「二十四の瞳」論

                                 渡部芳紀                                   

 「二十四の瞳」は、キリスト教系の雑誌「ニューエイジ」に昭和二十七年二月号から十一月号にかけて発表された。

 発表当時は、地味な雑誌に掲載したということもあってそれほど評判を呼ばなかった。

 昭和二十七年十二月、光文社より単行本として発刊された。その際、手が入れられ反戦思想がはっきりと提示された。

 単行本の解説で、坪田譲治は、<「これは大家の作品である。」(中略)文 章の均整において、作品と作者の距離において、そんな感じを受けた。(中略)三四十ページも読むと、なんでもないのに胸が迫ってきた。(中略)場面は、小 学校の一年の子どもたちが遊んでいる。いたって平凡な風景である。それに泣かされるとは、これはどうしたことだ。/考えてみると、そこに壺井さんの作品の 秘密がある。どんな平凡な場面でも、作者は母の心をそそぐことを忘れていない。その母、母ごころが読者を打ってくるのである。(中略)壺井さんのそれは、 母ごころが作品の底ふかくひそんでいて、永遠の母とか、母なる霊とか言わるべき精神的なものである。(中略)永遠の母はどうであろうか。(中略)母なる作 家(中略)その点で、壺井さんは稀なる作家であるが多くの子どもたちの支持を受ける秘密もそういう点にあるのではあるまいか。>と高く評価する。

 佐多稲子は、同書のカバー袖に、<壺井栄さんの文学のあたたかさが、だれ の胸にもしみるのは、壺井さんの、人間に対する愛情そのもののあらわれだ。それは壺井さん自身のあたたかさであり、壺井さんの生きかたを語っている。だか ら壺井さんの愛情は、作品のなかに、なんらの気張りや、いささかのてらいもなく、すみずみまでゆきわたり、誰にも受けいれられ、なぐさめとはげましを与え るものになる。>と推薦文を寄せている。

 高山毅は、「『二十四の瞳』など____少 年、少女の紙上図書館ー」(「四国新聞」昭和二十八年一月二十三日)で、<わたくしは、この作品を読んでふかい感動をうけました。おそらくみなさんも、こ れを読んだら、おなじように心をうたれるに相違ありません。ときには、思わず笑ひだしたくなるようなユーモアもあります。/近ごろめったにあらわれない、 りっぱな作品です。>と褒めている。

 古谷綱武は、「心温まる母性の文学ーー壺井栄の童話『二十四の瞳』」 (「家庭朝日」昭和二十八年二月八日)で、<母と子とがいっしょに読むのにふさわしい家庭文学として、おすすめしたいと思います。(中略)坪田譲治さんも いっているように、壺井さんの文学は、たしかに日本には例のすくない母性の文学といってよいものだと思います。よんで、なにか心がほのぼのとする作品で す。>と高く評価した。

 天地人は、「めざましい活躍ーー堂々たる児童文学壺井栄」(昭和二十八年 二月二十四日「朝日新聞」)で、<格調の高い野心作で、堂々たる量感をそなえている。(中略)難をいえば、彼女の書くものは、余りにも善意にみちた人々ば かりなので、いささか食い足りないものがあり、いわば優等生の作品といった感じがないでもない。それにスタイルが古風なのも気にかかる。>と、長短合わせ 評した。

 こうした風評の中、昭和二十九年、木下恵介監督、高峰秀子主演で映画化され空前の大ヒットを呼んだ。

 壺井繁治は、「『二十四の瞳』を観て」(昭和二十九年十月一日「川鉄新 聞」)で、<木下監督第一等の作品であると共に終戦後の日本映画のなかでも傑作の一つだと思う。/この映画が何故こんなに成功したかといえば、第一に原作 者のねらいと監督のねらいとがぴたっと一致したからである。(中略)原作者と監督の一致したねらいというのは、戦争の傷痕がわれわれ国民(少年から老人に 至るまで)の生活をいかに浸食していたか、それが美しい風景の中にまでいかに深く忍びこんでいたかということであり、戦争によって浸食された生活の背景と しての風景が美しければ美しいほど、かえってその傷のふかさがかんじられるという主題の生かし方においてである。>と実に的確に表している。

 本当に、文芸作品を映画化したものは数々あるがこれほど忠実に原作が生かされた作品も珍しいであろう。壺井自身の原作が描写中心の演劇的描き方をしているということもあろうが原作とほとんど一緒の会話が交わされる場面が随所に取り込まれている。

 この映画の成功がさらに評判を呼び、「二十四の瞳」は老若男女幅広い読者を得、壺井栄の代表作の位置を獲得したのである。

 げんざいの評価は、小松伸六と窪川鶴次郎に代表される。

 窪川は、「壺井栄」(昭和二十九年十二月、)に於いて<彼女の文学の本質としての「母

ごころ」>と<歌ごころ>とにその魅力の原点をさぐっている。

 また、小松伸六は、新潮文庫の解説「壺井栄 人と作品」において、<壺井 さんの文学にはえくぼがあった。かざらぬ笑ひがあった。明るい楽天性といいかえてもいい。>とその<楽天性>を指摘し、また<壺井栄の文学に流れる暖かい ヒューマニテイ(人間性)そのもの>を取り上げる。そうした位置から「二十四の瞳」に関しても<この作品の潜在的テーマとしては戦争批判がある>としなが らも<はげしい反戦文学ではなく、あくまでも静かなる、庶民の立場からの戦争告発>だったとし、<「母性の作家」>壺井栄、<平明で叙情的な語り文体> <郷土色の豊かさ>を並べたあと、最後に<やさしい、思いやりのあるという形容詞をつけた上で<人生の教師>といっておきたい。>と結んでいる。

