梶井基次郎
   ー清澄と混濁の間(はざま)ー

               渡 部 芳 紀


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 梶井基次郎ほど友人に恵まれた作家はない。「青空」を中心とした人々の梶井に対する友情はうらやましい限りだ。梶井が今日、かく高い評価を受けているの は、彼が傑れた作品を残したからにも依るが、死後の友達たちの支援によるところも大きいのである。梶井がそんなにも友情に恵まれたのは、回りの人達の人柄 とともに、生前、彼がそれだけの友情を友達にそそいでいたからでもあろう。
 
 辻野久憲の<これほど強く僕を惹きつけ、これほど敬愛の念を僕に抱かせた人はさう多くはない>(「失はれた面影」『作品』昭和7.5)と言った言葉を始め多くの友人が彼の優しさを語っている。それは特に会話の中に良く表れていたらしく、辻野は
<氏の話術は無類に美しく巧みで、それに耳を傾けてゐるといつまでも飽きるといふことはなかった>と言い、淀野隆三は<梶井は魅力ある聴き手>(「思ひ出 すままに」『作品』昭和7・5)であったと語り、他の友人たちも、梶井の一種独特な包容力ある聞き手としての魅力を語っている。<「親分的」な親切心> (飯島正「梶井のこと」『梶井基次郎文学碑建設記念文集』昭和姐・8)を持った人、<みすぼらしくて美しい人聞。寒くてそして暖い人間>(織田正信「四月 一日」『作品』昭和7・6)であったようだ。そうした暖く優しく包容力のある人間梶井を回想する多くの文章の中に梶井の共通した一側面が語られていること に気づかされる。

 阿部知二は<振幅の大きい芸術を書く資質をもった>(「梶井氏の想出など」『作品』昭和7・5)人と言い、
淀野は<一種荘漠たる大きい人物>で、<対立>し<矛盾>する<両極端>がく統一されてV(駆出)いる人だと言い、浅見淵は<何事につけ、最善のものか、最悪のものか、1この二つしか、梶井君は選ばなかった>・(「梶井君について」『評論』昭和10.7)と言い、
外村繁は、梶井の中に<完璧か、しからずんば白紙>といった二面を見、それを<強烈な理想精神と逞しい放蕩精神>という相矛盾する側面としてとらえ、<彼の作品は此の両精神の激しい相克によって生れた>(「梶井基次郎の覚え書」『外村繁全集第六巻、昭和釘・8)と言う。

 これら友人たちの発言に共通して流れているのは、梶井の<振幅の大きさ>であり、その大きさのもとをなす<対立>し<矛盾>する<両極端>の、梶井の中における<統一>である。
 梶井の中には、全く相反する二つの傾向があって、その矛盾相克の中に生きていたと言うのである。たしかに「瀬山の話」の主人公にも<一方はその男の澄み 度い気持でそしてもう一方は濁りたい気持である>と、全く違う二方向が一個の人間の中に共存して描かれており、梶井の中には、そうした相矛盾した二方向が あったと思われる。ここでは、梶井の持っていたそうした傾向を整理することから始めたい。
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 まず初めは、梶井の持つ<強烈な理想精神>の側面から眺めて行こう。
 先の浅見の回想にもあるように、梶井が<最善のもの>に常に強い憧憬を持っていたのは間違いない。それは、他の身近にいた友人たちも証言していることで、
外村は<彼はいつも最高のものに激しい憧憬を持ち続けてゐた>(既出)と言い、
中谷孝雄は梶井が常に<満点>を、<完璧>を、自分にも、友情にも、作品にも求めていたと言っている(『梶井基次郎』筑摩書房、昭和44・9)。
 梶井自身の言葉としては、<名匠になりたい、文学の神様になりたい>(清水蓼作宛書簡、昭和2・3・18)と言った激しい思いとして語られているが、そ うした生まの発言以上に、彼の作品そのものが、梶井の完全主義志向、完璧主義憧憬を如実に語っている。その彫琢された文章は彼の完全主義の象徴と言ってよ いだろう。

