中野重治詩集

               渡 部 芳 紀


丸岡町立中野重治記念文庫

 


 門外漢の私が、柄にもなく中野重治の詩について、拙ない文を草してみようとするのは、私が中野重治を、その詩集を、こよなく愛するからである。今まで に、新潮文庫や岩波文庫で『中野重治詩集』を何冊手にしたことだろう。それらの詩集は、いつの間にか私の手もとから消えてしまう。誰かにやってしまうの だ。たまたま汽車の中で話をした人にやったり、研究室で話をしている学生に与えてしまったり、様々な形で人々の手に渡って行った。
 それは、中野重治の詩を多数の人に読んでもらいたいからである。良い作品に触れると、大勢の人に、こんな詩がありますよ、こんな詩人がいますよと教えた くなる。授業でとりあげた事もたびたびある。私の授業で初めて中野重治に触れたという学生も多い。そんな学生走ちの何割かが、(何人かでなく、何十人か が)こんな詩人がいたのか、こんな詩があったのかと興味を示し、中野の詩を好きになる。いいですねと言ってもらえる。そういう詩人を紹介できるというの も、教師の喜びの一つなのである。
 中野重治の詩を好きだという、ただそれだけの理由で、この小文を引き受けた。広い視野に立った客観的な論述はできない。私のようなものでも、中野重治の こんな詩にはとても感動するのですという、極めて好みに偏した文を書きしるすことになる。たまには素人のこんな発言もあってもいいのではないかと、あえて 拙ない意見を述べることとする。

 私が中野重治の詩に魅力を感じるのは、そこに人間に対する暖かな愛情が流れているからである。虐げられている人々、貧しい人々、寂しい人、悲しい人、孤独な人々に対して暖かくやさしい眼差しがそそがれているからである。

 〈あなた方は三人 ちいさなむしろの上で話をしている
  そして通りすがりの私にむかっていかにもなつかしげに言葉をかけてくる>
 <さよなら たんぼの女の人
  わたしはほほ笑みを一つ返します
  たんと日光をお吸いなさい
  たんときれいな空気をお吸いなさい
  わたしはもう帰ります
  さよならたんぼの人 たんぼの三人のあなた方>(「たんぽの女」)

 この三人の遊女に注がれる暖かな眼差しは、多くの他の詩にも流れている。
 一見暗い「北見の海岸」も、その底に流れる作者の暖かな心によってとても潤いのある作品になっている。ここには、言葉として、そうした愛情を表現したも のはない。北海道の北見地方のオホーツク海岸を行く<黒い人影>の様子を描写しているだけである。それでいて、底しれぬ寂しさと、<黒い人影>の哀しさと が作品ににじみ出ている。そして、
<黒い人影は誰だろう 黒い人かげはどこから来ただろう>という間いかけの中に、また、
<彼の獲物は売れようか>
<いいえ
 彼は黙つてここの海岸を北へ北へと進むだろう>、
<彼らは病気をせぬだろうか
 そして医者がいるだろうか
 彼らは死なぬだろうか>、
<黒い人かげはどこから来ただろう
 黒い人かけは濡れている>
という表現の中に、作者の暖かい愛情がにじみ出てくるのである。全体をおおう暗く寂しい調子を、その底に流れる暖かな情感で支えることによって、大変魅力ある作品になっているのである。
 
 中野重治には、かなしさ、寂しさを表わした詩が多い。私にはそうした詩もまた魅力ある作品群である。

 「あかるい娘ら」には、
<わたしの心はかなしいのに>がリフレインされ、
「眼のなかに」では
<哀しい思いが湧いてくる>と言い、
「わかれ」では、
<あなたのからだの悲しい重量>が
<わたしの両手をつたつて
 したたりのようにひびいてきた>と言い、
「夜が静かなので」では、父、母、姉むすめ、息子、そして<稚(おさな)いかなしみ>と、家族のそれぞれの<かなしみ>を描き、
「蝿」では、
<腹が立つて悲しかつた>と言う。
 こうした、さびしさ、悲しさを表わした詩の頂点に立つのは、「しらなみ」と「浪」である。

