「にごりえ」論

                     渡部芳紀


〔あらすじ〕−新開地の銘酒屋菊の井の一枚看板お力は、蒲団屋の源七と恋仲だった。源七は破産して土方の手伝いを しながら裏長屋で妻子と貧しい生活を始めていたが、お力をあきらめきれず時々会いに来る。お力は源七の妻子の事を思って源七に冷たくし、結城朝之助という 客と親しんでいる。しかし、源七への思いはつのり、丸木橋を渡る覚悟で、源七との恋の世界に飛び込んで行こうとする。ちょうど妻お初といさかいをし、妻子 を追い出してしまった源七と会い、心中して果てる。

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 「にごりえ」は、明治二十八年、『文芸倶楽都』九月号に発表された。
 舞台は、ある新開の銘酒屋菊の井と、その近くの裏長屋源七の家。
 時は、明治二十八年頃の七月の盆の前後と考えられる。
 こうした舞台設定の中に、三つの男と女の関わりが描き出される。
 一つは、〈菊の井のお力か、お力の菊の井か〉と言われる〈此家の一枚看板〉お力と、〈自ら道楽ものとは名のれども実体たる処折々に見えて身は無職業妻子 なし〉の〈三十男〉結城朝之助との関わりである。この二人の間柄は、軽い恋、あるいは好意を感じる関係と言ってよいもの。初めて会った時、結城の財布をと りあげ、金をみな朋輩たちに振舞ってしまったお力を鷹揚に受け入れ、〈是れを初めに一週には二三度の通ひ路、お力も何処となく懐かしく思ふかして三日見え ねば文をやるほど〉で、朋輩の女たちから岡焼きされるほどのもの。お力も、結城に向かって、〈貴君の事をも此頃は夢に見ない夜はござんせぬ〉と言ったりも する。が、〈十六日は必らず待まする来て下されと言ひしをも何をも忘れて、今まで思ひ出しもせざりし結城朝之助〉に会って、結城から〈あれほど約束をして 待てくれぬは不心中とせめられ〉たりもする。そのあとの会話では、〈そも/\の最初から私は貴君が好きで好きで、一日お目にかヽらねば恋しいほどなれど、 奥様にと言ふて下されたら何うでござんしよか〉と、お力は胸の内を語る。お力は、自分の身の上話をし、その夜は結城を泊らせる。
 この二人の間柄は、淡い恋とでも言ったらいいのだろうか。お力としては、源七との激しい恋の苦しさの中の、心をやすらかにしてくれる男友達への心の傾斜といったものであろう。
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 いま一つの関わりは、〈町内で少しは巾もあった蒲団や〉だったが、お力に入れあげて破産し、〈今は見るかげもなく貧乏して八百屋の裏の小さな家にまい/ \つぶろの様になつて居〉る源七と、その女房お初とのものである。二人は十年つれそい、太吉(郎)という〈四つ計(ばかり)〉の子がある。お初は〈二十八 か九にもなるべし、貧にやつれたれば七つも年の多く見えて、お歯黒はまだらに生え次第の眉毛みるかげもなく、洗ひざらしの鳴海の裕衣(ゆかた)を前と後を 切りかへて膝のあたりは目立ぬやうに小針のつぎ当、狭帯きりヽと締め〉内職に精を出し、少しでも家計を助けようと努めている。なけなしの金の中から、夫や 子に行水を使わせようと湯をわかし、夫の好物の〈冷奴〉に〈青紫蘇の香たかく〉して夕食をととのえる。忍耐強く心優しい妻なのである。
 しかし、夫の源七は、〈こんな可愛い者(注−太吉)さへあるに、あのやうな狸の忘れられぬは何の因果か〉〈我れながら未練ものめ〉と思いつつも、お力へ の思いが振り切れず、鬱々とした毎日を過ごしている。そうした夫を見るにつけ、歯がゆい思いと、夫をそんなにしたお力への憎しみはつのっていく。
 ある日、太吉がお力から買ってもらったと言ってカステラを持ちかえったことから、お初の怒りも爆発し、思わずお力を〈あの鬼め〉〈喰ひついても飽き足ら ぬ悪魔〉と口ぎたなくののしる。それを聞いた源七は、それを、自分自身への〈当こすり〉であり〈譲訴〉だと怒り、女房へ離縁を迫る。お初は、一時的に感情 に走って、悪口雑言をつくした事をあやまり、太吉と三人で生活して行きたいと訴えるが、かたくなな源七は頑として聞かず、結局お初は、太古をつれて、家を 出て行ってしまう。 お初としては子も夫も愛していて、懸命につくしていたのだし、思わず口をついてしまうお力への憎しみも仕方ないことだろう。それを逆 手にとったように、離縁してしまう源七は、あまりにも感情的だし、非難されても仕方なかろう。が源七も、それがわかっていながら、お力をあきらめ切れず執 着してしまうのであろうか。悲しき業とでも言えようか。