 その完全主義のやや形を変えたものが、梶井の<偉大>さへのあこがれ、<非凡人>へのあこがれであろう。
 日記や書簡を見ると、<私ノ心ノ中ニモットモット偉大ナモノヲはぐくまネバナラン>(畠田敏夫宛書簡大正9・2・10)といった発言や<俺ヲシテヨリ強 ク、ヨリ偉クセシメル>(日記大正10・4・9)、<自分の裡の非凡人>(日記、大正10・10・15)、<俺は刻々と偉大になってゆく。(中略)偉大と なる為に自分は頑固も暴力も豹変もみな肯定する>(宇賀康宛書簡、大正11・7・7)と、随所でそれが繰り返される。三高生だった頃の梶井がいかに<偉 大>さに、<非凡人>に慣れていたかがわかる。しかし、作品そのものには、そうした傾向はあまりはっきりは出ず、「卑怯者」で<偉大な人間>や<偉大な哲 理>やに思いをはせたり、「雪の日」で<おう、力よ>とよびかけたりするだけで終わっている。むしろ、<偉大>志向は、後に述べる、その反作用としての劣 等感として習作期の作品に強く表れるのである。

 <偉大>と<非凡人>を慣れる心は、自ら<反俗>の姿勢を呼び起こす。
 梶井の<反俗>は、若い頃は自分の中の<町人根性>の批判として表わされる。大正九年十一(二)月二日の日記で己れの<町人根性>を反省し、<町人の嫌 ひな俺は町人だ>(島田宛書簡、大正10・12・1)と言い、自己を叱陀している。それが、作品では、もっと俗なるもの一般への反発として表現され、<俗 悪に対してひどい反感を抱くのは私の久しい間の癖>(「橡の花」)と主人公に言わしめ、「ある産上の感情」の登場人物たちの<醜い現実に対する反逆>を描 くのである。

 これら<完全>主義、<偉大>、<非凡人>、<反俗>志向の、具体的な表れの一つは、梶井の生活上の<贅沢>として指摘することができる。
 川端康成は<高い玉露をどっさり><味ふ贅沢さに、彼の高貴な深さ>(「梶井基次郎」『時事新報』昭和6・8)を見、伊藤整は<その生活は奇妙に贅沢> で<丸善で、舶来の上等の><化粧石鹸>を買い、<自分で気に入るようにコーヒーを人れ>る梶井に<時間の総てを充実したものにしたい>願望を感じてい る。貧乏の中にあって、一流の音楽会に出かけ、外国の香水を使い、銘柄の菓子を食べ、その贅沢さは上げたらきりが無いほどである。

 これら、<反俗><贅沢>の根底には、ダンデイズムの精神が流れている。梶井がそれをどこまで意識していたかはわからないが、そのダンデイズムが彼をボードレールヘ近づけ、またボードレールが梶井のダンデイズムに刺激を与えて行ったのであろう。
<生活が何時も魅力を持つてゐなけれぱ、陶酔を意味してゐなけれぱならなかつた>(「瀬山の話」)という瀬山の思いは、
<「時間」に酷使される奴隷となり終らぬために、絶えず酔つていなけれぱならぬ>と言う、ボードレールの『パリの憂愁』の一節となんと通いあっていることか。当時まだ『バリの憂麓』は訳されていない。佐藤春夫を通してダンデイズム精神を身につけて行ったと思われる。

 以上まず、梶井の持つ、積極的な姿勢の側面、「瀬山の話」にある<その男の澄み度い気持>の側面について整理してみた。
 次には、<瀬山>の<もう一方は濁り度い気持>と表現される側に目をやってみよう。
      3


 2章に見たように梶井の中には強い上昇志向、前向きの姿勢、<理想精神>があるが、同時に、相反する<放蕩精神>(外村)がある。この章では、梶井の持つ、下向志向の側面を眺めて行きたい。

 飯島正は「梶井君の思ひ出」(『作品』昭和7・5)で、梶井の<「俺は肺病になってやるんだ」>という言葉を紹介し、<肺病といふものをまことの文人のかからなけれぱならない病のやうに思ってゐたのかも知れない>と回想している。
 三好達治も「梶井基次郎」(『文芸』昭和25・2〜3)で、梶井が<俺の病気は俺が好んでつくり上げたやうなもの>と言っていたと言う。
 梶井は忽那吉之助宛書簡(大正13・7・11)で<自分は迷信的に神経衰弱に非ざればある種の美が拒めないと思ってゐる>と書いている。梶井は意識的に病者の世界へ傾斜して行ったようだ。
 まずは、そうした病的世界の中で最も極端に走った部分から眺めて行きたい。