「しらなみ」は、
<ここの渚に
 さびしい声をあげ
 秋の姿でたおれかかる
 そのひびきは奥ぶかく
 せまつた山の根にかなしく反響する>
<ああ越後のくに 親しらず市振(いちふり)の海岸
 ひるがえる白浪のひまに
 旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ>
と、わずか十三行の短い詩句の間に、北陸の秋の海の寂しさを情感深く写し出している。

親不知

 


 <人も犬もいなくて浪だけがある>と始まる「浪」は、
<浪は定って来てだまつてくずれている>をくりかえし、
<風が吹いている
 人も犬もいない>と閉じる二十四行からなる。
 浪が打ち寄せる姿だけを描いて、そこに深い寂しさを表わしている。「しらなみ」とともに傑作と言ってよかろう。

 これら、かなしみと寂しさを映した詩は、大正十四年一月から十四年五月までの『裸像』に発表したものである。従って寂しさ、かなしみは『裸像』時代の一つの特色と言ってよかろう。
 約一年後の大正十五年四月『驢馬』創刊号に発表した「北見の海岸」は、同じように寂しさを背景にしながら、ただ寂しさだけを描くのではなく、社会主義的 見地からの貧しい人々への暖かい愛情が支えをなしている。約一年間の空白の間に、寂しさの質が変わったことがうかがえる。そして、寂しさ、かなしさは、 「北見の海岸」を最後に、中野重治の詩の世界から消えるのである。
 
 中野重治の初期の詩の特色である寂しさ、悲しさが、なぜ、大正十五年の『驢馬』時代から消えたのだろう。その謎を解き明かしてくれるのは、大正十五年九月『驢馬』に発表された「歌」である。

<おまえは歌うな
 おまえは赤ままの花やとんぽの羽根を歌うな
 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
 すべてのひよわなもの
 すべてのうそうそとしたもの
 すべてのものうげなものを撥き去れ
 すべての風情(ふぜい)を擯斥(ひんせき)せよ>

 前半の七行である。冒頭の<おまえは歌うな>を、第三者への禁止ととって、傲慢だなどという非難が発表当時されたらしいが、この<おまえ>は、あきらか に作者自身である。『裸像』時代の重治の詩に漂っていた<ひよわな><うそうそとした><ものうげなもの>を弾き去り、<風情を濱斥>しようとするのであ る。
 かわりに
<もっぱら正直のところを
 腹の足しになるところを
 胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
 たたかれることによって弾ねかえる歌を
 恥辱の底から勇気を汲みくる歌を>
<咽喉(のど)をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ>
と、新しい詩をめざして行くのだ。

 『裸像』時代に「噴水のように」(大14・3)で、<めめしいけれど金の色をした記憶>を、<胸を疼(うず)かしたりしていまだに棄てきれないでいる> と、己れの<めめしい記憶>へのこだわりを語っていた作者は、「歌」と同時に発表した「掃除」で、<役に立たぬものを持つていることは役に立たぬ/それら ことごとくをおれは火中した><みな残るところなく燃えつくした>と、己れの中の<泣きごと>を並べることを拒否し、短歌的抒情の世界に別れを告げるので ある。

 それより早く、「帝国大学生」「新任大使着京の図」などから始まり、「歌」と同時に発表した「県知事」、その後発表の「帝国ホテル一、二」と、次々と社 会の矛盾を突き、批判精神のあふれた作品を発表して行く。しかし、それら批判精神を正面に押し出した作品群の大部分は、私の心に訴えかけて来ない。力ん だ、言葉だけの批判の感じがする。

 そんな中で、「機関車」「『無産者新聞』第百号」「夜刈りの思い出」「雨の降る品川駅」「二月の雪」「その人たち」は、共感できる作品だ。
 これらの作品には、それぞれ作者の持っている暖かい愛情の裏うちがある。それは機関車に象徴される労働および労働者への愛情であり、新聞と、それの発行 に苦労している人々への愛情であり、農民への愛情であり、本国に送還される同志たちへの愛情であり、妻への愛情であり、党をまわりから、また内側から支え てくれた人々への感謝の念である。