 「二十四の瞳」は、一「小石先生」、二「魔法の橋」、三「米五ン合豆一升」、四「わかれ」、五「花の絵」、六「月夜の蟹」、七「羽ばたき」、八「七重八重」、九「泣きみそ先生」、十「ある晴れた日に」の十章からなる。

 昭和三年四月四日、<わかい女の先生>大石先生が、<瀬戸内海べりの一寒 村に赴任してきた。>ところから始まり、ちょうど十八年後の昭和二十一年四月四日、戦争で夫を失った大石先生が生活のため復職して再び岬の分校に赴任し、 かつての<二十四の瞳>の子供たちを教え始め(「泣きみそ先生」)、さらにかつての教え子たちが集まって(といっても男子生徒五人の内三人が戦死、一人が 盲人となり、女子も一人死亡、一人は行方不明というなか)大石先生を囲んで同窓会を開くところで話が閉じられる。延べ十八年間に渡る話しである。

 作品の舞台は、<入江の海を湖のような形にみせる役をしている細長い岬の そのとっぱなにあった><瀬戸内海べりの一寒村>と、入江の対岸の<一本松>のある町とその周辺である。作品では島という表現は一切出てこない。あくまで も<瀬戸内べりの一寒村>に徹している。このような村は瀬戸内にいくらでもあると一般性をもたせたのであろう。モデルはいうまでもなく映画でも舞台として 使われた作者壺井栄の故郷でもある小豆島である。小豆島の南側にある内海湾を<入江>とし、入江を抱き込むように東から突き出している岬の先端の村は田の 浦である。大石先生の家は岬から八キロ(二里)の入江の対岸という設定なので内海町の西域、日方、水木、竹生あたりといえようか。壺井栄の出身地坂手は外 海に面している設定されているといえよう。言うまでもないことだが壺井栄は故郷では郵便局や役場には勤めたことがあるが教員の経験は無い。教員をしていた 妹さんから示唆を受けたと言われる。

 「七重八重」の章で、バスを待っていた大石先生が、徴兵検査で教え子たち皆やって来る場面があるが、ここは<K町のバス停留所>とあるので内海町の中心である草壁が想定されているのであろう。草壁港からは高松行きの船も出る。修学旅行に出かけた港はここなのであろう。

 なお、最後の「ある晴れた日に」の章で、同窓会行われる水月楼のある海岸は入江の東、内海八幡や観音堂のある辺りといえようか。

 具体的な地名は一言も使っていないがそうした小豆島の内海に面した岬とその周辺を彷彿とさせる舞台で話しは展開していくことになる。

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 作品の、背景としての時間(昭和三年四月から昭和二十一年四月まで)と舞台(<瀬戸内べりの一寒村>とその周辺)を見てきたわけだが、その縦糸と横糸とでいかなる物語が織り成されているのであろうか。

 先ず言えることは、二十四の純真な瞳を持った子供たちが十八年の歳月の流 れの中でそれぞれに成長していく姿である。あるものは死に、あるものは傷つき、あるものはちっぽけながらも幸せを掴んでいく。そうした,姿を写しながらそ こに強く浮かび出てくるのは貧しさと戦争の姿である。

 特に女生徒たちはまだ女性の解放が進まない時代にあって最も貧しさのしわ寄せを受け傷つき倒れていく。

戦争の影は男女生徒にともに過酷だった訳だが特に男子生徒にはもろに災いが及んだ。

五名の内三人戦死、一人が視覚を失うという大きな被害をうけたのである。

 このように、この作品は貧しさと戦争に対する弾劾の思いが託されている。従来、「二十四の瞳」に関しては戦争の災いが強調されるきらいがあるが、この貧しさへの糾弾もわすれてはならないであろう。

 このように一見抒情的な物語の展開の中にこの物語は、厳しい現実批判、歴史批判の思いをたくしているのである。が一方そのようにシビアな問題を孕みながら作品が暗さだけに彩られていないのは美しい舞台と大石先生のおおどかな人柄によるのであろう。

 特に、大石先生の二十四の瞳の教え子たちに対する優しい心配りが作品に潤いをもたらしている。生徒たちから慕われるゆえんでもあろう。

 このように、「二十四の瞳」は、戦争と貧しさを糾弾しながらその糾弾の間隙を埋める

ように優しい母のような愛情を生徒たちに注ぐことによ作品に潤いと暖かさとをもたらしている。作品が単なる政治的なスローガンや宣伝に終わらず普遍性を獲得できたゆえんである。

 描写中心の鮮明な文体でそれらの主題が支えられ「二十四の瞳」は、これからも多くの読者に愛されて国民文学の一つになっていくことであろう。

  (わたべ・よしのり 中央大学教授)