 梶井は、時々、狂気狂暴の世界へ陥んだようだ。
 中谷は<甘栗屋の釜に牛肉を投げ込んだり、支那蕎麦屋の屋台をひっくり返したり、いささか狂気じみて来た>生活や無頼漢との喧嘩を紹介し、三好達治も<彼にはひどく自堕落な一面>があったと語る。
 作品の中にも<街の中で急に途方もない野獣の様な叫び声をあげ>(「帰宅前後」)たり、<狂気染みた生活>を送る主人公を語り、「瀬山の話」では<俺の書いた狂人芝居を俺が演じてゐる>という主人公の狂気の生活を写している。

 こうした狂気は形を変えて様々な奇行としても表われ、小便を酒壜に詰めて何本も押入れに置いている(「瀬山の話」)主人公が登場したり、梶井がズックの袋に小便を入れてぶら下げて歩いていた事が紹介されたりすることになる
 奇行とは違うが、三好は、喀血した血をコップにもってブドー酒だと三好に見せる梶井の<大胆な嫌がらせ><半径の大きい諧謔の世界>を紹介している。

 梶井のこうした病気志向は、マゾヒズム(被虐趣味)にも通いあうものだ。マゾヒズム傾向は梶井文学の中に広く流れている。
 「鼠」では<お前の趾で俺の顔をめちやめちゃに踏んづけたらさぞ気持のいヽことだらう>と言う主人公を描き、「犬を売る店」では<破滅の不思議な魅力>につかれ<手拭の様にしぼられて泣く>事に<張合ひ>を感じる主人公を登場させる。
 このマゾヒズムはさらに密度を高め凝縮されることにより梶井文学の核心を成すに到る。
 <冷静といふものは無感動ぢやなくて感動だ。苦痛だ。しかし俺の生きる道は、その冷静で自分の肉体や自分の生活が滅びてゆくのを見でゐることだ>(「冬 の日」)と自己を厳しく見つめる姿勢を培い、<俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があつて、はじめて俺の心象は明確になつて来る>(「桜の樹の下には」) と、透徹した眼差しを作り上げる。それは<裸足で薊を踏んづける!その絶望への情熱>(「闇の絵巻」)として、<絶望への情熱>、<闇>への情熱を炎え上 がらせる。
 そうしたものの上に立った梶井最高の傑作の一つが「冬の蝿」である。主人公<私>は、<私を殺すであらう酷寒のなかの自由をひたすら>欲する。私は<眼 を澄ませ心を透き徹らせる>闇の世界を志向する。肺結核の<私>は、<暗い情熱>にあふれ、<定罰のやうな闇、膚を劈く酷寒>の中で<私の疲労は快く緊張 し新しい戦慄を感じ>、<歩け。歩け。へたぱるまで歩け>と、<残酷な調子で自分を鞭つた。歩け。歩け。歩き殺してしまへ>。ここには、梶井文学の魅力の 一つの頂点がある。その核心がマゾヒズムと結びついているのは確かだろう。

 マゾヒズムに触れたついでにサディズム(嗜虐趣味)に触れておけば、「愛撫」では、猫の耳を<「切符切り」でパチンとやって見度くて堪らなかつた>主人 公が、猫の耳を歯で噛む場面や、<爪をみんな切つてしまう>空想をするところなどがある。しかしこれは、サディズムと比べれば、それほど目立った傾向では ない。

 梶井の神経衰弱志向は先に触れたが、ここでもう少し具体的に眺めてみたい。
 梶井の書簡を見ると、<町を散歩するとじろじろと視線があつまるのでやりきれない、神経衰弱になる>(畠田敏夫宛、大正9.8.10)とか、<己は此頃神経衰弱を自認してみる>(宇賀宛、大正12・2・28)、<一種の神経衰弱ではないかと思
ひます、頭が悪くなつて、算術の容易いのも出来ない>(近藤直人宛、大正13.2.16)と<神経衰弱>への発言は多い。

 <神経衰弱>は、作品の中にも多く取り入れられている。「瀬山の話」の主人公は、<あの頃の私といふのは(中略)神経衰弱だつたらしい>と回顧し、「泥 濘」は、<神経衰弱>に陥っている主人公の一日を描き、「橡の花」「ある心の風景」「冬の日」などの主人公も、広い意味での<神経衰弱>の状態にあるよう だ。
 ただ、これら作品上の<神経衰弱>は、全てが作者梶井そのものの<神経衰弱>であったわけではない。そこには作者一流の虚構や誇張が入り込んでいるので ある。作品から作者の<神経衰弱>を摘出するのではなく、<神経衰弱>を持った作者の何らかの反映を作品の中に見るといったとらえ方をしたい。

