ホーム > 学生之声 > 旧「学生之声」目次 > 元・学生之声 【中国現代アートの一部になる!?/中国言語文化研究室・室員W】  
 
「ハイ、いち、、にぃ、さん、、、し、ご。前に進んでぇ、いちぃ、に、さん、しぃ、ご…」広い公園に響く掛け声。その掛け声に合わせて、公園をぐるっと囲んだ何十人もの人々がチベット仏教の五体投地のように地面にうつ伏せになってはまた立ち上がり、前に進んでいく…。何も知らない人からすれば、かなりアヤしい集団のアヤしい行動としか見えない光景。実はこれ、中国現代美術のアーティスト、蒼鑫氏のパフォーマンスアートなのである。

 蒼鑫氏といえば、過激なパフォーマンスで知られる北京東村グループの出身で、今や世界的なアーティストとして、各国でパフォーマンスを行っている。私が彼のパフォーマンスに参加するのは福岡に続き2回目である。前回は白い箱の中に入って顔だけを出し、観衆から差し出されたものを「舐める」ことでコミュニケーションをとるパフォーマンスを行っていた(その時私はポッキーを差し出した覚えがある)。

 今回のパフォーマンスも、地面にうつ伏せになった時に舌を出して地面を舐めるのが、おそらく正しい。でも鳩の糞もちらほら見える公園では、さすがにそれだけは省略させてもらった。蒼鑫氏が「舐める」という行為をどうしてパフォーマンスの中心に据えているかというと、五感の中でも味覚が最も原始的な感覚だから、摂食や性愛以外での舌の役割の可能性を探っているのだそうだ。


この人々はいったい…?

左が朱冥氏、右が蒼鑫氏



 このパフォーマンスは、7月21日に埼玉県立近代美術館とその隣の北浦和公園で行われた、人文・社会科学振興プロジェクト研究事業・埼玉大学重点研究共催の「アート・身体・インタラクション2」の企画である。
埼玉大学教養学部東アジア文化専攻及び芸術論専攻の教員の方々と学生さんが中心となって、企画・実行されたそうである(会場の受付から、シンポジウムで使用するPCのセッティングや操作、ビデオ・カメラなどの記録まですべて学生さんが行っていた)。

 前半部分はシンポジウムで、中国現代アートの研究者や、パフォーマンス、現代芸術の研究者がそれぞれの専門からパフォーマンスを中心とした現代アートの置かれている状況を報告した。後半部分はふたりのアーティストによるパフォーマンスである。

 冒頭の蒼鑫氏に続いて作品を披露したアーティストは、同じく北京東村出身の朱冥氏。バルーンの中に自らが入り込むパフォーマンスや泡を使ったパフォーマンスでよく知られている。蒼鑫氏同様、世界中でパフォーマンスを行っており、この日も前日に来日し、もう翌日にはデンマークに帰るという多忙ぶりだった。

 蒼鑫氏、朱冥氏ともにシンポジウムの前半には出席し、自ら作品についてコメントしていた。蒼鑫氏は力強い視線を会場に向け、正々堂々と話すのに対し、朱冥氏はなんとなく上目使いに独り言のように話すところが、そのアーティストの人となりをあらわしているようで興味深かった。


 シンポジウムが終了すると会場を屋外に移し、まずは蒼鑫氏のパフォーマンスがはじまった。シンポジウムの参加者を中心に数十名の老若男女(といっても埼玉大学の学生さんがほとんど)が作家の指示に従って4列に並ぶ。基本の動作を通訳を通して教えてもらった後、その場で1回練習。そして蒼鑫氏を先頭にして公園を回りだし、冒頭の光景になる。

 好奇心だけで参加したが、正直途中で若干後悔。地面に腹ばいになる訳だから、服も手のひらも汚れる。うつ伏せになっては立ち、また進んではうつ伏せになる動きは久しぶりに部活の基礎練習を思い出した。まわりにいた学生が今流行りのビリー並みだと言っていたのもうなずける。途中、近隣住民とおぼしきほろ酔い気分のおじさん達からは「何やってんだよ。解説書貼っておいてくれないと分からねぇよ。日本も変わったなぁ〜」という野次(?)を投げかけられたりしながら、50メートル四方の公園をぐるっとまわること約20分。「お疲れ様でしたァ」という声に迎えられてパフォーマンスは終わった。

 終わった後は額から汗を流しながらも、言い知れない達成感を感じ、また行為を通して観客と交流を図るパフォーマンスアートの不思議な魅力も感じていた。きっとこの作品のことは、参加した誰もが忘れないものとなるであろう(少なくとも筋肉痛が続いている間は)。


参加者に動きの説明をする蒼鑫氏

卵の中が墨に染まっていく

 少し置いて、朱冥氏のパフォーマンスが始まった。3メートルほどのビニール製のバルーンに空気が入れられ、丸く膨らんだところに朱冥氏がバケツを持って中へ入る。乳白色のビニールを通して見える朱冥氏はまるで母親の体内にいる胎児のようであった。

 と思っているや否や、中から墨がぶち撒かれた。卵を彷彿させる気球は前へ後ろへ、その場を行ったり来たりするうちに中から黒く染まり、胎児の姿は見えなくなってしまった。観衆が卵の動きを目で追いかけていると、ゆっくりと卵はあたりを動きまわり、そして止まった。動かなくなった卵をしばらく観衆がみつめていると、また卵はわずかに震えだし、中から黒い手が出てくる。墨のもわっとしたにおいとともに、真っ黒い赤ん坊が中から生まれる。パフォーマンスの終了である。

 何も言葉を発さずにその場を立ち去るアーティストの姿は、緊張の極限から解放され、自分の内面にあるものをすべて表現しきったたかのようであった。原始的な光景を見せられたパフォーマンスに、私も含め観衆は圧倒されていた。


 日本で中国現代アートの作品を観る機会は、今回のようなパフォーマンスに限らず、案外ある。中国の現代美術だけを集めた展覧会も何年かに一度は開催され、またビエンナーレ、トリエンナーレと名のつく国際展では必ずといっていいほど中国人アーティストが出展作家として名を連ねている(日本ではないが、現在開催されているベネチアビエンナーレの様子を伝える新聞記事でも非西洋勢の代表としてまず最初に中国館の様子を伝えていた)。

 現代アートの面白さは、同時代に生きる作家の思索の結晶である作品を自分の五感を使って鑑賞できるところにある。その表現方法は時には奇抜で、自由である。中国に生きるアーティストが何に関心を持ち、それをどのように表現していくのか。これからも機会があれば、時には作品の一部になりながら追っていきたいと思う。

 なお、この記事を読んで、中国現代アートに興味を持った人は入門のための書籍として、牧陽一著『中国現代アート』(講談社選書メチエ、書名をクリックすると詳しい内容が表示されますを一読することをお勧めする。歴史を押さえるとともに、中国現代美術の最新動向も豊富な写真を交えて紹介している。

そして最後は…
 

Copyright©2005 中央大学文学部人文社会学科中国言語文化専攻