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 この作品で一番重要なのは、お力と源七の関わりである。源七は、お力によって、〈色の黒い背の高い不動さまの名代(めうだい)〉〈此様な店で身上はたく ほどの人、人の好いぱかり取得とては皆無でござんす、面白くも可笑しくも何ともない人〉と言われるように生真面目な男である。蒲団屋もやめて今は土方の手 伝いをしているのに、お力のことがあきらめられず時々店に会いに来るが、お力の方は、〈行き度ないから〉〈断つておくれ、あヽ困つた人だね〉と会おうとも しない。
 こうした態度や結城との関わり、さらには、もの狂いの家系などから、お力の源七への思いは、今はさめているとする読み方が圧倒的に多いが、それは間違い である。お力は、今でも強く源七を愛しているのだ。お力が源七に冷たくするのは、自分の思いを圧えつけているのである。今まで、源七の気持を受け入れて来 た事が、結果として彼を破産させ、彼の妻や子をも悲惨のどん底におとし入れてしまった。幼い太吉に、自分の子供の頃のあの貧乏の悲しさを味わわせていると 思うとたまらない思いがしたことであろう。源七一家の幸せを考えると、今の自分の源七への恋の思いをあきらめることが一番だと考えたのである。
 そうした旧い型の女性として読むのは近代の自我意識に目覚めた一葉の作品にそぐわないという意見もあるかもしれないが、頭で目覚めることと、感覚がそれ について行くこととは別である。幼い頃からつちかわれ、体にしみついている反自我的発想は、一葉の中にも根づよく住みついているのである。それは、夫も捨 て、子供も捨てて、己れのために生きようとした「十三夜」の女主人公お関が、結局は子供のため、夫原田の虐待にも耐えて生きようと、己れを捨てて実家に 帰って行く姿にも表われているのだ。
 お力は、源七への愛の思いをおさえている。会いたいのに、無理に冷たく装っている。結城との関わりなどの中に苦しさをまぎらわそうとしている。しかし、 その思いは、自ら外ににじみ出、結城には、〈持病といふのは夫(そ)れか〉と指摘され、さらには〈お前は出世を望むな〉〈始めから何も見知つて居るに隠す のは野暮の沙汰ではないか、思ひ切つてやれ/\〉と言われることになる。お力のやさしさが、自分を〈鬼々〉と言う、源七の子太吉に菓子を買って与えたりも するのである。
 しかし、源七の自分への気持が変わらないのを知っているのに、その家族のため、また、自分の、もの狂いの家系から脱出するために、已れを圧さえるのにも 限度があったのであろう。お力の中に次第に高まってくる源七への愛の思いは、〈我恋は細谷川の丸木橋わたるにや怕(こわ)し渡らねば〉という端唄を口ずさ む中に如実に表われている。
 〈仕方がない矢張り私も丸木橋を渡らずばなるまい〉〈為る丈の事はしなければ死んでも死なれぬのであらう〉という述懐の中には、先の端唄の残された七五、すなわち「思ふお方に会わりやせぬ」という情念が込められているのだ。
 今まで圧えつけて来た源七への思いが彼女を苦しませていた。が今や、「思ふお方に会」うために、〈丸木橋を渡らずばなるまい〉と心を決めるのである。
 父や祖父と同じように、〈丸木橋〉を踏み返し、谷底へ落ちるのを覚悟で、〈丸木橋〉を渡ろうとするのである。
 こう読んで来れば、作品の末尾(八)で、二人の心中を無理か合意か、頭を悩ませる必要はあるまい。お力は、自分の意志で源七と会ったのである。ただ、そ の時点では、まだ死ぬ覚悟までは出来ていなかったかもしれない。とっさに、死への恐怖が走って、ひるむ思いが〈後袈裟〉の疵(きず)となって表われたので はなかろうか。この最後の読みは、関良一の「『にごりえ』考」(『文学』昭29・7)の見方でよいと思う。お力としては、自分の恋の思いに殉じたのであ る。
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 「にごりえ」に、もの狂いの側面を見、その中に一葉の姿を求めようといった読み方は、「にごりえ」の中心点を読み落とすことになろう。お力と源七との恋 を中心に、さらに、お力と結城、源七とお初の関わりをからめて、これを恋愛小説として読むのが的を射た読み方なのである。
(引用文のフリガナは入力の関係で全て除いてある。ふりに関しては、原典を参照されたい。)
                           〔わたべ・よしのり 中央大学教授〕
   (『解釈と鑑賞』昭和60・9より)


渡部芳紀研究室
(中央大学文学部文学科 国文学専攻)