 神経衰弱と関連して梶井作品によく出てくる特徴に<不眠症>がある。宇賀康宛書簡(大正11・6・24)で<この頃は眠られない>と訴え、近藤直人宛書簡(昭和4・12・18)には<不眠がはじまりました>と報告している。
 作品を見ると「瀬山の話」の主人公は<神経衰弱だつたらしい><夜が寐つけない>と言う。「のんきな患者」の主人公も<寐られないといふことも吉田にとつては苦痛であつた>と書かれる。「琴を持つた乞食と舞踏人形」には<当時不眠症で>といった表現も見られる。
 これは一つには精神的な理由もあるのだろうが、一つには結核という病に伴う症状であったということも言えるのだろう。

 <倦怠>は、<神経衰弱>とつながるだろうか。これも梶井文学に顕著な特色である。
 「瀬山の話」の押入れの中の小便の壜は<倦怠>のもたらすものであろうし、「泥濘」の主人公が<何をする気にならない>のも<倦怠>感にとらわれている からであろう。「冬の蝿」の主人公の<倦怠(アンニュイ)>は<冬の蝿>を身近に住まわせることになり、「ある産上の感情」の登場人物生島は<無気力な倦 怠>にとらわれた人間として造形されている。「愛撫」の<アンニュイ>は、猫の耳を「釘符切り」でバチンとやることを空想させたりする。その他の作品に も、<倦怠>にとらわれた人間がたびたび登場する。梶井のもつ激しい生きる意欲が、病気などで拒まれた時に、そうした<倦怠>が湧き上がって来るのであろ う。

 広い意味での<神経衰弱>の中に入るものかもしれないが、作品の中に時々登場する<妄想>や<錯覚>さらには、<幻視><幻聴>などについても触れてみたい。

 中谷孝雄は、梶井が<私(注−中谷)が他の同人たちを煽動して梶井から離れさせようとしている>(『梶井基次郎』)と<妄想>していたことなどを紹介している。梶井の「目記」にも<中谷に悪い妄想が起る>(大正14・5・24)とか、<確執
的妄想に例の如く苦しむ>(大正14・6・29)とかいう記述があり、<妄想>にとらわれたのも確かなようだ。
 作品にも<妄想>を扱ったものは多く、「泥濘」では<友人に裏切られてゐるやうな妄想が不意に頭を抬げ>、<捕縛されさうな不安>を抱き、<妄想は自分 を弱くみじめにした>と主人公を描いて行く。「橡の花」の主人公は<妄想で自らを卑屈にすること>を戒め、「過古」では、身内の不幸を妄想し<電報配達夫 が恐ろし>い主人公を描き、「交尾」では<妄想といふ怪獣の餌食となり度くない>主人公を描く。それぞれ梶井の<妄想>の何らかの反映なのであろう。

 <幻覚>の世界も梶井の作品にたびたび登場する。それはある時は<幻視>であり、ある時は幻聴であり、ある時は<錯覚>として描かれる。

 <幻覚>の一番はっきりした表われは題目にもなっている「器楽的幻覚」であろう。主人公は最高頂の音楽の中に<石化>を感じる。「冬の日」の主人公は何 度も<母の幻覚に出会>い、「桜の樹の下には」では<真つ盛りといふ状態>の<桜>を<灼熱した生殖の幻覚させる後光>と表現し、「闇の書」の主人公は <私がその昔の彼女(注−母)の父であつたかのやうな幻覚に陥つてしまう>のである。

 <幻視>はどうだろう。「瀬山の話」の主人公は<画集の中で見る(中略)肖像がある時>出現するほか、<幻視にもいろいろ>あることを言い、「栗鼠は籠にはいつてゐる」の主人公は、<籠>の中の<栗鼠>が<無限の速さへ走つてゐる>のを見る。

 <幻聴>の世界は、たびたび登場する。
 「瀬山の話」の主人公は<毎晩極つた様に母の声>を聞き、「雪の日」の主人公も<寐る前に必ず来る母の声音の幻聴>を感じる。「筧の話」では、<幻聴のやうに鳴りはじめた>筧の水音が主人公の<生命を輝かす>のである。

