潮騒ー太陽の発見(三島の希臘体験)ー

               渡 部 芳 紀


神島(北方より)

 


1

 昭和二十六年十二月二十五日から昭和二十七年五月十日まで、三島由紀夫は、朝日新聞社特別通信員の資格で、第一回の外国旅行をしている。これより二、三 年前に、三島は、青年芸術家会議がアメリカで開かれるのに参加しようと米軍の文化教育関係者の面接試験を受けたりしていたが、英会話の能力が足りなかった りしてはたせなかった。外国旅行は当時の三島の夢であった。外国へ行けないかわりに日本をあちこち回っていた。
 〈このころの私を慰めたのは旅行であつて、たびたび大島へ行つたり、取材のため北海道へ行つたりした。私は風景に官能的な魅惑を感じた〉(「私の遍歴時代」)のであった。
 当時は、まだ講和条約も締結されておらず、日本人の海外旅行などはきわめて困難な時代であった。しかし、三島の内部には、〈一種の危機にあつた私にとつ ては、外国旅行は痛切な必要と感じられた。ともかく日本を離れて、自分を打開し、新しい自分を発見して来たいといふ気持が募つてゐた〉(「私の遍歴時 代」)からである。
 その願いがやっとかなえられたのである。ハワイからアメリカ合衆国、ブラジル、さらにヨーロッバヘ渡り、スイス、フランス、イギリスをまわり、最後に、 ギリシャ(希臘)とイタリアを訪れている。日本における多忙をきわめた執筆生活から解放され、〈自由〉な時間を持てた、三島にとっての貴重な旅であった。
 若くして文壇にデピューした三島は、〈幸福感の山頂と憂鬱の深い谷間〉(注1)との間を行ったり来たりしていた。己れの中の〈化物のやうな巨大な感受性〉(注2)に苦しみながら、何とか〈自分の改造〉(注3〕の道を模索しようと試みていたのである。
 〈太陽!太陽!完全な太陽!〉(「アポロの杯」)。旅は船の旅で始まった。ハワイに近づくにつれ日光が強烈になる。〈私は暗い洞穴から出て、はじめて太 陽を発見した思ひだつた〉(「私の遍歴時代」)。日光浴をしながら、自分の中の過剰な感受性を思い、〈肉体的な存在感〉(注4)の欠如を思う。そLて、強 烈に〈存在感〉への、〈生活〉への飢渇感をおぼえるのだった。
 この時の旅行のことは、紀行文集『アポロの杯』(昭27・10、朝日新聞社刊)にまとめられている。同書では、旅先での様々な思いが語られているが圧巻 は、〈眷恋の地〉ギリシャを訪れた部分である。〈私は希臘にゐる。私は無上の幸福に酔つてゐる〉〈絶妙の青空。絶妙の風。夥しい光〉〈私はかういふ光りと 風を心から愛する〉。
 どうして、三島は、そんなにも太陽と光りの国ギリシャを愛したのか。自己の内部の〈化物のやうな巨大な感受性〉(注5)を嫌悪し、〈知識人の顔といふの は何と醜いのだらう〉(注6)と思う三島は、〈「精神」なんぞを必要としない〉〈外面を信じた〉〈完全なもののはうを愛した〉(注7)ギリシャに自分の新 しい理想を見出すのだ。それは〈正確的確に見られ、分析せられ、かくて発見されるにいたつた自然の美〉(注8)へのあこがれであり、その典型として、ギリ シャ彫刻がとりあげられる。三島は、アビシニヤ人アンティノゥスの立像の中に〈儔ない外面の美しさ〉(注9)を見、〈さやうなら、アンティノゥスよ。われ らの姿は精神に蝕まれ、すでに年老いて、君の絶美の姿に似るぺくもないが、ねがはくは、アンティノウスよ、わが作品の形態をして、些かでも君の形態の無上 の詩に近づかしめんことを〉(注10)と、自分の理想をその中に見ている。自己の中の〈感受性〉と訣別するために、形態の完全な美への憧憬を抱くのであ る。
 〈ギリシアは、私の自己嫌悪と孤独を癒やし、(中略)晴れ晴れとした心で日本へ帰つた〉(注11)のである。

