜の砂 嘴の先端近くの駐車場の手前右脇に
<伊豆の国戸田(へだ)の港を船出(ふなで) すとはしなく見たれ 富士の高嶺を>の歌碑がある。

土肥
大正七年一月二日、初めて訪れ、 四日帰京。二月、再度訪れ、二週間滞在。大 正十一年一月、訪れる。大正十二年一月から 二月にも訪れ、『山桜の歌』を纏める。大正 十三年一月、元旦から約一ヵ月滞在。

土肥温泉 牧水荘土肥館前右手前脇に、
<わが泊り三日四日つづきゐつきたるこの部屋に見る冬草のや ま>の歌碑がある。

松原公園には、<ひそま りてひさしく見ればとほ山のひなたの冬木か ぜさわぐらし>の歌碑がある。

加茂
大正九年二月、沼津より安良里港 に下船。南へ向かう。
<阿良里あらり (中略)小さくはあるが港らしい港だ。>「伊豆紀行」

田子
<屋並やなみ の揃つた、美しい宿場である。>「伊豆紀行」

堂ケ島
大正九年二月、訪れる。
<夕日のなかを疲れ切つて歩いて来ると(中略)路 傍に思ひがけなく怒濤の打ち上る音を聞いた。 (中略)大きな洞穴(ほらあな)がその雑木の丘の根 にあひてゐて、その洞の中で例の浪が青みつ 白みつ立ち狂つてゐるのである。(中略)そ の中ほどの所には上から大きな穴があひてゐ てそれを土地の人は「窓」(注ー今は、「天窓」)と呼んで居るとい ふ事であつた。(中略)洞穴に来て見ると (中略)暗い奥から生物の如く大きな浪が打 ち出して居る。>「伊豆紀行」。

松崎
大正九年二月、訪れる。牛草山町民の森の最奥に牧水歌碑がある。

岩地
海岸の防波堤内の道路脇に
<山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく>
の歌碑がある。

下田
大正二年十月、神子元(みこもと)島で灯 台守をしていた早稲田時代の友人古賀安治を 訪ね一週間ばかり滞在。灯台守になることを 勧められる。

<東京霊岸島より乗船、伊豆下田へ渡る
伊豆の海や入江入江の浪のいろ濁り黄ばみて秋の風吹く>
<下田港より灯台船に乗りて神子元島に渡る、一木なき岩礁なりき
伊豆が崎岩礁(がんせう)多き秋風の海はとろとろうづまき流る>
<その島にただ灯台立てり、看守Kー君はわが旧き友なり
石室(いはむろ)のちひさき窓にあまり濃く昼のあを空うつりたるかな>(『秋の歌』)

須崎海岸恵比寿島南端に
<友が守る灯台はあはれわだ中の蟹めく岩に白く立ち居り>
の歌碑がある。
下田より天城を越えて帰京。

恵比寿島歌碑(沖合い神子元島)


富士宮
大正十三年六月、大宮浅間神社 に詣でる。

富士
大正十年四月、田子の浦に遊ぶ。

蒲原
大正十年四月、訪れる。

興津
大正十年四月、訪れる。昭和三年 二月、選挙演説に訪れる。

静岡
大正十年四月、訪れる。大正一四 年二月、訪れる。三月、師範学校で啄木につ いて講演。大正十四年九月、半折会。昭和二 年二月、訪れ、宇津の谷峠を越え岡部へ。

岡部
昭和二年二月、静岡より宇津の谷 峠を経て訪れる。

浜松
大正七五月、歌会のため訪れる。 大正十五年六月、館山寺を訪れる。
<遠江弁天島/浜つづき夏のおほそらはるかにて立つしら浪のけぶりたるかな>(『みなかみ』)

引佐
大正十五年六月、訪れ、陣座峠を越えて新城町へ。

山梨県

下部
明治四十三年六月、訪れ、数日遊ぶ。
<六月中旬、甲州の山奥なる某温泉に遊ぶ
わが対(むか)ふあを高山の峯越しにけふもゆ たかに白雲の湧く>(『路上』)
昭和三年八月、訪れる。

身延
大正十三年六月、身延山久遠寺に詣で、奥の院にも登りカッコウを聞く。

早川
大正十三年六月、身延山より回り、七面山に登る。

境川
明治四十三年九月、早稲田時代からの友人飯田蛇笏を尋ね、十日ほど滞在。

河口湖
大正十二年十月、籠坂峠より訪れる。

精進湖
大正十二年十月、訪れる。

甲府
大正十二年十月、訪れる。

小淵沢
大正十二年十月十日、訪れ、いとや旅館に泊まる。翌日、小諸へと向かう。
小淵沢町福祉活動センターの駐車場の隅に
<甲斐の国こふちさはあたりの高原の秋すゑつかたの雲のよろしさ>
と彫った歌碑がある。