 <幻聴>に近いものとして梶井独特の音の世界があるので触れておきたい。それは想像の世界、錯誤の世界と微妙に重なりあうものである。梶井は当時として はかなりの西洋音楽通であった。そうした音楽趣味とも通うのだが、自然や生活の音の中に音楽を聞くということがよくある。「瀬山の話」の主人公は、<夜の 響き>から<大聖歌隊を作つたり、大管絃楽団を作>り、「橡の花」の主人公は、電車の<車の響きが音楽に聴え>、雨の音楽を聞き、<いたずら書き>の音に は<小人国の汽車>のリズムを聞き、<私の家族固有なアクセント>まで感じるのである。「城のある町にて」の主人公が<法師蝉>の鳴き声に<文法の語尾の 変化>を感じたりするのもおもしろい。丸山薫は「ユーモラスな面影」(『作品』昭和7・5)で梶井が蝉の<啼き方の模倣>をし、<ミンミン蝉が君になつた か、君がミンミン蝉になつてしまったか>と思
うほどだったことを回想している。梶井は現実を超えた音の世界を持っていたと言うことができよう。

 広い意味で<幻覚>に含まれるものに<錯覚><錯誤>がある。
 「檸檬」の主人公は<私の錯覚と壊れかかつた街との二重写し>の中に<現実の私白身を見失ふのを楽し>み、「筧の話」の主人公は<聴覚と視覚との統一は すぐばらばらになつてしまつて、変な錯誤の感じ>の中に<訝かしい魅惑>を感じたり、露草の花の<錯覚>に<快>さをおぽえたりする。

 以上、梶井の持つ下降志向の側面を病気への志向、<神経衰弱>への志向として眺め、その延長に、<妄想><幻覚><幻視><幻聴><錯覚><錯誤>の世 界を眺めて来た。この先には、<ドッペルゲンゲル>の世界が考えられる。梶井文学の顕著な特色の一つであるこの問題は次の章で考えてみよう。

      4

 梶井は結核患者であった。病気が次第に行動する力を奪って行った。彼は<凝視>する者になった。<凝視>する対象の中に、自己の再生をはかろうとする。彼の<凝視(みい)>る風景は彼の<心の風景>(「ある心の風景」)であった。

 完全な<ドツベルゲンゲル>(二重人格)の前に、微妙な自己分離の段階がある。前章末の<錯誤>の延長で、まずはそこから見て行こう。
 「ある心の風景」の主人公は、鴨川の川原で欅の樹を<凝視(みい)>る。<視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分或は全部がそれに乗り移 る>のを感じる。「蒼穹」の主人公は<雲>の<尽きない生成と消滅>を眺め<身体からは平衡の感じ>を失い、<奈落>へ落ちるのを感じたりする。こうした 自己分離がさらに進んだ時、はっきりとした<ドッペルゲンゲル>となる。
 「裸像を盗む男」では<二重人格者>を連想させる足越が登場し、「瀬山の話」の主人公は、<深い夜の中で私は二人にな>り対話をし、<第一の私>と<第 二の私>は、呼びかけたり<固く抱擁しあつた>りする。「犬を売る露店」の主人公は<私の中の「二人の私」>を持っている。「泥濘」では、主人公は月に よってできた自分の<影だと思つてゐたものは、それは、生なましい自分であつた>と感じる。

 そうした<ドツペルゲンゲル>を主題としたのが「Kの昇天」である。そこにはハイネの詩「ドツペルゲンゲル」が登場するのを始め、<影と『ドッペルゲソゲル』>に<月夜になれば憑かれる>Kが、結局は、自己分離に成功して魂は月に昇り、肉体は溺死する様を描く。
 「ある産上の感情」では、崖下の窓の中の<俺>と、崖上の<俺の二重人格>生島とを描き出す。

 これらは、病気が梶井に<凝視(みい)>ることを強い、かつ、その中に自己を生かそうとした姿勢とともに、常に自己を客体として<凝視>しようとする作 家の眼にも依るところがあるのであろう。また、梶井白身の持つ二面性<澄み度い気持>と<濁り度い気持>にも通じあうものがあるであろう。