2

 前章で見たように、第一回の世界旅行において、〈太陽〉の発見をし、〈太陽〉の国ギリシャに邂逅した三島であったが、この〈太陽〉への出会い、ギリシャ の発見は、突然、偶然になされたものではなかった。吉村貞司は、〈三島のギリシャは少年時代のラディゲ傾倒に端〉(注12)を発していると指摘している し、嶋岡晨も
『仮面の告白』の聖セバスチャン殉教図への執着や、「獅子」の劇的構造美、古典的文体などに、ギリシャ的な嗜好の先ぶれを指摘する(注13)。三島のギリ シャ憧憬は、彼の古典主義的傾向とも重なっていたということがいえよう。そうした潜在的なものが、ギリシヤを中心とする世界旅行ではっきりと形をあらわし て来、三島の世界を根幹から変質させていったということがいえよう。
 今までの〈感受性〉にあふれた脆弱な世界から脱出し、〈ニイチエ流の「健康への意志」〉(注14)に貫かれた強者の世界の構築をめざし始めるのである。〈「生活を崇拝」〉(注15)し始めるのである。
 世界旅行から帰国した三島は、〈自分の仕事の一時期が完全にをはつて、次の時期がはじまるのを〉〈自分が成熟してゆく〉のを、〈私の遍歴時代はをはる〉(注16)のを感じていくのであった。
 この世界旅行をはさんで書かれた「禁色」は、野口武彦の指摘するように〈第二部(注17)で、みじめな「精神性」である俊輔の影を薄くさせ〉るといった変化をもたらされるのである。
 帰国後の第一作は「真夏の死」であるが、当時流行していた、文学者の海外旅行と、それにともなうおみやげ小説に反発して、三島は、日本の題材で小説を書くことに腐心した。
 そんなわけで、世界旅行にともなう〈太陽〉の発見、ギリシャとの避遁を下地とした小説が、はっきりとした形で現われるのは「潮騒」を待たねぱならないのである。

3

 「潮騒」は、昭和二十九年六月、書下ろし長編小説として新潮社より刊行され、同年設置された、第一回新潮文学賞を受賞している。 〈ギリシア熱が最高に 達した私が、ギリシアの小説「ダフニスとクロエ」を底本に〉し、〈ほとんど原作どほりのプロツト〉(「『潮騒』執筆のころ」)でもって作りあげた小説で あった。
 三島は、作品の舞台として〈文明から隔絶した人情の素朴な美しい小島〉(「『潮騒』のこと」)である伊勢湾口の神島を舞台に選んだ。昭和二十八年浅春 に、同島に十日ほど滞在し、たこ漁の船にも乗り、同年晩夏にも島を訪ね、〈秋から起稿して、一九五四年の四月に脱稿〉(「『潮騒』のこと」)した。

神島港

 