長野県

大正十一年十月〜十一月『みなかみ紀行』の 旅。

軽井沢
明治四十一年七月下旬から八月 上旬に土岐善麿と訪れる。
<八月や浅間が の山すそのその荒原にとこなつの咲く>
<火の山にしばし煙の絶えにけりいのち死ぬべくひとのこひしき>(『独り歌へる』)
大正八年十月、星野温泉に約一週間滞在。大 正十四年六月、星野温泉に揮毫会で訪れる。

小諸
明治四十三年九月頃訪れ、岩崎樫郎のすすめで田村病院で病を養う。約二カ月 滞在の間、岩崎の歌会白閃会と交流。

<九月初めより十一月半ばまで信濃国浅間山の麓に遊べり
かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな>
<白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ>
<小諸なる医師くすし の家の二階より見たる浅間の姿(な)りのさびしさ>
<秋風のそら晴れぬれば千曲川(ちくまがは) 白き河原に出てあそぶかな>(『路上』)
大正十四年六月、揮毫会で訪れる。

懐古園石垣歌碑


戸倉
大正十四年六月、訪れる。

渋温泉
大正九年五月、草津より渋峠、志賀高原、干満滝を経て訪れる。

志賀高原


長野
大正十四年四月頃、揮毫会打合せ で訪れ、六月、揮毫会。

松代
大正十三年十月、訪れる。大正十四年四月頃揮毫会打合せ、六月揮毫会。

大町
大正八年十月、星野温泉より回る。

松本
大正六年八月、訪れる。大正八年三月、浅間温泉に遊ぶ。大正八年十月、訪れる。大正九年五月、渋温泉より訪れる。大正十四年六月、浅間温泉を訪れる。

白骨
大正十年九月〜十月、湯治に訪れる。
<山路なる野菊の茎の伸びすぎて踏まれつつ咲けりむらさきの花>(『山桜歌』)。

斉藤旅館の右手前側面の岩に牧水歌碑がはめ込まれている。

白骨牧水歌碑


上高地
大正十年、白骨から訪れる。
<上高地付近のながめ優れたるは全く思ひのほ かなりき、山を仰ぎ空を仰ぎ森を望み渓を眺 め涙端なく下る
いはけなく涙ぞくだるあめつちのかかるながめにめぐりあひつつ>
<まことわれ永くぞ生きむあめつちのかかるなが めをながく見むため>(『山桜の歌』)

上高地


塩尻
明治四十五年三月、訪れ、広丘村 吉田の実家に帰っていた太田喜志子と桔梗ヶ 原を歩き、喜志子に結婚を申し込む。
大正六年八月、初めて妻の実家を訪れる。
大正八年三月、浅間温泉の帰途妻の実家に立ち寄る。
十三年十月、義兄の葬儀に参列。
大正十四年四月頃、実家に義母の見舞いに訪れる。

木曽
大正九年五月、訪れ、名古屋へ向かう。大正十年十月、訪れる。

野辺山
大正十二年十月、訪れる。
<野辺山が原
八が嶽北側の裾野を野辺山が原といふ、念場が原より更に広くさらに高き高原なり
野末なる山に雪見ゆ冬枯れの荒野を越ゆとうち井でて来れば>

小海
大正十二年十月、訪れる。松原湖に遊ぶ。
<松原湖畔雑詠
ひと年にひとたび逢はむ斯く言ひて別れきさなり今ぞ逢ひぬる>
<湖(うみ)べりの宿屋の二階寒けれや見る冬の湖(うみ)のさむきごときに>

千曲川上流
大正十二年十月、訪れる。

十文字峠
大正十二年十月、訪れ、秩父に抜ける。

佐久
大正三年七月、訪れる。大正十四年四月頃、佐久各地で揮毫会。

春日
大正四年七月より八月にかけ、春日温泉に滞在。
<蜩なき杜鵑ほととぎす なき夕山 の木がくれ行けばそよぐ葉もなし。>(『砂丘』)

