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新疆見聞録


新疆ウイグル自治区は中国の西北に位置し、総面積の6分の1を占める中国最大の省区である。往時のシルクロードの要衝であり、かつて西域と呼び慣わされたこの地域は、最近では独立運動や人権問題など、中国国内における民族問題の焦点地区として世間の関心を集めつつある。

筆者と新疆との出会いは1992年に遡る。当時、日中国交正常化20周年を記念し、上野の国立博物館で「楼蘭王国と悠久の美女」展が開催された。遥か新疆から鳴り物入りでやって来たミイラ「楼蘭の美女」は、美女という点に関してはいささか不満が残る代物ではあったが、それでも当時高校生であった筆者の、彼の地への憧れを掻き立てるには十分に魅力的であった。

単純なシルクロードへの憧れから始まった筆者と新疆との関わりは、その後大学で新疆史を専攻するに至り、修士として本格的に研究に携わるようになった1998年、初めて新疆の地を踏む機会を得た。それは調査にはほど遠い単なる観光旅行ではあったが、従来抱いていたイメージとは全く異なった、実像としての新疆を知ることができたのは大きな成果であった。期間は8月末から9月の末までの約1ヶ月間、行程は、ウルムチからトゥルファンに至り、カシュガル、ホータンを経てタクラマカン砂漠を左回りに半周し、再びトゥルファン、ウルムチに戻るというルートであった。以下、訪問した都市とその印象について報告したい。


ウルムチ市街8月28日、東京から北京を経由してウルムチ空港に降り立った。ウルムチは新疆ウイグル自治区の区都であり、新疆の政治・経済の中心地として、200万人以上の人口を有する大都市である。新疆ウイグル自治区ではウイグル人(中国では維吾爾族と呼ばれる)が主要な民族であるが、ここウルムチでは漢民族が70パーセントを占めており、ウイグル人の居住する二道橋と呼ばれる一区画を除いて、ほとんどが近代的な街並みとなっている。林立する高層ビル、車道を行き交う大量の車を目の当たりにして、筆者の胸中に燻っていたシルクロードへ幻想が、さらさらと崩れ去っていくのを感じた。

ウルムチには新疆の政府機関、学術機関などが集中しており、滞在中はそれらの機関への訪問を行った。余談であるが、ウルムチの自治区博物館で件の「楼蘭の美女」に再会した。6年前、厳重な警備の元、ガラス越しにしか見ることができなかった彼女は、ここでは見守る者もない薄暗い部屋の片隅に、実に無造作に置かれていた。その境遇のせいだろうか、30センチの間近で見た彼女の美貌には、更なる衰えが感じられるように思った。


閑話休題。ウルムチに2日滞在した後、バスでトゥルファンに向かう。トゥルファンに足を踏み入れた時の印象を述べるとするならば、それは「暑かった」の一言に尽きる。トゥルファンはその「火州」の別名のとおり、中国でもっとも暑い地方として知られ、最高気温は50度近くにもなるという。街に着いた時は、九月の初めだったにもかかわらず、気温はゆうに40度を越えており、5分も日向にいると気が遠くなるほどであった。トゥルファン郊外にある赤い岩肌をもつ火焔山が、『西遊記』の中に炎の燃え盛る山として登場するのもいかにもと思われた。火焔山

トゥルファンはウルムチと比べれば非常に小さな街であり、人口もウイグル人が多数を占めている。ここで新疆のウイグル人について少し触れたい。新疆ウイグル自治区の主要民族であるウイグル人は、スンナ派イスラームを信仰するテュルク系の民族である。彼らは伝統的にはオアシス地帯に定住する農耕民であり、今なおその多数が農村部に居住している。ウイグル人は概して陽気で人懐こく、また客好きであることが知られる。片言のウイグル語を話す日本人を珍しがってか、筆者も旅の間幾度となく歓待を受け、楽しいひとときを過ごすこととなった。(もっともこのウイグル風のもてなし――常識を越えた量の食事、飲めども尽きぬ酒、そして歌と踊りの強要――を受けるたび、寿命の縮む思いをしたので、最近ではできうる限り回避するよう心がけている)そこで知遇を得た現地のガイドに街の周辺を案内してもらい、高昌故城、交河故城、ベゼクリク千仏洞など、大陸的なスケールを持つ壮大な遺跡を目の当たりにすることができたのも大きな喜びであった。


数日後、別れを惜しみつつトゥルファンを発った。今回の最大の目的地、カシュガルを目指して、かつての天山南路を西に向かう。途中、コルラ、クチャ、アクスにも立ち寄ったが、ここでは紙面の都合上割愛する。