 発表当時〈内的音楽の欠如〉〈講談種の、人情美談だ〉(寺田透「美しい海の映像だが講談的人情の卑俗さ」『日本読書新 聞』昭29.7.12)とか、〈まにあわせの青春、でつちあげた健康〉(武田泰淳「小説案内」『毎日新聞』昭29・6・25)といったやや批判的な意見 や、〈童話風の感じもするが、他面つくりあげた牧歌調の弱さもある。作風の転換というよりもむしろ、多面的才能の一端を示したもの〉(無署名「青春小説三 つ」『朝日新聞』昭29.6・21)といった好意的意見など、〈毀誉褒貶まちまち〉(十返肇)であったが、一般読者層からは歓迎を受け大変良く売れた。
 良く売れた理由とLて十返は〈都会的感覚によつて田舎を書いたところに、新鮮さを感じさせる〉、〈スマートな文章で、明るい初恋物語を書き〉〈三島作品 が示してゐた観念的難解さがなく、至つて単純な話〉〈彼特有のアフォリズムもみられず、ハッピー・エンドの結末も、悲劇的作品のいたづらに多い今日では、 若い人たちに希望を持たせるかのごとくである〉(「文壇天気図」『中央公論』昭29・9)ことなどが、青少年層に受け、歓迎されたのだとする。各論考がそ れぞれ「潮騒」が持つ特徴をとら、見ていると言ってよいだろう。
 同年の十二月、第一回の新潮文学賞が同作品に与えられた。その時一緒に候補作になっていたのは、金達寿「玄海灘」、椎名麟三「自由の彼方で」、中野重治「むらぎも」などであった。
 その選後評(『芸術新潮』昭30・1)で、早くより三島の才能に注目していた神西清は〈氏の古典主義的決意と硬質の才能の結晶体〉を見、河上徹太郎は 〈見事に純潔ぶり、ギリシャぶつた、かういふ才能はわが文壇では珍しく尊重すべきである〉と、やや皮肉な評も加え、亀井勝一郎や中島健蔵は携賞していな い。小林秀雄は〈複雑に考へ、複雑に感じて、作品を書いてゐる作者は、単純素朴な物語を書きたい欲望にとらわれることがある。それが三島君の「潮騒」〉だ として、当時の作品の背後の作者の気持ちを言い当てている。
 これらを見てくると、受賞したとはいえ、絶対的にこの作が高く評価されたということでもないらしい。三島の今まで見せて来た才能の中に、新しいものを見 出しての評価といった感じがつよい。〈三島君のような作風の作家は日本の文壇では最も育ちにくい。それだけに今回の受賞は大いに意味があつた〉(河盛好 蔵)といったところが、平均的な評価であったといえようか。今日においても、「潮騒」は一般読書人から良く読まれ、映画化なともされているが、作品の絶対 的評価はそれほど高いとは思われない。ギリシャ体験などとからめての作家論上に占める位置から取りあげられ、かつ、当時の作者の夢みる世界、理想郷を語る ものとして、副次的に取り上げられることが多いようである。

4

 三島由紀夫自身の、この作品に関する言及は実に多い。〈気持ちよく書いた作品であるが、それほど野心作とか、苦心の作とかいふのとはちがふ〉(「受賞に ついて」『新潮』昭30・1)もので、〈「わがアルカディア」〉(「小説家の休暇」昭30・11)を描こうとしたものという。「わがアルカディア」は、 ゲーテの「イタリア紀行」の題辞に用いられた言葉で、アルカディアはギリシャの地名であり、牧歌的理想郷を意味するのであるが、右の言葉の中には、三島の 理想郷としてのギリシャヘの思いがこめられているということが言えよう。

 それでは三島の夢みた理想郷とはいったいどんな世界であったのか。
 それは、〈ギリシア的自然〉〈確乎たる協同体意識に裏附けられた唯心論的自然〉(「小説家の休暇」)の中で、〈古代風の共同体倫理〉(「『潮騒』執筆のころ」『潮』昭40・7)の下に健康な人間たちが生きている世界である。
 そこには〈化物のやうな巨大な感受性〉はなく、反自然的、キリスト的な〈精神〉もない、〈誇らしき自己意識、自身の力に対する信頼、人間一般に対する信 仰〉(注18)があり、人々は美しく、生き生きとしている。それは、三島に最も欠けていたものであり、かつ、〈感受性〉の泥沼から抜け出すために最も望ん でいた世界であった。それは、「愛の渇き」の悦子の〈私とて単純な心を愛する。単純な体に宿った単純な魂ほど、この世で美しいものはない〉といった夢にも 通じるものであった。そうした、彼が追い求めていた世界を、〈強引に、人工的に、単純で古典的な文体〉(「自己改造の試み」『文学界』昭31・8)によっ て描いていったものである。