辰野
大正八年三月、歌会のため訪れる。

愛知県

名古屋
明治四十二年八月、歌会出席のため訪れ、滋賀に地震の取材に行く。
大正七年六月頃、三重から訪れる。大正九年 十月、訪れる。大正十一九月、歌会で訪れ、 犬山に向かう。大正十三年三月、長男旅人を 伴い帰郷の途立ち寄る。大正十四年五月頃、 訪れる。六月、半折会の打合せで訪れる。

新城
大正十二年七月、訪れ、鳳来山に行き仏法僧鳥(コノハヅク)を聞く。大 正十五年六月、引佐より訪れ、鳳来寺山麓に 仏法僧を聞く。昭和二年一月、友人金沢修二 の墓参で訪れる。

豊川
昭和二年一月、豊川稲荷に参拝。

岡崎
大正一四年二月、半折会を催し、講演、歌会をする。

岐阜県

高山
大正十年十月、白骨より訪れる。

犬山
大正十一年、九月、訪れる。

恵那
大正十四年四月頃揮毫かい打合せで訪れ、六月揮毫会で訪れる。

三重県

鳥羽
大正七年六月頃、訪れる。

伊勢
大正七年六月頃、訪れる。

近畿
明治四十年九月、上京の途、訪れる。→「海の声」

滋賀県

明治四十二年八月、地震の取材に訪れ、「震後の江山」を記事として書く。

大津
大正七年五月、訪れ、比叡山本覚寺に一週間ほど籠もる。
<をちこちに啼き移りゆく筒鳥のさびしき声は谷にまよへり>「くろ土」 大正十年五月、訪れる。

京都府
京都
大正七年五月、訪れ、保津川下りや葵祭りを楽しむ。
大正十年五月、嵯峨の小楠公という寺に滞在。
大正一四年一月、訪れる。
大正十四年十二月頃、九州の帰途訪れる。

<嵯峨清涼寺/はつ夏の雲は輝き松風吹く清 涼寺にけふ詣できぬ>(『みなかみ』)

奈良県

奈良
大正七年五月、歌会のため訪れる。
<春日野に生ふる蕨はひと摘まで鹿の子どもの喰みつつぞ居る>「くろ土」

大阪府

大阪
明治三十一年三月、母と訪れる。 大正七年五月、訪れ、歌会にのぞむ。大正十 年五月、訪れる。大正十三年三月、長男旅人 を伴い帰郷の途立ち寄る。大正一四年一月、 淀屋橋で揮毫会に出席。講演し歌会に出る。

四天王寺に登りて
白雲のかからぬはなし津の国の古塔に望む初秋の山>(『海の声』)
大正一四年十月頃、歌会で訪れる。昭和二年五月、朝鮮への途次訪れる。

和歌山県

和歌山
大正七年五月頃、訪れる。

勝浦
大正七年五月頃、訪れる。
<熊野勝浦港は奥広く水深く小島多く景色甚だ秀れたり、
港口に赤島温泉あり、滞在三日
繁山の岬のかげの八十島を島づたいゆく小舟ひさしき>
那智の滝を見る。
<赤島を出て雨強きなかを奈智山に登り、滝見ゆる宿に一泊す
とどろとどろ落ち来る滝をあふぎつつこころ寒けくなりにけるかも>「くろ土」

兵庫県

神戸
大正十年五月、訪れる。大正十三年三月、長男旅人を伴い帰郷の途立ち寄る。 大正一四年一月、歌人大会に出席。昭和二年 七月、朝鮮からの帰途、三宮に立ち寄る。

明石
大正二年六月、故郷より上京の途 中、明石に立ち寄る。
明石人丸神社
ありし日はひとしほ松のしげり葉の繁くやありけむ君をしぞ思ふ>
<袖かざし君が見にけむ島山にけふ初夏の日ぞけぶりたつ>(『みなかみ』)

中国地方

明治四十年初夏、帰省の途中訪れる。→「海の声」
<中国を巡りて
幾山河(いくやまかわ)越え去り行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく>(『海の声』)

岡山県

岡山
大正十年五月、訪れる。大正十四年十月頃、揮毫会で訪れる。

広島県

広島
昭和二年五月、朝鮮への途次訪れる。

厳島
大正十三年三月、長男旅人を伴い帰郷の途立ち寄る。
<宮島にて/青海はにほひぬ宮の古ばしら丹になるが淡(あわ)う影うつすとき>(『海の声』)