9月9日、出発から14日目にして、ようやくカシュガルに辿り着いた。カシュガルは中国最西端の都市であり、古来より天山南路と西域南道の交わる東西の交易の要衝として栄えてきた。その人口のほとんどを少数民族が占め、今も伝統的なオアシス都市としての色彩を色濃く残している。道の両脇に聳え立つポプラの並木、職人街の技巧を凝らした民族工芸品、色とりどりの華やかな民族衣装は、ここが中国であることを忘れさせるほどであった。
ヘイトガーフ・モスク
カシュガルで特筆すべきことは、やはりヘイトガーフ・モスクであろう。街の中心に位置するこのモスクは、500年の歴史を持つ中国最大のモスクである。金曜日にヘイトガーフ脇で、小さな本屋の若主人と雑談していたところ、昼過ぎになって、それまでのんびりしていた彼が、礼拝に行ってくるから店番をしていてくれと、やおら店を飛び出していった。ふと見ると、今まで何もなかったモスク前の広場が、いつの間にか礼拝に来た人々で埋め尽くされている。モスクの内側から高らかに聞こえてくる礼拝の掛け声にあわせて、立っては祈り、跪いては祈る人々。その光景はどこか不思議であるとともに、ヘイトガーフ・モスクが今なお彼らの精神的支柱となっていることを感じさせた。

イスラームというと、とかく規則や罰則が多い過激な宗教というように見られがちだが、それはイスラームのごく一部の側面にすぎない。実際にはイスラームは生活に即した柔軟な宗教であり、礼拝や断食、巡礼などの義務はあるものの、それらは個人の自由意志に任されている。彼らは神アッラーと自らとの関わりを重視し、他人の信仰については口をはさまない。ムスリムであることを誇りにしこそすれ、むやみに他の宗教を排除する訳ではないのである。イスラームの虚像と実像の隔たりを、ここカシュガルでは肌で実感した。

忘れられない出来事もあった。街のはずれにあるアーファーク・ホージャ廟(香妃墓)に行こうとしたところ、運転手がそこは遠いからと、バスのルートを大きくはずれて送ってくれたのである。その時は筆者以外の乗客はいなかったのだが、30分後に他の乗客を乗せたまま迎えに来てくれた時は本当に驚いた。他の乗客も別段怒った様子でもない。中国的いい加減さといってしまえばそれまでだが、見ず知らずの旅人に対する親切、規則にとらわれない大らかさは今の日本人には欠けているものであり、心の温まる思いがした。漢族の彼とその家族とは、現在にいたるまで親交が続いている。カシュガルではさまざまな出会いがあり、つい長居をしてしまったが、五日の滞在の後、立ち去りがたい気持ちを抑えて、次の街に向かうことにした。


ホタンの少女達カシュガルを出て、向かった先はホータンである。ホータンはタクラマカン砂漠の南西にある大きなオアシスで、新疆ではもっともウイグル人の人口比率の高い地区である。一口にウイグル人と言っても、実際には多種多様な顔立ちをしているのだが、ここホータンのウイグル人は特にバラエティに富んでいる。地域柄、インド系やイラン系の血が混じったエキゾチックな顔立ちの少女も多く、それがホータンは美人が多いといわれる所以であろうかと思った。一般的に南新疆のウイグル人は早婚であり、女性は大体15〜17歳で結婚するという。ふとしたことから知り合ったホータンの女の子たち――年の頃は12、13歳ぐらいであろうか――が、あどけない笑顔で「私達はまだなの」と笑っていたのが印象的であった。(もっともウイグル人は離婚率が高いことでも有名である)ホータンは、カシュガル同様民族色豊かな街であったが、同時にどこか日本の農村に似て、懐かしい雰囲気のする街でもあった。


ホータンを9月18日に出発。旅もそろそろ終わりに近づいてきた。ホータンからコルラに向かうには、チャルチャン、チャルクリクを経てタクラマカン砂漠を一周するルートがあるが、時間的余裕がないため、ニヤから砂漠公路を通ってコルラに戻ることにした。

23時間に及ぶバスの旅の末、コルラに辿り着くと、すぐ次のバスに乗り換えてトゥルファンに向かった。途中、急激に気温が下がり、長袖を着ていたにもかかわらず歯の根が合わないほど凍えてしまった。あまりの寒さに、バスのシートのあて布を引っかき集めて膝に掛けたことを覚えている。後日聞いたところによれば、その日、ウルムチでは雪が降ったそうだ。最後の最後に、新疆の気候の激しさを骨の髄まで思い知らされることとなった。その後トゥルファン、そしてウルムチへと戻り、9月25日に帰国の途についた。


今回、1ヶ月という短い間ではあったが、現地の人々の生活、文化に直接触れることを通して、「シルクロード」でも「中国の火薬庫」でも無い、ありのままの新疆を知ることができた。そしてそのことは、筆者にとって、またその後の研究にとって大きな収穫となったように思う。大学時代、恩師が口を酸っぱくして「研究は現地に行かなければ始まらない、とにかく現地に行きなさい」と仰っていたことが今更ながらに思い出される。その言葉の重みをつくづく実感した1998年の新疆旅行であった。

カシュガルの人民路追記

昨年夏、調査のために再び新疆を訪れたのであるが、その変わり様には目を見張るものがあった。ウルムチ市内には高速道路が完成し、更に多くの車が行き交うようになった。人々は携帯電話を片手に街を闊歩し、その服装も数年前に比べて格段あか抜けたように感じられた。南部のカシュガルでは、市のはずれに大きな観覧車が作られたのを目にした。市の至る所に開発の手が及び、伝統的な街並みは徐々にではあるが姿を消しつつある。
2000年に始まった中国の国家プロジェクト「西部大開発」に伴い、新疆は今、大きな変革の時を迎えている。今後も変わり行く新疆をこの目で見ていきたいと思う。

2002年 清水由里子