 舞台は伊勢湾口の人口千四百、周囲一里に充たない小島歌島(モデルは神島)である。その島で、初春から晩夏にかけて、一つの初恋物語が展開する。主人公 は十八歳の青年漁師久保新治である。その恋人は、初い初いしい海女の宮田初江である。二人は人知れず愛しあうようになり、安夫や、初江の父照吉やの妨害や 反対、さらには村の噂などに邪魔され、苦しめられながらも、恋人に対する信頼と、新治の母や、雇主の十吉、燈台長夫人に助けられ、かつ、お互いの美しいか らだと、健康な精神と、すぐれた生活の知恵(技能)によって、障害をとりのぞき、自分たちの愛を成就するのである。
 筋の展開の上では、前述のごとく「ダフニスとクロエ」を使い、それをやや簡略化し、〈年増女の件りや海賊の件りをカツト〉(「『潮騒』執筆のころ」)したりして使っている。
 筋の展開の上での一つの山は、恋敵の安夫が夜中、水汲みに来た初江を襲う場面であろう。しかし、その危機も、蜂が安夫を襲撃するという偶然事から、あっさりくぐり抜けてしまう。
 次には、二人の交際をかぎつけた父照吉が、二人の仲を裂く。それにともなう、不安と苦痛が、この作品の唯一の大きな危機といえようか。二人の苦しみは長くつづく。しかし、この危機は、二つの出来事によって解決される。全十六章のうち、それは十三章と十四章に語られる。
 十三章では初江が、十四章では新治が、それぞれ己れの力をためされる。それは古代の成人の儀式に相当するものである。この両章が作品のクライマックスであり、その儀式を無事通りぬけ、成人試験に合格した二人は、めでたく結ばれるにいたるのである。
 十三章の前半は、島の老若の海女たちの乳競べが描かれる。〈初江の乳房を見ると、彼女と新治に関する悪い噂が時と共に消えたのが肯(うなづ)かれる〉 〈まだやつと綻(ほころ)ぴかけたぱかり〉だが、〈四肢のととのつた発育と歩を合はせて、乳房の育ちも決して遅れをとつてはゐなかつた〉。初江の乳房は海 女たちの〈嘆賞の的〉であった。そこには、肉体的に充分恋の資格がある者の象徴があった。
 十三章の後半には、海女たちの鮑(あわび)とり競争が描かれる。初江は一番になった。新治の母は二番だった。島一番の海女になった初江は、その賞品を新 治の母に棒げる。初江は、肉体だけでなく、その技術によっても、一人前であることを認められたのだった。しかも、一時気まずくなりかけていた新治の母との 間にも、暗黙の了解が成り立ち、嫁となる道が開かれたのである。

神島灯台(中央山腹)

 