厳島神社


山口県

山口
大正十三年三月、長男旅人を伴い帰郷の途立ち寄る。

瑠璃光寺の五重の塔の右脇に
<>
と刻んだ歌碑がある。

瑠璃光寺

下関
昭和二年五月、朝鮮への途次訪れる。七月、釜山より帰る。

香川県

高松
大正十年五月、訪れる。

琴平
明治三十一年三月、母について訪れる。

愛媛県

岩城島
大正二年五月、故郷を離れ上京途中、門下の三浦敏夫方に滞在、歌集『みな かみ』をまとめる。

<瀬戸内海/瀬戸の海や浪もろともにくろぐろとい群てくだる春の鰆 さはら は>(『みなかみ』)
岩城郷土館に歌碑と展示がある。

九州

明治四十年夏、帰省の前後、各地を回る。→「海の声」

福岡県

北九州
大正十三年三月、長男旅人を伴い帰郷の途、立ち寄る。大正十四年十月頃揮毫会で八幡を訪れる。昭和二年五月、朝鮮への途次訪れる。

福岡
大正二年一月、大牟田より訪れる。
<箱崎の浜のしら砂ふみさくみ海のなかみち 見ればかなしも>(『みなかみ』)
大正十四年十月頃揮毫会で訪れる。

大牟田
大正二年一月、訪れる。大正十三年三月、長男旅人を伴い帰郷の途立ち寄る。 大正十四年秋、揮毫会で訪れる。

長崎県

長崎
大正十三年三月、長男旅人を伴い帰郷の途立ち寄る。大正十四年秋、揮毫会で訪れる。

島原
大正二年一月、訪れる。<有明の海のにごりに鴨あまたうかべり、船は島原に 入る>(『みなかみ』)

熊本県

熊本
明治三十五年十一月、修学旅行で訪れる。大正十四年秋、揮毫会で訪れる。

阿蘇
明治三十五年十一月、修学旅行で訪れる。
<阿蘇にて/樹間がくれ見居れば阿蘇の青煙かすかにきえぬ秋の遠空>(『海の 声』)

阿蘇中岳火口


人吉
大正十三年三月、長男旅人を伴い帰郷の途立ち寄り、林温泉に泊る。

大分県

青の洞門
別府
明治三十六年十月、修学旅行で訪れる。大正十四年十二月頃、母、姉二人と訪れる。

大分
明治三十六年十月、修学旅行で訪れる。昭和二年五月、朝鮮への途次訪れる。 七月、揮毫会で訪れる。

臼杵
明治三十六年十月、修学旅行で訪れる。

佐伯
明治三十六年十月、修学旅行で訪れる。

宮崎県

高千穂
<日向高千穂にて
夕さればいつしか雲は降り来て峰みねに寝ぬ るなり日向高千穂>(『海の声』)

高千穂峡


高千穂歌碑


東郷
明治十八年八月二十四日、宮崎県東臼杵群坪谷村一番戸(現・東郷町大字坪谷三番地)に、若山立蔵、マキの長男として生まれる。本名繁。
明治二十五年春、羽村尋常小学校に転校、山陰の叔父の家から通う。
秋、西郷村より一家、坪谷に帰郷。坪谷尋常小学校に転校。
明治二十九年三月、首席で卒業。
五月、延岡高等小学校に入学、延岡町外垣富 村三ツ瀬の佐久間方に奇遇。
明治四十五年七月、父の病気見舞いに帰省、
大正二年五月まで滞在。

生家前より尾鈴山方面を望む

<ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り>
<日向国耳川/あたたかき冬の朝かなうす板のほそ長き舟に耳川くだる>(『みなかみ』)。
大正十三年三月、長男旅人を伴い帰郷。
四月、父の十三回忌法要をすませ母を伴い沼津に帰る。
昭和二年七月、帰郷。

バス停牧水記念館前に牧水生家がある。公開されていて自由に見ることができる。
生家の右隣には、若山牧水記念館がある。数々の資料が転じされている。
記念館と生家の間の小道を記念館の裏に登って少し行った和田の越し峠にある大岩に
<ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきてをり>の歌が彫られ歌碑になっている。眼下には川向こうに牧水記念公園も見える。

若山牧水生家・同内部


若山牧水記念館


記念館、生家を見たら、前方の川を渡り
牧水記念公園を訪れよう。中央に牧水の旅姿の大きな銅像が立ち、回りには、諸施設が取り囲んでいる。

牧水公園若山牧水像

東郷町を訪れたら、まずは役場を訊ねたらよい。牧水に関するパンフレットなど貰える。役場のあちこちに牧水の歌が掲示されている。敷地内に大きな歌碑もある。
<うす紅に葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花>と彫ってある。