 「機関車」は、実に密度の濃い作品だ。内容と表現とが渾然一体となっている。以前は、中学校の教科書にとられていたのだが、このごろは無いようだ。ぜひ触れてもらいたい作品だ。
 「雨の降る品川駅」「その人たち」も、それぞれ、深い愛情のこもった作品でぜひ読んでもらいたい。

 これら私の胸を打つ作品をみると、批判精神が、『裸像』時代の、暖かな愛情、抒情に支えられていることがわかる。社会性、批判精神が、作者が従来から持っている暖かい愛の精神と結びついた時、深い感動を呼び起こすのである。

 そうした両者が渾然ととけあった上に作られたのが最高の傑作「夜明け前のさよなら」である。
<この四畳半よ
 コードに吊るされたおしめよ
 すすけた裸の電球よ
 セルロイドのおもちやよ
 貸ぶとんよ
 蚤(のみ) よ
 僕は君らにさよならをいう
 花を咲かせるために
 僕らの花
 下の夫婦の花
 下の赤ん坊の花
 それらの花を一時にはげしく咲かせるために>

 ここには、今までの日本の文学に欠けていた、社会性、批判精神と、それを支える血の通った暖かな人間愛とがあふれているのである。両者の融合した世界が確立されているのである。中野重治の詩の最高の結実といってよかろう。

 こうした社会性のある批判精神をこめた詩の背後には、
<わたしは嘆きたくはない わたしは告発のために生まれたたねのでもない
 しかし行く手がすべて嘆きの種であるかぎり
 わたしは嘆かずにはいられない 告発せずにもいられない
 よしやヒネクレモノとなるまでも
 しかしわたしはいう わたしは決してヒネクレではないと>(「わたしは嘆かずにはいられない」)という嘆きがある。
 それが必要なかぎり<ヒネクレモノ>であろうと意を決めるのである。しかし、それは、そうせざるを得ないからそうするのであって、中野重治は生れつきの<ヒネクレモノ>なのではない。

 次の詩は、中野重治の明るく健康な側面、ユーモアある優しい側面を代表する詩である。その一つは「はたきを贈る」である。
<おれはその白いふさふさを
 通りにいる子供の顔にさしつけてやった
 そしてくるくるとまわしてやった
 すると白いふさふさのあいだで
 まるめた眼や細めた眼やのたくさんの笑いが花咲いた>。
そんな風に使った「はたき」には<無邪な少年の笑いの祝福が匂っている>と言う。なんと無邪気な、気どりのない、力みのない美しい詩であろう。これも中野重治の詩である。

 「垣根にそうて」もよい。
<あの少年のようにおれも……>
<ここから彼へ郵便屋をとおって
 ひとすじの幸福が虹のようにかかるのが
 君見えないか
 これから帰っておれは
 さっそく誰かに手ごろな小包を一つ送らねばならぬ>
という詩には、少年のように純心で屈託のない中野重治の姿が描かれている。中野の最高の作品の一つであろう。

 なお、同詩の<その六面体の重量にはおれの好意が換算してあるのだ/その快適な重量は彼の手をやさしくおさえるだろう>という表現には、梶井基次郎の 「檸檬」の、<この重さは総ての良いもの総ての美しいものを重量に換算して出来た重さである>の影響がある。二人は同学年として生まれ、それぞれ二年落第 して同じ年に東大に入っている。『青空』の創刊号(大正14・1)を読んだ重治が、その最高の比喩を自分の詩に借り、発表(大14・3)したのではなかろ うか。

 以上、「夜明け前のさよなら」「北見の海岸」「はたきを贈る」「垣根にそうて」「しらなみ」「浪」「機関車」「雨の降る品川駅」「その人たち」を最高の 作品群として、私にとっての中野重治詩の魅力を語ってみた。私の拙言よりも、それらの詩自身に読者が直接触れられんことを願ってやまない。必ずそこに、そ れぞれ読者諸兄姉の魅力ある詩が発見できることであろう。
                      〔わたべ・よしのり中央大学教授〕
                        『解釈と鑑賞』(昭和61・7)

渡部芳紀研究室
(中央大学文学部文学科 国文学専攻)