 十四章で、新治は照吉の持ち船歌島丸に甲板見習として乗りこむ。恋敵の安夫も同様だ。前半は、〈小雨〉、〈霧雨〉といっ た梅雨模様の天気のもと、甲板見習の修業の様子が描かれる。船が沖縄に立ち寄ったとき、台風が襲った。〈自然の静かな午睡のかたはらにも、このやうな狂ほ しい宴会の席にも、彼は同じやうに招かれる資格があつた〉。彼は船の命綱を浮標に取りつけるため、闇の嵐の海へ身を躍らす。〈若者の力〉の前に〈巨大なも のはすこしづつ躪(にじ)り退(しりぞ)いて道をひらいた〉。〈疲労〉をく気力〉が支えた。安夫が尻ごみして成せなかった偉業を、新治は成した。新治の安 夫への勝利は明らかである。〈あくる朝、新治が目をさますと、枕のかたはらに明るい日ざしが落ちてゐた。/寝台の丸窓から、彼は台風の去つたあとの澄明な 青空と、亜熱帯の太陽に照らされた禿山のけしきと、何事もない海の煌(きら)めきを見るのであつた〉。梅雨空につづく嵐、それを乗り越えた時のこの〈夥し い光〉にあふれる青空は、男として成人の試験に合格し、初江と結ばれる道を自力で切り開いた新治の心の象徴なのである。
 この〈太陽〉の下でつかまれた初江と新治の幸福は、ギリシャで〈太陽〉と出会った、三島の一つの希望を託された人物たちなのである。
 「アポロの杯」で〈希臘人は外面を信じた。それは偉大な思想である。キリスト教が「精神」を発明するまで、人間は「精神」なんぞ必要としないで、矜らし く生きてゐたのである〉と三島は言う。初江と新治、なかんずく主人公の青年久保新治は、ギリシャの彫像のごとく、〈外面〉の美しさを徹底的に託されて造型 されている。〈外面〉の美を強調するため、〈「精神」〉を新治から捨て去る。彼は〈想像力に欠け〉〈考へることが上手でなかつた〉、彼には〈傷つきやすい 神経はなかつた〉、それゆえ〈不安もない〉、〈疑はない忠実さ〉のうちに、健療な美しい肉体を保持しているのである。そして、そこにおのずからの強靭な 〈気力〉もそなわって来るのである。初江が道に迷って泣き出す場面など、海女一番になるような強い女性に似つかわしくなく、また海女二番の新治の母、夫を 戦争で失いながら二人の男の子を育てて来た母も、しょっ中作品の中で泣くのであるが、その涙は、弱さの涙ではなく、天真爛漫たる自然人としての豊かな表情 のあらわれなのであろう。
 ただ、そういっても、主人公新治が落第しそうになるほどの人間として造型されていることにひっかかるのだが、「芸術にエロスは必要か」(『文芸』昭 30・6)で、三島は、芸術家の動力の源泉として〈どこにその動力を求めるか?凡庸さにである。凡庸であるが故に生命力を保持してゐるハンス・インゲ的存 在にである〉という発言をしており、「トニオ・クレーゲル」に登場するこの美男・美女のイメージが、新治・初江の背後にあったということも指摘しておいて よいであろう。
 
 このように、三島は、己れの中の〈化物のやうな感受性〉を嫌悪し、ギリシャヘの旅で発見し確認した(今までの自己の内に潜在的に流れていた)〈太陽〉へ のあこがれを、一つの理想郷の中に新治と初江という美しい若者たちに託して展開してみせたのが「潮騒」という作品だということがいえよう。
 作者は、この作品が〈人工的〉な夢の世界であることを知っているゆえに、この作品の〈人工的性格を批判してみてもはじまらない〉(磯田光一『殉教の美 学』)という意見も生まれる。たしかに、この作品を、一つの夢であり、理想として、この世にあり得ない世界として、楽しく享受していくぶんには、それでい いのかもしれない。しかし、それにしても、あまりにも単純素朴にハッピーエンドに向かって突き進む話の展開や、新治や初江の盲目的な相手への信頼感(恋に とっての一番の障害は、外界にあるのでなく、それぞれの心の内にあるのではないか−それこそ近代の病いと言われてしまうかもしれないが)の上に成り立つ初 恋譚は、やはり、面白く楽しいお話という印象をあたえってしまうのである。
 しかし、太宰は、そうした「潮騒」のために、かっこうの言葉を用意しておいてくれた。
 〈やさしくて、かなしくて、をかしくて、気高くて、他に何が要るのでせう。あのね、読んで面白くない小説はね、それは、下手な小説なのです〉(「『晩年』に就いて」)。

注1・2・3・4・5・6・14・15・16 「私の遍歴時代」
注7・8・9・10・11 「アポロの杯」
注12 「三島由紀夫におけるギリシャ」『解釈と鑑賞』昭41・7
注13 「『潮騒』ー三島文学の素顔」『三島由紀夫研究』右文書院 昭45・7
注17 『三島由紀夫の世界』講談社昭43・12
注18 「小説家の休暇」
             (「国文学」昭和61.8)


リンク

三重県鳥羽市立神島小学校
「潮騒」の舞台の歌島のモデル神島に関する様々な情報があります。

渡部芳紀研究室
(中央大学文学部文学科 国文学専攻)