ホーム > 学生之声 > 旧「学生之声」目次 > イベント報告 【実演をまじえた京劇入門「感覚的自己深化論」/中国言語文化専攻・某某同学】  

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いつもの教室に…!?
 先日行なわれた魯大鳴氏による京劇入門の講演会。この講演会の前にあらかじめ京劇について予習するなどということをしていなかったので、果たして当日魯氏の語られる話を理解できるかどうかといささか不安に思いながら、当日を迎えたのであった。結論から言うと、私の思いは杞憂に終わった。

 まず講演内容についてなのだが、ここでは詳しく語らないことにする。非常に不親切であるかもしれないが、観客の眼前で繰り広げられた魯氏の語りや動作、歌などを直接的に知覚していないければ、ほとんど理解できない――というより把握、あるいは感受できないと言った方が正確かもしれない――からである。

 とりあえず、魯氏から教わった京劇の初歩的な内容について書いてみると…京劇の動きには唱(歌う)、做(仕草)、念(台詞)、打(立ち回り)があること、役柄には男の演じる「生」、女の演じる「旦」や道化役の「丑」などがあり、その中でもまた細かく役がわかれていて、一生与えられた役を演じ続けなければならないこと、などがある。一応簡単に書いてみた。


諸葛亮(2分18秒/3.0MB)

扇子の使い方(1分10秒/1.5MB)

 だが非常に面白かったのは、京劇の表の知識などではなく、観客からは見ることのできない裏の事情についてであった。裏方の人とともうまく付き合わないとひどい目に遭うこと、先生からの指導の仕方は叩き込みでひたすら繰り返し練習したこと、うまく動けないと先生に叩かれたことなど、当事者でなければ知り得ないないことを教わった。

 

 そして、講演会の後、少人数で魯氏との懇談会を開いた。そこで、初めて化粧をしていない素顔の魯氏を拝見した。その素顔は……確かな経験を重ねてきた渋い役者だった。背中で語る男、と言ったほうがいいかもしれない。

 魯氏は寡黙な方で、こちらから話し掛けると熱心に語ってくださった。男は無駄口を叩かずに黙って成果を見せろ、という生き方をなさってきたように思われた。


いただいたサインは研究室にあります
 実際、魯氏は「頭で考えていても始まらない。動いてみてこそ始まるのだ」というようなことを語られていた。私は魯氏が話された中で、この意見に最も感銘を受けた。世間では話がうまくて明るい男が好かれるようだが、私には、そのような生き方とは対極にある生き方を実践されている魯氏の方が素敵に思えた。日本の俳優でいうと、高倉健や赤木圭一郎、あるいは市川雷蔵といった往年の役者たちの生き方に似ているかもしれない。

 ひたすらに自らの信念に基づいて妥協することなく技術を高め、仕事に打ち込み、黙々とこなしていく。その一本気な生き方は、華やかな暮らしがもてはやされる現代にあってこそ、輝いているのではないだろうか。

 私が今回学んだこと。それは、真っ直ぐに――まさに愚直といってよいほどに――自分の道を追求し、そして自らを深化させていく人生である。
(2006年11月10日開催)

Copyright©2005 中央大学文学部人文社会学科中国言語文化専攻