 <ドツペルゲンゲル>とは少し違うのだが、根本では結びつくと思われる梶井の特色に<鏡>がある。大正十四年五月七日の日記には<十二時半頃起きる。 (中略)鏡を見る。その眼の色−死んだ魚の様な堪らない色。これちやいけない>と出てくる。彼の作品にも登場人物が<鏡>を覗き込む場面がしばしば見られ る。
 「小さき良心」では、人を<撲つた時のあの顔を一度鏡に写して見て置くんだつたと思>う主人公が登場するし、「泥濘」の主人公は<鏡のなか>の自分の顔 に<伎楽の面>を感じ<それと遊び度い>と思ったりする。「橡の花」の主人公は、失恋事件の際<鏡台>に<自分の青ざめた顔をうつしました。(中略)その 苦しさを見ておかうとしたのかも知れません>と述懐する。ここには、自己を見つめる眼、自己を対象物として眺めようとする姿勢がある。こうした姿勢も<ド ツペルゲンゲル>につながるものであろう。

      5

 梶井文学には<母>のイメージが多数登場する。しかも、それは多くの場合、母性的なものとしてではなく、厳しい<母>の眼としてである。それは梶井の中に強いマザーコンプレックスがあったことをうかがわせる。

 書簡を見ると<私の近頃よく遊ぶのを母がいさめた(中略)、母は涙を流してはげまして呉れました>(畠山宛、大正8.4)とか、<母が又々束縛して> (畠山宛、大正8.9.17)とか、<母も此頃は学問などは放撤せよといふ様な苛酷なことを云ふ>(宇賀宛、大正9・9・30)とか<母>に関する記述は 多い。

 作品においては、<母>は、もっと切実な存在として登場する。
 「不幸」は、母の不幸をテーマとしたものであり、「母親」では、<母はどこまでも厳しくしつけた。(中略)恐らくは此の間まで私は母をおそれてゐた。どこまでも母は私をおさへつける人であつた>と<マザーコンプレックス>を鮮明にする。
 「帰宅前後」では、母の苦悩を描く。「瀬山の話」には、主人公の<親不孝をたしなめた感情的な手紙>が届いたり、<毎晩極つた様に母の声>を幻聴に聞いたり、<孤児だつた時の様に私を抱きとつて呉れる>母を思って涙したりする。
 「雪の日」でも<母の声音の幻聴>を聞くし、「泥濘」では、主人公は<悲しい顔附をした母の顔が自分の脳裏にはつきりと映>り、<眼の前へ浮んで来る母の顔に自分は責められ励まされ>るのである。
 「ある心の風景」では<悪い病気を女から得てゐた>主人公が、夢で母に治療してもらう場面が描かれる。
 「冬の日」では<人びとの寝静まつた夜を超えて、彼と彼の母が互に互を悩み苦しんでゐる>様子が描かれ、母を思い<静かに泣きはじめ>る主人公が登場し、さらに<母の幻覚に>何度も会うのであった。
 「闇の書」では、<私の娘であるやうな>母、<母はまた私に兄のやうな、ときには弟のやうな気を起させる>といった幻覚の対象として描かれたりもする。
 「のんきな患者」では、吉田とその母との二人中心の世界が、愛情ある眼差しで語られて行く。常に<母>のことを意識していた梶井の最後の作品が、母と梶井とを中心とした生活を素材としていることは象徴的である。

      6

 こうした厳しい母のしつけが、先にふれた梶井の<完璧>志向、<非凡人>志向を生み出したとも言えるだろう。そして、その逆の劣等感としての表れが、 <臆病>や<意志薄弱>への思いとして梶井作品に登場するのである。習作期の「小さき良心」や「卑怯者」「大蒜」「彷徨」「カツフエー・ラーヴエン」「奎 吉」「矛盾の様な真実」など、全て、そうした主人公の<臆病><意志薄弱><意久地なし>を描いたものである。<偉大><非凡人>志向の背後に、常にそう Lた自己の弱さへの認識があったこともおさえておきたい。
 
 以上、梶井の友人たちの回想や、梶井の日記、書簡、習作、作品をもとに、梶井と梶井文学の中に流れる特徴を整理してみた。梶井の中の相反する二つの側面 <澄み度い気持>と<濁り度い気持>、<理想精神>と<放蕩精神>を中心に眺めてみた。多様な特色を二つの中に整理しようとして無理が生じたかもしれな い。これら様々な梶井と梶井文学の特色の中から、病跡学的側面が少しでも浮かび出れば幸いである。本文中、どこまでが病跡学的であり、どこまでが異常なの か筆名は判断を下さなかった。読者諸兄姉がそれぞれの基準で考えて下されば幸いである。
                 (わたぺよしのり・中央大学助教授)

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