その他、町内、東郷小学校に、
<けふもまたこころの鉦をうち鳴らし打ちならしつつあくがれて行く>
東郷中学校
<うつくしく清き思い出とゞめおかむ願ひをもちて今をすごせよ>
福瀬小学校
<あたたかき冬の朝かなうすいたの細長き舟に耳川下る>
越表小学校
<よりあひてますぐにたあてるあを竹のやぶのふかみにうぐひすのなく>
寺泊小学校
<しら鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ>
坪谷小学校
<ほととぎす鳴くよと母に起されてすがる小窓の草月夜かな>
坪谷中学校
<わか竹ののびゆくごとく子どもらよ真すぐにのばせ身をたましひを>
などの碑がある。
西郷
明治二十三年二月、父が隣村の西郷に医師として招かれ、田代字小川に移転。
明治二十五年四月、田代尋常小学校に入学。
まもなく義兄の今西吉郎が校長をしている東郷村羽坂尋常小学校に転校。

延岡
明治二十九年五月、延岡高等小学校に入学、延岡町外垣富村三ツ瀬の佐久間方に奇遇。
明治三十一年四月、本小路山辺方に転居。
明治三十二年春、県立延岡中学校入学。寄宿舎明徳寮に入り室長をつとめる。
明治三十四年四月、本小路の友人大見達也方に寄遇。
明治三十五年五月、再び佐久間方に移転。
明治三十六年四月、新小路の親戚の中学校教師黒木藤太方に転居。
五月、黒木家の転居にともない愛宕山麓に移る。
明治三十七年三月、延岡中学校卒業。早稲田大学文学科高等予科入学のため上京。
昭和二年五月、朝鮮への途次訪れる。七月、揮毫会で訪れる。

日向
美々津
帰省中の大正元年から二年にかけたびたび訪れる。
<美々津港付近にて/とかくして登りつきたる山のごとき巨岩(きょがん)のうへのわれに海青し>(『みなかみ』)

美々津・耳川河口


都農
大正元年八月、訪れる。大正十四年秋、長姉を訪ねる。

都農駅前に牧水歌碑がある。

都農駅前歌碑

宮崎
大正元年八月、訪れる。大正十三年三月、長男旅人を伴い帰郷の途、立ち寄る。

青島
大正十三年四月、旅人、母、姪らと遊ぶ。

青島牧水歌碑


都井岬
明治四十年夏、訪れる。

都井岬


国民宿舎清水旅館前の丘のとっつきに
<日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端はなにひとり海見る>の歌碑がある。

都井岬牧水歌碑


鹿児島県

鹿児島
大正二年一月末頃、訪れる。
<桜島はけむりを吐かぬ島なりき、あはれ死にたる火の山にありき>(『みなかみ』)
大正十四年秋、揮毫会で訪れる。


韓国 昭和二年五月〜七月、釜山より太田、光州、 羅州、木浦、珍島、礼山、京城、金剛山、元 山、仁川、大邱、釜山と回る。

釜山
<電車にて東莱(とんね)温泉に向うた。途 中、月朗らかに江上に在り、山影甚だ深きを 眺めた。(中略)黒紫の岩石が(中略)朝日 を浴びて聳えてゐる(中略)何といふ美しい 五月の朝であることぞ。空も澄み、山も澄み、 草木日光、すべてが瑞々しく光り輝いてゐる のである。(中略)庭の若葉の中に異様の鳥 の声がする。(中略)よく見れば黒白相半ば した羽色の鵲(かささぎ)であつた(中略)東莱温泉 には桜が多く、その葉桜の陰を白衣の人たち が歩いてゐる。

東莱温泉


(中略)午前十時五十分、釜 山発、(中略)洛東江(らくとんがん)といふ大きな河に沿う た。流るゝが如く流れざるが如く、河までが 実に悠々としてをる。>(「葉書日記(朝鮮 紀行)」)

洛東江


(写真・筆者)(中央大学教授)


若山牧水ホームページ


遊里に育ち、遊里の女性の悲惨な運命を描いたプロレタリア作家若杉 鳥子のホームページ

嶋俊夫氏のホームページ
お父上(牧水の創刊による短歌誌「創作」同人・嶋 武志氏)の味わい深い歌集やご本人のチェロ演奏などがあります。
こだま
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「名作のふるさと」ホームページ


渡部芳紀研究室
中央大学文学部文学科国文学専攻